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無能と追放されたはぐれテイマー、実は【古のテイム】の継承者でした ~ブラックギルドを捨てて美味しい手料理を振る舞ったら、伝説の神獣たちが懐きすぎて世界最強のギルドができました~  作者: たくみ
第四章 レア食材探求〜腹が減っては厄災は防げない〜

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第72話:宵闇の森のナイトメア(前編)

 日の光を拒絶するかのように、幾重にも重なり合った樹冠が空を覆い隠している。

 「宵闇の森」——その名の通り、昼間であっても薄暗い紫藍色の帳が下りているこの場所は、足を踏み入れた者の方向感覚を狂わせ、じわじわと精神を削り取っていくような異様な静けさに満ちていた。


 発光する奇妙な植物がぼんやりと周囲を照らす中、俺たち一行は目的地である「森の泉」を目指して、湿った腐葉土を踏みしめながら慎重に歩みを進めていた。


「……っ」

 不意に、背後で小さな吐息が漏れた。

 振り返るとセリアが虚ろな瞳で、今まさに力なく倒れようとしていた。


「セリア!?」

 俺は咄嗟に身を翻し、地面に倒れ込もうとした彼女の華奢な体を間一髪で抱き留めた。


 腕の中に収まったセリアの体は、ひどく冷たかった。まるで糸が切れた操り人形のようにぐったりとしており、呼びかけにも応じない。その瞼は固く閉じられているが、安らかな眠りではないことは一目でわかった。

 眉根を寄せ、浅い呼吸を繰り返し、何か見えない恐怖に怯えるように微かに震えている。


 ただ事ではない。俺が焦燥感に駆られたその時、黒い影が静かに歩み寄ってきた。シリウスだ。


 漆黒の毛並みを持つナイトメアの彼は、無言のまま、苦痛に顔を歪めるセリアの頬に、自らの冷たい鼻先をそっと押し当てた。

 するとどうだろう。魔法のようにセリアの強張っていた表情がスッと解け、浅かった呼吸がゆっくりと穏やかなものへと変わっていく。


『……ナイトメアから、精神攻撃《悪夢》を受けた』

 シリウスの低い念話が、俺の脳内に直接響いた。同族の仕業であることを告げるその声には、微かな葛藤と、明確な怒りが滲んでいた。


「ふざけるなッ!!」

 甲高い、けれど確かな怒気に満ちた声と共に、空間に開いたハッチからファルが飛び出してきた。


 龍玉から飛び出し、自由自在に体長を変化させることが可能になったファル。

 今はシリウスと同サイズに変化させ、周囲への怒りを漂わせる。

 いつものおちゃらけた雰囲気は、完全に消し去っていた。


「僕の家族に手を出したのは、どこのどいつだ!? 許さない、絶対にぶっ飛ばしてやるからな!!」

 少年のような、少し背伸びをした口調。しかし、そこに込められた感情は紛れもない


「家族を傷つけられた者の本気の怒り」

だった。全身の毛を逆立て、周囲の闇を睨みつけるファルの姿は、圧倒的な強者の威厳に満ちている。


 俺は深く息を吐き、心を落ち着かせると、眠りについたセリアを抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこの体勢だ。

 両手が完全に塞がってしまうが、今は彼女を安全に運ぶことが最優先だ。


「ぷるるるッ!!」

 俺の腕の中で眠るセリアの胸の上に、どこからともなくプルちゃんが飛び乗ってきた。普段はのんびり屋のスライムであるプルちゃんも、今は体を棘のようにツンツンと尖らせている。

 『僕の大切な友達をいじめたのは誰だ!』とでも言わんばかりに、懸命に辺りを警戒し、威嚇の音を鳴らしている。


 そんな仲間たちの姿を見つめながら、シリウスはどこか居心地の悪そうな、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。無理もない。攻撃を仕掛けてきたのは、他でもない彼の同族——ナイトメアたちなのだから。


