第91話:不死鳥の甘美な執着と、孤独なお茶会の終わり
神とも言える存在の腹痛を癒やすための、前代未聞のクッキング・ハント。
三柱の古竜たちが獰猛な狩猟者の顔を覗かせる中、俺は頭を抱えていた。
「……だが、問題はどうやってあの途方もないサイズの『原初の暴食』に、スープを飲ませるかだ。肉の中にスープを仕込む作戦を考えてはいたが……」
「ほう? それは美味そうだが、何か問題でもあるのか?」
ミニサイズの黒竜ゼノスが、不思議そうに喉を鳴らす。俺は料理人としての現実的な壁を口にした。
「どんなに巨大な魔物の肉を用意して中をくり抜いても、限界がある。しかも『世界樹の果実スープ』を大量に仕込んで焼こうとすれば、肉の繊維が熱で縮んで、確実にスープが外に漏れ出す。焼いている最中に肉が崩壊すれば、作戦は失敗だ」
「なるほどなの……。お肉が破けて、スープがこぼれちゃうのは勿体ないの!」
小さいファルが、短い両手をパタパタさせて悲しそうにする。
「そうなんだ。いくら肉で気を惹くとはいえ、『特効スープ』をきっちり体内に届けられなきゃ意味がない。でも、肉の中にすべてを詰め込むのは物理的に無理がある……どうすれば……」
俺が腕を組んで唸っていると、ティーカップを優雅に傾けていたエターナが、パタンと扇を閉じてクスリと笑った。
「エルヴァン。貴方、料理の腕は一流ですけれど、少し発想が貧困ですわね」
「……え?」
「一つのお皿にすべてを乗せようとするから、無理が生じるのですわ。
一品で足りないのなら……【フルコース】にしてしまえばいいではありませんか」
「フル、コース……?」
俺が呆然とオウム返しにすると、エターナは得意げに胸を張った。
「ええ。前菜で胃袋を目覚めさせ、強烈な香りを放つメインディッシュで本能を完全に狂わせる。
そして、口の渇きと熱を潤すための極上のスープを別皿で提供し、最後にデザートで心を満たす。
……あの子は美食家ですもの。順番に出されれば、それに従って食べるはずですわ」
俺の頭に、雷が落ちたような衝撃が走った。
そうだ。俺は何を焦っていたんだ。
「ひとつの超巨大肉包み」を作ろうとするから、調理の限界を超えてしまう。相手は美食を愛する神なのだ。フルコースとして順番に提供すれば、奴は自ら「次の皿」を求めて進んでくるはずだ。
「……エターナさん、あなたって人は……天才ですか!」
「ふふっ、当然ですわ。これでも数千年、美味しいもののことばかり考えて生きてきたのですから」
俺の頭の中で、完璧な作戦図――いや、【究極の献立】が完成していく。
「よし、方針変更だ! メインディッシュには、暴力的なまでのロースト香を放つ『超巨大な塩釜焼き肉』を用意する。そしてメインに食らいつき、最高に喉が渇いたタイミングを見計らって、別の大鍋で煮立たせた『世界樹の特効スープ』を一気に飲ませる!」
「アァン、素敵ねェ! それならスープが漏れる心配もないし、私がそこで歌えば最高にエレガントなディナーショーになるわヨォン!」
手のひらサイズの緑竜ジェイドが、パチンと指を鳴らした。少し意味不明な事を言っていたが、一旦放置しておこう。
俺の料理への情熱が再び燃え上がるのを見て、エターナはうっとりとした、熱を帯びた瞳で俺を見つめてきた。
「……素晴らしいわ。エルヴァン、貴方のその料理への探求心。すっかり気に入りましたわ」
エターナはふわりと立ち上がり、俺の目の前まで歩み寄ると、その美しい顔を近づけてきた。
「決まりましたわ。エルヴァン、貴方をわたくし専属の執事にして差し上げます。
この霊峰へ毎日通い、わたくしのためだけにお茶を淹れ、その見事なフルコースを振る舞いなさいな。
望むなら、不死鳥の加護という贅沢な恩恵も与えて差し上げますわよ?」
絶世の美女からの、神話級の逆指名。
普通の人間ならひれ伏して喜ぶところだろうが、俺は苦笑しつつ、丁寧に首を横に振った。
「申し訳ありませんが、お断りします。俺には帰るべきギルドと、三十五年ローンが残っている家がありますから。
それに……待っている人もいるので。」
俺の即答にエターナの表情から余裕がスッと消え去った。
「え……?」と間抜けな声を上げ、扇を取り落としかける。彼女の顔が驚きと焦りで染まり、やがてプルプルと震え始めた。
「わ、わたくし……今までずっと、一人だったのですよ!?」
「えっ?」
突然の悲痛な叫びに、俺は目を丸くした。エターナは両手で顔を覆い、せきを切ったように語り出した。
「この二十年間……! 毎日毎日、ドロドロに溶けたマグマの入った杯を『まあ、今日のダージリンは少し渋みがありますわね』なんて自分に言い聞かせて、一人きりでお茶会をしておりましたのよ!?」
「マ、マグマをダージリンって……」
「誰も来ないお茶席に、見えないお客様用の石の椅子を並べて……虚空に向かって『あら、公爵夫人、ごきげんよう』『うふふ、奥様のお話はいつも面白くてよ』なんて微笑みかける毎日……!
