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第65話:おさわり代は金貨1枚

 迷宮『翠緑の箱庭』から帰還して、数日が過ぎた。

 俺たちは王都にあるギルドハウスで、束の間の休息を楽しんでいた。


「よし、これで手続きは完了だ。今日からお前も俺たちのギルド『白竜の翼』の一員だぞ、スオウ」


 俺がギルドの紋章が刻まれたプレートを差し出すと、スオウはそれを宝物のように恭しく受け取った。


「感謝する、エルヴァン。まさか、かつて俺を追い出したテイマーギルドとは真逆の、これほど温かく、そして『美食』に満ちた場所に居場所を見つけられるとは……。俺はこの命と扇子に代えても、このギルドのモフモフたちを守り抜くと誓おう」


 相変わらず重苦しい誓いだが、その目はキラキラと輝いている。

 そんな彼の横では、九尾の狐――ハクビが、ギルドのソファを完全に占領して優雅に寛いでいた。


「コォン♪」

『マヂこのギルドハウスのソファ、ふっかふかで最高じゃね? ウチ、もうここから動きたくないしー』


 ハクビは自慢の九つの尾を扇状に広げ、前足のネイルを磨くような仕草を見せている。

 そこに、コツ、コツと硬質な靴音と共に一人の男が姿を現した。


「失礼するよ、エルヴァン殿。無事に迷宮から戻ったと聞いてね」


 やってきたのは、王都軍務局・特務調査官のユリウス・フォン・ローゼンベルク子爵だ。

 銀髪に切れ長で冷ややかな氷のような瞳。豪奢だが機能的な軍務局の制服に身を包んだ彼は、一見すると他者を見下す高慢なエリート貴族そのものだ。


「……ほう。これが噂の、伝説の霊獣『九尾の狐』ですか」


 ユリウスは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、ゆっくりとハクビに近づいた。

 その氷のような瞳が、ハクビの白銀の毛並みを捉えた瞬間。


「……私は自他共に認める、重度の猫派です。ええ、我が家の気位の高い黒猫こそが至高であり、闇夜を切り取ったかのような艶やかな漆黒の毛並みと魅惑的な肉球の完璧さは言うに及ばず、私がいくら高級な餌を用意しても気まぐれにしか食べないくせに私が急ぎの書類仕事をしている時に限って机の上を占拠してインク瓶をなぎ倒すあの暴君のごとき振る舞いこそが生命の進化の到達点であり、つまるところすべての動物は人間に媚びず従属魔法などという野蛮な術理に縛られないあの完全なる自由気ままな姿であるべきだと常日頃から軍務局の部下たちにも熱弁を振るっているのですが」


「ニャァ?!」

『ユリウス、早口キモいニャ!? 浮気は許さないニャ。アタシという立派なクァールがいながらニャ』


息継ぎもせずにまくし立てるユリウスにノワールがドン引きしながら抗議する。ユリウスも「分かっていますよ、ノワールちゃん。私の心は常に猫と共にあります」と真顔で頷くが、その足は完全にハクビへと吸い寄せられていた。


「……しかし。この白銀の毛並み、そして九つの尾が織りなす圧倒的なボリューム。猫とは明確に異なる種族でありながら、これはなかなか……侮れないですね」


 特務調査官としての冷徹な仮面をあっさりと投げ捨てたユリウスは、震える手を伸ばし、ハクビの背中の毛にそっと触れた。その瞬間、彼の理知的な表情が、以前俺に見せたような、人間らしく蕩けるような笑みへと変わった。


「……素晴らしい。まるで天上界の雲をそのまま紡ぎ出したかのような指が深々と沈み込むほどの圧倒的な毛の密度でありながらも一本一本が極上のシルクのような滑らかさを保って独立しており、指先から伝わってくるこの神々しいまでの弾力と温もりは日々の軍務局における終わりの見えない書類仕事や無能な上層部との不毛な会議によって蓄積された私の精神的及び肉体的な疲労を文字通り魂の底から完全に浄化し尽くしていく究極の癒やしでありこれはもはや国家の最高機密として保護すべきレベルの……ッ!」


「ちょ、ユリウスさん、早口で何言ってるか分かりません!!

 ……それと顔がヤバいことになってますよ」


 完全に「重度のモフモフ過激派」の顔になっているユリウスを、触られていたハクビが「やれやれ」といった様子で見下ろし、器用に前足で彼を制した。


「コォン」

『ちょっとアンタ、タダで触れるとか思ってないよね?

 ウチのモフモフ、マヂでブランドもんだし。とりあえず、30分につき金貨1枚からで。延長は倍ね?』


「……あー、ユリウスさん。ハクビが、『タダで触れると思うな。30分につき金貨1枚、延長は倍だ』と言っています」


「なっ……課金が必要な霊獣ですか!? 伝説の存在が、なんと世俗的な……!」


 ユリウスは驚愕しつつも、「……だが、軍の経費で落ちないものか……いや、自腹でもその価値はある」と真顔で懐から財布を取り出そうとした。


「いいから止めてください! お前もキャバ嬢みたいな商売始めようとすんな!」

 俺がハクビの頭を軽く小突くと、彼女は「ちぇっ」と舌を出しててへぺろのポーズを決める。


 ユリウスは名残惜しそうにハクビから手を離すと、小さく咳払いをして、無理やり特務調査官としての冷徹な表情を作り直した。


「……コホン。少々、私情が過ぎましたね。……さて、エルヴァン殿。ここからは軍務局の人間として、真面目な話をさせていただきたい」


 ユリウスがソファの対面に座り、まっすぐ俺を見つめる。その瞳には、先ほどのただの動物好きの影は微塵もなく、国を背負う調査官としての鋭い光が宿っていた。


「……あなたという人は、またとんでもないものを拾ってきましたね?」


 ユリウスの視線が、俺の傍らに置かれた『黒龍玉』へと向けられた。

 中に眠る、不完全な状態で目覚めた古竜の気配を、彼は敏感に察知していた。


「隠そうとしても無駄ですよ。あなたの周りの魔力濃度が、以前とは比較にならないほど上がっています。伝説の霊獣ハクビ、そして……

 

