第70話:世界樹
「ノワールちゃん、右から来るわ! お願い!」
「シャァァッ!」
ニーナの的確な指示を受け、漆黒の暗殺者ノワールが影のように地を蹴る。鋭い爪が一閃し、巨大な猪の喉笛を正確に切り裂いた。
だが、その死角からもう一頭のマッドボアが、ニーナを目指して突進してくる。
「しまっ――」
「コォン!」
ニーナが剣を構え直すよりも早く、後方で欠伸をしていたハクビの瞳が、ふわりと青白く発光した。
次の瞬間。突進してきていたマッドボアの巨体が、まるで透明な巨人に掴まれたかのようにフワリと宙に浮き上がり――そのまま凄まじい勢いで、横の岩肌へと激突させられた。
ドゴォォォンッ!!
岩が砕け散り、マッドボアは一撃で沈黙した。
ハクビが持つもう一つの希少能力――『念動力』である。炎を操るだけでなく、物理的な干渉すら可能とする規格外の力だが、ハクビ自身は「マヂで体力使うし疲れるから嫌」という理由で滅多に使わない大技だった。
「ふう……助かったわ、ハクビちゃん! そして、頑張ったねノワールちゃん! 完璧な動きだったよ!」
ニーナが剣を鞘に収め、駆け寄ってきたノワールの頭をわしゃわしゃと撫でる。
すると、ノワールは気持ちよさそうに目を細めながら、喉を鳴らした。
『……主の指示が、的確だったからニャ』
「えへへ、そう? でも、ノワールちゃんの踏み込みのスピードが一番凄かったよ」
『当然ニャ。主の剣の動きに合わせて、アタシも飛び出すタイミングを微調整したニャ』
「あ、やっぱり! すごく助かったよー。そういえば、どこか怪我してない?」
『どこも怪我してないニャ。それより、主こそさっきの突進で足を――』
――ピタッ、と。
ニーナの撫でる手が止まり、ノワールの尻尾の動きも止まった。
静寂に包まれる……
一人と一匹は、ゆっくりとお互いの顔を見つめ合う。
「……ねえ、ノワールちゃん。今、飛び出すタイミングを微調整したって言った……?」
『……言ったニャ。主も、アタシに怪我はないかって聞いたニャ……』
「私の言葉、なんとなくの雰囲気じゃなくて、はっきり意味が伝わってる……?」
『主も、アタシの言葉が直接頭に響いてるのかニャ……?』
パチクリ、パチクリと、互いに瞬きを繰り返す。
そして次の瞬間、ニーナとノワールは弾かれたように飛び上がった。
「わ、私たち……しゃべってるーーーーッ!?」
『会話が……会話が成立してるニャーーーーッ!?』
驚愕に目を見開く一人と一匹。
テイマーが従魔と念話で直接意思疎通するなど、本来ならあり得ない奇跡だ。
いくら経験を積もうと、スオウや他のベテランテイマーたちを見れば分かる通り、種族の壁を越えて言葉を交わすことなどできない。
だが、ニーナとノワールには、身近に『エルヴァン』という規格外の存在がいた。
人間と魔物が当たり前のように言葉を交わし、食卓を囲み、心を通わせる。
その光景を毎日見てきたことで
「自分たちもああなれるかもしれない」
「絶対に分かり合えるはずだ」と強く信じることができた。
エルヴァンの存在がもたらした希望と、二人が築き上げた絶対の『相互信頼』が、不可能とされていた念話のパスを繋ぐという奇跡を生み出したのだ。
「す、すごい! すごいよノワールちゃん! 私たち、本当に心が通じ合ったんだね!」
『アタシも信じられないくらい嬉しいニャ、主! これでエルヴァンの前じゃなくても、存分にお話しできるニャ!
