第92話:狩猟の極意
「――とはいえ、フルコースとなれば必要な食材も桁違いだ。
調味料や塩釜用の大量の岩塩、調理器具の準備もある。
まずは一度迷宮都市のギルドハウスへ戻って、メンバー全員で作戦会議を開こう」
霊峰の頂でそう提案すると、古竜たちもエターナも、名残惜しそうにしながらも素直に頷いた。
エターナの「特製止まり木」の材料となる『不燃の古木』を数本切り出し、俺の空間収納リュックに詰め込んで、いよいよ帰路に就く。
迷宮都市までは、数千メートル上空を駆け抜ける空の旅だ。
俺を背に乗せたファルは、白銀の毛並みを風にたなびかせる神々しい巨竜の姿に戻っている。その隣には、エメラルドの鱗を輝かせるジェイドと、黒曜石のように鋭い威圧感を放つゼノス。そして、空を黄金色に染め上げる巨大な不死鳥の姿となったエターナが並ぶ。
神話級の魔物が四体も編隊を組んで飛ぶその光景は、地上の人間が見上げれば、世界の終焉か天変地異の予兆にしか見えないだろう。
霊峰の麓に広がる広大な黄金の草原の上空に差し掛かった時、眼下の草むらで、山一つ分ほどもありそうな巨大な影がいくつものっそりと動くのが見えた。
『ほっほっほ、エルよ、見てみい!
いきなりメインディッシュの食材がお出ましじゃぞ!』
見下ろせば、そこには太陽の光を反射して眩いばかりに輝く黄金の角を持つ、巨体の魔牛が群れていた。
はち切れんばかりの肉厚な背中、たっぷりと蓄えられた極上の脂。あれぞまさしく、究極の塩釜焼きに相応しい最上級の肉質の黄金角の魔牛だ。
「よし、ちょうどいい。あいつを狩って肉を持ち帰ろう」
俺がファルの背中で大鉈を構えようとしたその時、隣を優雅に飛んでいた巨大な不死鳥が、ふわりと前に出た。
『お待ちになって、エルヴァン様。わたくしがギルドへ赴く手土産に、あの牛を仕留めて差し上げますわ。
エルヴァン様の住む街の守護者としての力、とくとご覧なさいな!』
エターナは自信満々に念話を響かせると、巨大な炎の翼を折りたたみ、弾丸のような速度で草原へと急降下していった。
『――ハァッ!』
ドガァァァァァンッ!!
魔牛の群れの一角で、凄まじい爆風と爆発音が響き渡った。
立ち昇る土煙。
しかしそれ以上に、俺たちの鼻腔を猛烈に刺激したのは――。
「……なんか、めちゃくちゃ美味そうな匂いがしないか?」
『アァン? 暴力的なまでに香ばしい、高級ステーキの匂いがするわヨォン……?』
俺たちが降下して土煙を払うと、そこには誇らしげに胸を張る不死鳥の足元で、完全に息の絶えた魔牛が転がっていた。
ただ一つ、致命的な問題があるとすれば。
「……あの、エターナさん」
『いかがかしら? わたくしの見事な狩りは。苦しませず、一瞬で仕留めましたわよ』
「いや、仕留めるどころか、これ中までこんがり焼けてます。
完璧なミディアム状態で、肉汁滴る巨大ステーキが完成しちゃってますよ」
俺が大鉈で魔牛の肉を少し切り開いて見せると、そこには美しいピンク色に絶妙に火が通った、今すぐパーティーを開けるレベルの極上肉が顔を出した。
『……えっ?』
「作戦で使いたい塩釜焼きは、生肉を塩で包んで、洞窟の熱でじっくり蒸し焼きにする料理なんです。
それに、肉は仕留めた直後よりも、少し寝かせて『熟成』させた方が旨味が爆発する。……つまり、火を通していない状態の『生肉』が必要なんですよ」
『し、失礼いたしましたわ……! わたくしとしたことが、つい無意識におもてなしの精神が出て、美味しく焼き上げてしまいましたの……っ!』
バサバサと慌てて翼を揺らす不死鳥。
『次、次は絶対に火を通しませんわ! 魔
法は一切使いません、物理でいきますわ! この爪で優しくチョップして、気絶させて差し上げますの!』
エターナは名誉挽回とばかりに、少し離れた場所にいた別の魔牛へ向かって再び舞い上がった。
そして宣言通り、魔法を一切使わず、その鋭い爪を魔牛の首筋へトンッ、と、羽毛のように優しく振り下ろした。
ジュワァァァァァァッ……!!