 その黒い玉から感じる、禍々しくも神聖なプレッシャー。伝承にのみ名を残す『黒き古竜』の気配すら感じます」


「……気付いてましたか。さすがユリウスさん」


 ユリウスは重々しく息を吐き、声を潜めた。


「本来なら数百年かかるはずの古竜の復活が、わずか数十年で始まった。我が国の軍の観測班も、大気中の魔力の異常なうねりを捉えています。

 ……エルヴァン殿。

 私は当初、国が近隣諸国との『戦争』を見据え、国力増強という名目であなたのような優秀なテイマーを囲い込もうとしているのだと考えていました。私があなたを査定しに来たのも、その一環だと」


「ええ、俺もそう思ってましたよ。だから、戦争の道具にされないよう、あなたに『無能な動物好き』として見逃してもらったわけですからね」


「しかし、どうもきな臭い。私が独自に調査したところ……国の上層部、ごく一部の重鎮たちは、明確に『何か』を隠蔽しています」

 ユリウスの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。


「彼らが狂気じみた執念で戦力をかき集めている理由は、他国との戦争などという次元の話ではないかもしれない。この異常な魔力の乱れ、そして本来あり得ない古竜の早期覚醒……。

 国の上層部は、これらと結びつく『恐るべき事実』を把握した上で、国内のパニックを防ぐために口を閉ざしている。……私には、そう思えてならないのです」


 黒龍ゼノスが言っていた、『世界を揺るがす異変』の前兆。

 国の上層部もまた、何らかの形でその厄災の接近に気付き、極秘裏に動いているということか。


「……国が何を企み、何を恐れているのか、全容はまだ掴めていません。ですが、あなたが意図せずとも、運命はあなたを中心に回り始めているようだ。……『白竜の翼』。この小さなギルドが、いずれその『隠された真実』の渦中に巻き込まれるかもしれない。私は、そう危惧しています」


ユリウスの言葉に、ギルドハウス内にしんとした静寂が流れる。

 その時。俺の腰に提げた――龍玉状態のファルがパカッとハッチを開き、短い腕を伸ばして大きな欠伸をした。


『ふぁ〜あ。エルー、おなかすいたー。おそと、もう暗いよー?』


緊迫した空気を完全にぶち壊す、呑気な幼児の声。

 俺がギクッとしてユリウスを見ると、彼はファルをちらりと一瞥した後、フッと薄く笑った。


「……相変わらず、その『光るおもちゃ』は随分と高性能で、意思を持っているかのように愛らしいですね。ですが、私の目にはただの玩具にしか見えません。ええ、報告書にも『珍しい魔導具』とだけ記載しておきましょう」


 ユリウスは、あえて白竜の存在を公にしないというスタンスを貫いてくれている。国に戦争で利用されないようにという理由だが……。


「……白き玩具も、黒き玉も、軍務局には『存在しない』。……そういうことにしておきます。国家の思惑がどうあれ、あなたの作る平穏な時間は、奪われるべきではないですからね」


「ユリウスさん……。ありがとうございます」


 俺が礼を言うと、俺の周りでハクビが「お肉、マヂ多めで!」と尻尾を振った。


 ユリウスは呆れたように肩をすくめながらも、少しだけ安心したように微笑んだ。


「……ふふ。その能天気さこそが、今の世界には一番必要なのかもしれませんね。……エルヴァン殿、今夜は私もご相伴に預かってよろしいですか?  もちろん、ハクビさんの『指名料』とは別枠で」


 国の上層部がひた隠しにする『恐るべき事実』。それが何なのか、俺には想像もつかない。

 だが、このままいけば遠くない未来、俺たち『白竜の翼』もその隠蔽された厄災の渦に否応なく巻き込まれてしまうのかもしれない。

 得体の知れない不安が、胸の奥に薄暗い影を落とす。世界規模の危機なんて、美味しいご飯を作って動物たちと平穏に暮らしたいだけの俺には、あまりにも荷が重すぎる。


「きゅるるるるぅ~……」

 不意に、静寂を破って盛大な腹の虫が鳴り響いた。

 見下ろすと、龍玉から身を乗り出したファルが、短い腕でお腹を押さえながら涙目でこちらを見上げている。


『エルー……おなかすいた……ペコペコだよぉ』

『マヂで限界! お肉! 早くお肉!』


ハクビがバンバンと尻尾で床を叩き、ノワールやシリウスたちも、俺の顔を腹ペコな期待に満ちた目で見つめていた。


 ……まあ、そういうことだ。

 国が何を企んでいようが、世界にどんな激動が迫っていようが、腹は減る。生き物である以上、美味い飯を食わねば戦えないのだ。


「よし、不吉な話は一旦ここまでだ!

 ユリウスさん、もちろん歓迎しますよ。ただし今日の献立は、迷宮の食材をたっぷり使った激辛の『黒き古竜風麻婆豆腐』です。辛いのは大丈夫ですか?」


「ええ、望むところです」


 俺たちの前途には、間違いなく多難な運命が待ち受けている。

 だがその厄介な不安は、鼻を突く唐辛子とスパイスの強烈な香りと共に、とりあえず燃え盛る中華鍋の底へと沈めておくことにした。

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九尾ではないけど 狐のお嫁さん https://youtu.be/l9WW_Jaeu2g?si=EY66oLzFnpPOdBPX
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