ガールズトークするニャン!』
ニーナとノワールが手を取ってぐるぐると飛び跳ねて喜んでいると、ハクビがトコトコと近づいてきて、ニーナを見上げた。
『マヂ!? ニーナ、ついに念話できるようになったの? じゃあウチの言葉も分かるっしょ?』
「ん? コォン、コォンって鳴いてるけど……どうしたの、ハクビちゃん?」
『……アレ? ウチの言葉は通じてないっぽい?』
どうやら、奇跡のパスが繋がったとはいえ、ニーナが会話できるのは『強い絆で結ばれ、正式に契約を交わした自身の従魔』だけのようだ。
その事実を知った瞬間、一人だけ蚊帳の外に置かれていたスオウが、扇子を地面に叩きつけて崩れ落ちた。
「な、なんたる理不尽……ッ! ニーナ殿が念話の奇跡に覚醒したというのに、なぜ! 正式な契約主であるこの私はいまだにハクビ殿の麗しきお声を聞くことができないのだぁぁぁッ!!」
「ええっと……スオウさん。念話って『絶対の相互信頼』がないと繋がらないみたいですし。その、ハクビちゃんから心の底では信頼されてないんじゃ……」
「そ、そんな馬鹿な! 私はこの命に代えてもハクビを愛し、崇拝しているというのに……ッ!」
『主。この白狐が「こんな変態と頭の中で直接会話するとかマヂ無理。キモいから近寄るな、念動力で空の彼方にぶっ飛ばすぞ」と言ってるニャ』
ノワールの容赦のない冷ややかな通訳に、スオウは「ぐふっ……!」と胸を押さえて倒れ伏した。
ハクビの言葉が直接は分からなくても、ノワールが通訳してくれるなら意思疎通には困らない。
ニーナは「スオウさん、ドンマイ」と心の中で同情しつつも、一行は再び歩みを進めた。
***
そして、数時間の行軍の末。
ついにニーナたちは、目的の地である『ロアの大穴』へと辿り着いた。
「……嘘でしょ。ここが……」
大穴の縁に立ったニーナは、眼下に広がる光景に息を呑んだ。
底が見えないほど深く巨大な渓谷。その深淵から、天を衝くほどの巨大な『うねる植物の根』が何本もせり出し、複雑に絡み合って不気味な迷宮を形成していた。
だが、ニーナを驚かせたのはその巨大さだけではない。
「……空気が、ひどく淀んでる」
大穴の周辺だけ、大気が黒ずんでいるかのように重く、息をするだけで肺の奥がチリチリと焼けるような不快感があった。明らかに『汚れた魔力』がこの場所に滞留しているのだ。
『主、気をつけるニャ。並の魔物なら、この空気を吸っただけで狂暴化して狂死するレベルの瘴気だニャ』
ノワールの警告に、スオウも扇子で口元を覆いながら顔をしかめた。
「うむ……。本当にこんな禍々しい場所に、神話の『世界樹』があるというのか? 世界樹といえば、生命の息吹と清らかな魔力の象徴であろうに」
スオウの疑問はもっともだ。
しかし、ニーナは王都の図書館で読んだ、ある古い伝承を思い出していた。
「……ねえ。世界樹って、ただ綺麗な魔力を振りまく存在じゃないのかもしれないわ。
私が読んだ本には、世界樹は『大地の穢れを吸い上げ、浄化するフィルター』の役割を持っているって書かれていたの」
「浄化するフィルター、だと?」
「ええ。現実世界でも、空気が悪くなれば浄化する仕組みが必要になるでしょ? 今、世界中で魔力のバランスが崩れて、こういう『汚れた魔力』が溢れ出そうとしている。
……だからこそ、それを浄化するために、世界樹の根がここで復活したんじゃないかしら?」
ニーナの推論に、ハクビとノワールも「なるほど」とばかりに頷いた。
もしそれが真実なら、世界樹は今まさに、この世界の危機を救おうと必死に瘴気を吸い上げている最中ということになる。
「……でも、考えても分からないわね! 私たちの目的は、この奥にあるかもしれない『世界樹の果実』を手に入れることなんだから!」
「ふはは! 左様! 瘴気があろうと迷宮だろうと、我が盟友の悲願のため、このスオウが道を切り開いてみせよう!」
ニーナがパンッと両頬を叩いて気合を入れ直すと、スオウもいつもの調子を取り戻して高らかに笑った。
「ノワールちゃん、ハクビちゃん。エルヴァンさんがいなくて不安かもしれないけど、私が絶対みんなを守るから。一緒に行こう!」
『ニャァ!(アタシが主を守るニャ!)』
「「コォン!(こんな空気悪いとこ、ウチの毛並みが痛む前にサクッと終わらせるっしょ!)」
淀んだ空気が渦巻く巨大な迷宮の入り口。
念話という新たな力を得た若きテイマーは、それぞれの決意を胸に、未知なる世界樹の根の深淵へと足を踏み入れたのだった。
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