黒曜石の鏡に向かって、ティーカップを持つ小指の角度を何千回も練習しましたけれど、誰も褒めてくださらないし……!」
「(……シュ、シュールすぎる……! そして悲しすぎる……!!)」
エターナのお嬢様としての強気な態度が完全に崩壊し、極限までこじらせた「孤独なロールプレイ」の素顔が露わになる。
「たまに遊びに来るジェイドだって、マグマをズズッと啜ったらすぐ帰ってしまいますし……!
本物のお茶とお茶菓子で、誰かとこうして『美味しいですわね』と笑い合うのが……わたくしの……夢でしたの……っ!」
ポロリ、と。エターナの瞳から、本物の炎の涙がこぼれ落ちた。
その姿があまりに切なくて、そして少し不憫すぎて、俺の胸に鋭い罪悪感と猛烈な同情が走る。
千年の時を生きる神話の鳥が、誰もいない雪山の頂上で、透明な公爵夫人に向かってエアお茶会を繰り返していたのだ。放っておけるわけがない。
「……だったら、エターナさん。うちのギルドハウスに来ますか?」
俺がそう提案した瞬間、その場の空気がピシリと凍りついた。
「「「……は?」」」
ファル、ゼノス、ジェイドの声が見事にハモる。
特にジェイドの反応は早かった。手のひらサイズの緑竜の姿で、ピョンとテーブルの上に飛び乗る。
「はぁッ!? ちょっと待ちなさいヨォン! アタシ聞いてないわよ!?
なんでわざわざ空気の汚い都会に住み着くのよ! 第一、坊やの家なんて狭いし、そもそもあんたみたいな高貴な不死鳥と、あたしたちの騒がしい生活が合うわけないでしょーが!」
「ジェイド……何時からお前は我々と住処を共にする事になったのだ?!」
ゼノスが思わず突っ込む。
エターナはジェイドの抗議など聞こえていないかのように、俺の袖をそっと掴んで上目遣いに見つめてきた。
先ほどまでの「長老」と呼ばれる所以の威厳はどこへやら、その瞳には切実な期待が揺らめいている。
「……本当ですの? わたくし、貴方たちの街へ行ってよろしいのですか?」
「ええ。まあ、あと三十五年ローンは残っていますが、客人の一人や二人、いくらでも歓迎しますよ」
「まぁ……素敵……!」
エターナの表情が、パァッと春の雪解けのように綻ぶ。彼女は俺の袖を握る手に力を込め、少しだけ頬を染めて、今までにないほどか弱い声で囁いた。
「わたくし、我儘を言ってもよろしいかしら……。もし許されるなら、庭の端にあるあの『不燃の古木』を、わたくしの止まり木に加工していただけないでしょうか?」
それは先ほどまでの女王然とした口調ではなく、恥じらいを隠しきれない、純粋な乙女の願いだった。
「あの木なら数千年の間、わたくしの炎に晒されても決して燃え尽きることのない大切な木……。
あれを数本切り出して、わたくしが街を見守れるよう、庭にドーンと聳え立つようにしてくださったら……わたくし、とっても嬉しいのですわ」
「……なるほど。あの木なら、エターナさんが炎を纏っていても家が火事になりませんね。
わかりました、帰ったら早速庭を改築しましょう。エターナさんがいつでも寛げるような、最高の止まり木を造りますよ」
「ええ、本当ですのね……? 嬉しい……わたくし、ずっと夢見ていたんですの。街の皆の賑わいを、高い場所から眺めながら、貴方が淹れてくれたお茶を啜る……そんな何気ない日常を……」
彼女は夢見るような表情で俺を見上げ、最後にちょこんと頭を下げた。
「……よろしくお願いいたしますわね、エルヴァン様」
俺たちが「また家族が増えたな……」と遠い目をする横で、エターナは上機嫌にハミングを始めた。神話の不死鳥が、まさか迷宮都市のに住み着くことになるなんて、誰が想像しただろうか。
「さて! 街へ行く前に、フルコースの食材の調達ですわね。ジェイド、ファル、ゼノス。お喋りは終わりです!
あの可哀想な巨食漢に『極上のディナー』を運ぶため、最高の食材を狩りに行きましょうか!」
エターナが再び、黄金色の炎を纏う美しい神鳥の姿へと変わった。
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