 両手が塞がっている俺は、セリアを抱えたまま少し身を屈め、自分の肩でシリウスの首筋をぐりぐりと擦った。


「……」

 驚いたように顔を上げたシリウスと、しっかりと視線を合わせる。言葉は要らない。『お前が気にする必要はない、俺たちは家族だ』という意思表示だ。


 シリウスの瞳が揺れ、やがて安心したように細められた。

 ふと見ると、セリアの胸の上で猛烈に威嚇していたはずのプルちゃんが、いつの間に意識を失っていた。プルちゃんも精神攻撃に抗えなかったらしい。

 シリウスは鼻を鳴らすと、眠るプルちゃんにもそっと鼻先をこすりつけた。プルちゃんは心地よさそうに身を震わせ、呼吸が穏やかになる。


 ファルとシリウスは、俺とセリアを守るように両脇を陣取り、濃密な闇の奥へと鋭い視線を向けた。


『エルヴァンには、僕の加護がかかっている。だから、奴らの悪夢は君には絶対に効かない』

 シリウスの頼もしい声が響く。だが、敵もただ傍観しているつもりはないらしい。


 背後の死角。木々の隙間から、突然、赤黒い炎の塊が俺たちに向けて射出された。

 だが、それが俺たちに届くよりも早く、ファルが振り返りざまに息を吹きかけた。ただの呼気ではない、竜の魔力が込められた一息だ。赤い炎は空中でバチバチと音を立て、あっという間に霧散して消滅した。


「グルルルルルッ……!!」

 ファルの喉の奥から、地鳴りのような咆哮が漏れる。これ以上の手出しは命の保証をしないという、明確な殺意だ。


 その時だった。


『——数年前に我らの群れを追われた、あの出来損ないの異端児か。

 己の汚らわしさを自覚せず、あろうことか唾棄すべき人間どもをこの神聖なる森へ連れ込むとは……一体、何のつもりだ?』

 声は、どこからともなく響いてきた。耳で聞く音ではなく、直接脳内を揺さぶるような、威厳と傲慢さに満ちた念話。


『ここは我ら気高きナイトメアの領分である。薄汚い人間どもよ、今すぐその忌み子を置いて立ち去れ。さもなくば、永遠の悪夢の中で朽ち果てることとなろう』

 姿は見えないが、周囲の闇という闇から、無数の殺気が俺たちへと突き刺さる。


 俺はセリアを抱え直しながら、努めて冷静な声を張り上げた。


「俺たちは、この森の奥にある泉を目指しているだけだ! あんたらナイトメアに危害を加えるつもりはない。ただ、素通りさせてくれればそれでいい!」

 争う理由は無い。言葉が通じる相手ならば、交渉の余地はあるはずだ。


 しかし、俺の言葉に対する返答は、四方八方から湧き上がる馬のいななきだった。


『反吐が出る! 人間の分際で我らに口を利くか!』


『汚物が我らの大地を踏むな!』


『その忌み子ごと、燃やし尽くしてやろう!』


 耳障りな罵詈雑言が、雨あられのように降り注ぐ。交渉の余地など、最初から存在しなかったのだ。

 我慢の限界を超えたファルが、今度こそ本気の咆哮を放とうと大きく息を吸い込んだ——その瞬間。


「ガアァァァァァァッ!!!」

 森を震わせたのは、ファルではなく、シリウスの怒りに満ちた咆哮だった。


『……僕のエルヴァンを、愚弄するな』

 静かだが、マグマのように煮えたぎる怒りを孕んだ言葉。


『この人間たちは、僕の新しい家族だ。そして、このエルヴァンは僕の「主」だ。僕の主を侮辱する者は、たとえ同族であろうと、誰であろうと絶対に許さない』

 シリウスの漆黒の毛並みから、青白い炎がゆらゆらと立ち昇り始める。


『コソコソと隠れていないで、姿を現せ!』

 その宣戦布告ともとれる叫びは、宵闇の森の空気を一変させるほどに、力強く、そして誇り高いものだった。

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