第56話:翠緑の箱庭と、引きこもりの古竜
街道を外れ、鬱蒼とした北西の森を奥へ奥へと進むこと数時間。
空気がにわかに冷たくなり、肌をピリピリと刺すような濃密な魔力が漂い始めた。
「エルヴァンさん……なんだか、空気が重いです」
ニーナが少し緊張した面持ちで、頭の上のプルちゃんを両手で押さえる。
だが、先頭を歩くノワールは大あくびをしており、シリウスも道端の草をむしゃむしゃと食むなど、全く意に介していない様子だ。
『エルヴァン、ここの魔力は濃いけど、美味しい獲物の匂いがいっぱいするニャ』
『エルヴァン様、この程度の魔力圧など我らにはそよ風に等しいですな。それより、この道端の草、なかなか風味が良いですぞ。迷宮の土壌の豊かさが窺えます』
二匹の頼もしい念話に、俺は苦笑して頷いた。
そして、木々が開けた先に、それは唐突に姿を現した。
「ここが……『迷宮』の入り口か」
巨大な岩壁に穿たれた、見上げるほど巨大な石造りの門。
周囲には淡く発光する苔が群生し、太古の意匠が彫り込まれた柱には、太い蔦が幾重にも巻き付いている。朽ちてはいるが、そこからは圧倒的な強者の気配と、深遠なる魔力が脈打つように溢れ出していた。
その時、俺の胸元の革ホルダーから、小さなファルがポンッと飛び出し、トコトコと短い足で地面に降り立った。
「……前からうすうす気になってたんだが。ファル、お前って龍玉から出ると途端に巨大化するんじゃなかったか?
いつからその小さいサイズのまま、外を歩き回れるようになったんだ?」
俺のツッコミに、ファルは短い尻尾を振りながら軽いノリで答えた。
『えへへー! なんか、気づいたらできるよーになってたの!』
「古竜の神秘とか威厳はどうなってんだよ……。
まあいい。それより、お前の命の核である『龍玉』はどうするんだ? 外を歩くなら自分で持たないのか?」
俺がホルダーに入ったままの水晶玉を指差すと、ファルは首を横に振った。
『それ、おもたいから、エルが預かっといてね! 落としちゃダメだよー?』
「命の核の扱いがぞんざいすぎるだろ……」
神聖な魂の住処をただの手荷物扱いするシュールさに俺が頭を抱えていると、ファルは少し前に出て、淡い光に包まれた。
そして次の瞬間、夜空を覆う巨大で美しい白竜の姿へと変じた。元の姿に戻ったことで、その口調と纏う空気も一変する。
『……うむ。間違いない。ここが黒龍ゼノスの遺した庭の入り口じゃ。かつては美しい花々が咲き乱れる白亜の門じゃったが、数千年の時を経てずいぶんと苔生してしもうたな。
……だが、内側から溢れるこの濃密な魔力、間違いなく奥底で新しい命が産声を上げておるわ』
荘厳な声で語るファル。その巨体と相まって、神話の一片を見ているかのような神聖な空気が場を包み込む。
語り終えた次の瞬間、ファルはシュンッと縮んで光の粒子になり、俺の胸元の龍玉へと猛烈なスライディングで戻っていった。
『お外、あぶないし疲れるから、ファルはお家のなかで待ってるー! ごはんの時だけ呼んでね!』
「お前……さっき外を歩けるようになったって自慢したばかりだろうが! 完全な引きこもりじゃねえか!」
ハッチからひょっこり顔を出して欠伸をする幼児竜に、俺は深い溜息をついた。
時刻はすでに夕暮れに差し掛かっていた。
いくら従魔たちが規格外とはいえ、未知の迷宮に夜から挑むのは賢明ではない。
「今日はこの門の前で野営して、明日の朝一番で突入しよう」
俺がそう言うと、ニーナはホッとしたように頷いた。
俺は腰の『四次元の革袋』から、真新しい大型の魔導テントを取り出し、あっという間に設営を終える。さらに、折りたたみ式のテーブルと椅子、そして野外用の大型コンロをセットした。
「さて、明日の本格的な探索に向けて、今夜はスタミナのつくがっつり飯だ」
俺が取り出したのは、マジックバッグの奥でしっかりと低温熟成させておいた、骨付きの巨大なオーク肉だ。
これに特製のハーブ塩を擦り込み、豪快に直火で炙っていく。滴り落ちる脂が炎を跳ね上げ、香ばしい肉の匂いが古代遺跡の入り口に充満する。
表面がカリッと焼き上がったら、大振りに切った根菜と一緒に、トマトベースのスープでじっくりと煮込む。
『オーク肉の骨付きトマト煮込み』の完成だ。
「うわぁ……お肉がホロホロです! トマトの酸味でいくらでも食べられちゃいますね!」
『このオークのお肉、すごく柔らかくて美味しいニャ! 狩りの疲れが吹き飛ぶニャ!』
『直火の香ばしさとハーブ塩の塩梅が絶妙ですな。いくらでも腹に入りそうですぞ!』
ニーナが満面の笑みで肉を頬張り、ノワールとシリウスも顔をスープまみれにしながら夢中で食らいつき、俺に嬉しそうな念話を送ってくる。
『エルー! おにく、やわらかくておいちー! あしたも、これくらいいっぱいたべるー!』
龍玉の窓から顔を出したファルも、小さな両手で自分サイズの骨を持ち、幸せそうに齧り付いていた。
背後には、強大な魔力を放つ未知の迷宮。
いつ強力な魔物が飛び出してきてもおかしくない危険地帯のはずなのだが、俺たちの周りだけは、いつもの食卓の雰囲気と何ら変わらない、温かくて騒がしい夕食の時間が流れていた。
「よし、腹ごしらえも済んだし、今日はゆっくり休もう。明日からいよいよ、迷宮キャンプの始まりだ」
古代竜の遺した庭園には、一体どんな極上食材が眠っているのか。
俺たちは満天の星空の下、テントのふかふかの寝袋へと潜り込み、明日の冒険に胸を躍らせながら眠りにつくのだった。
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