『モウゥゥゥッ!?』
『いやぁぁぁぁっ!?』
魔牛が悲鳴を上げて倒れたのと同時に、エターナも悲鳴を上げた。
俺が駆け寄って確認するまでもない。周囲には、鉄板焼き屋の換気扇の下にいるような、暴力的な食欲をそそる匂いが漂っている。
「……表面はカリッと香ばしく、中は絶妙なレアですね。タタキとして食べるなら最高ですが、やはり保存と熟成には向きません。……エターナさん、もしかして」
『わ、わたくしの存在そのものが、触れるだけで最高の焼き色をつける超高性能な直火焼きグリルでしたのね……っ!!』
ポンッ、という情けない音と共に、エターナは巨大な不死鳥の姿から、人間の姿へと縮小してしまった。
夕日色のドレスを纏った彼女はその場に膝をつき、両手で顔を覆ってブルブルと震えている。
「うぅ……っ。わたくし……エルヴァン様のお役に、立ちたかっただけなのに……っ。
慈愛を込めて触れただけで、焼肉定食にしてしまうなんて……!」
「あんた、加減ってものを知らないのォン?
ま、ずっと一人でマグマ啜ってたんだから、生の肉を保存するなんて概念、なかったんでしょうけどネ」
「ジェイド、そんなはっきり言ってやるな……エターナさん、泣かないで。
このお肉、焼き加減は本当に完璧だから。今日の晩ごはんに皆で美味しくいただきますからね」
俺がしょんぼりとするエターナの背中を撫でて慰めていると、それまで上空で静観していた巨大な黒竜、ゼノスが音もなく舞い降りてきた。
『……素人め。
見ておれ、主よ。
真の狩りとはこうやるのだ』
ゼノスが鋭い漆黒の双角を低く構え、次の魔牛に狙いを定める。
一瞬だった。
巨大な質量を持つはずの黒竜の姿が風のようにブレたかと思うと、音も立てずに魔牛の死角に潜り込み、その爪が延髄を正確に、そして撫でるように貫いていた。
魔牛は自分が殺されたことすら気づいていない様子で、草を咀嚼したまま、静かに命を散らした。熱など一分もこもっていない。
「おお……見事だ、ゼノス。
まったく肉が強張っていない」
『当然だ。肉の質を保つには、獲物に恐怖を与えることなく、一瞬で命を絶つことが重要だ。
死の直前にストレスを与えれば、血が巡って肉が臭くなるからな。それが狩猟の極意だ』
ドヤ顔で語る巨大な黒竜の足元には、血の一滴すら無駄にせず、完全にリラックスした状態で絶命した最高の「生肉」が転がっていた。
これなら、じっくりと熟成させ、究極のフルコースのメインディッシュとして仕上げることができる。
『ほっほっほ、流石はゼノスじゃの! 完璧な仕事じゃわい。……しかし、エターナが焼いたこの肉も、なかなかに唆る匂いじゃのう』
『アァン、ホント。このミディアムの焼け具合、アタシ好みだわヨォン。もぐもぐ』
振り返ると、巨大な姿のままのファルとジェイドが、エターナがうっかり焼いてしまった魔牛の肉に群がり、幸せそうに頬張っていた。
「……ほ、本当ですの? わたくしの焼いたお肉、美味しいですの……?」
『うむ、最高じゃわい! 温かくて、口の中で脂がとろけるわい! ほっほっほ!』
「エターナさん、塩釜焼きの『下ごしらえ』としては失敗でしたが、ステーキとしては神の業ですよ。ギルドの連中への最高の手土産になります」
俺の言葉に、エターナは涙目でパァッと顔を輝かせた。
どうやら、少しは機嫌を直してくれたようだ。
生肉の魔牛一頭と、すでにこんがり焼かれた魔牛二頭をマジックバッグに押し込み、俺たちは再び空へ上がる。
やがて地平線の先に、巨大な城壁に囲まれた迷宮都市ゴルドランの全貌が見えてきた。
「見えたぞ。あそこが俺たちの街であり、エターナさんの新しい居場所だ」
「まあ……! なんて活気のある、賑やかな街でしょう……!」
エターナの瞳に、憧れていた「誰かと過ごす日常」の景色が映り込む。
もう見慣れた光景だが、迷宮都市の門番たちが、ドラゴンを従えるフェニックスの光景に騒然となっていたのだった。




