第54話:迷宮へ
ギルドハウスに帰還した俺は、さっそく厨房に立ち、討伐したばかりの突進猪の肉を調理し始めた。
分厚く切り出したロース肉の表面を香ばしく焼き上げ、セリアさんが用意してくれた果実を煮詰めた特製の甘酸っぱいソースをたっぷりとかける。
あっという間に、食堂は食欲をそそる暴力的な匂いに包まれた。
「う、うまままっ! エルヴァンさん、このお肉すっごく柔らかいです!」
「セリアの作ってくれた野菜スープも、肉の脂をさっぱり流してくれて最高に合うな」
「ふふっ、ありがとうございます。皆さんが無事に帰ってきてくれて、こうして一緒にご飯を食べられるのが一番のスパイスですからね」
エプロン姿のセリアが嬉しそうに微笑む。
足元では、ノワールとシリウスが自分たちの分のステーキをぺろりと平らげ、もっとくれと尻尾を振っていた。
『えへへー! おにく、とぉってもおいちー! あまくてやわらかくて……あっ、エル! おにく、もうないよ! おかわりー!』
「はいはい。ほらよ」
食堂のテーブルの上に置かれた硬い水晶玉――『龍玉』。その表面にポッカリと開いたハッチのような小さな窓から、ちょこんと顔と短い前足だけを出して、ファルが器用に追加の肉を頬張っている。
元の巨大な体で食べれば一口で終わってしまう量でも、こうして龍玉の中から小さなサイズで顔を出して食べれば、極上の肉を腹いっぱい、いつまでも味わい続けられるらしい。実に食い意地の張った古竜である。
「……そういえばファル、お前に一つ聞きたいことがあったんだ」
『むぅ? なぁに、エル? ソースのひみつ、おしえてくれるの?』
「いや、お前料理しないだろ……
そんなことじゃなくてな、今日ギルドで少し気になる噂を聞いてな。
この街から北西に進んだ山奥に、古い遺跡が入り口になっている未踏破の迷宮があるらしいんだ。ここ数日で、そこから急に『強大な魔力反応』が噴出し始めているそうなんだが、何か心当たりはないか?」
俺の言葉に、肉を咀嚼していたファルの動きがピタリと止まった。
ファルは短い前足で口元を拭うと、ハッチからズルリと這い出し、トコトコと短い足で中庭へ向かった。そして淡い光に包まれたかと思うと、夜空を覆うほどの巨大で美しい白竜の本来の姿へと戻る。
『……ふむ。北西の遺跡……まさか、「翠緑の箱庭」のことかのう』
夜風に銀色の鬣を揺らし、天空に浮かぶ月を懐かしむように見上げながら、ファルが重々しい声で呟いた。
つい先ほどまで「おかわりー!」とはしゃいでいた姿からは想像もつかないほど、その横顔には神秘的な古竜の威厳が漂っている。
「翠緑の箱庭? ファルの知り合いの場所なのか?」
『うむ。あれは本来、お主ら人間が言うような危険な迷宮ではない。
儂の古い友人であった黒龍のゼノスが、世界中から珍しい植物や魔物を集めて造り上げた、巨大な生態系じゃよ。
……もっとも、あやつはずいぶん昔に寿命で死んでしもうたがな』
「死んだ? じゃあ、最近になって急に観測され始めた強力な魔力反応って……」
『おそらく、新しい黒龍が目覚めたのじゃろうな』
ファルは自身の鋭い爪で歯に挟まった肉の繊維をシーシーと取りながら、さも当然のように言った。
『我ら古竜はな、病死しようが老衰しようが、あるいは討伐されようが、完全に消滅することはない。
残された『龍玉』が核となって、また同じ属性を持った新しい古竜が生まれるのじゃ。先代の一部の記憶を引き継いでな。
今回の魔力反応は、ゼノスが遺した龍玉から、新たな黒龍が孵化した産声のようなものじゃろうて』
「…………は?」
俺は、自分の耳を疑った。
そして、テーブルの上に置かれたままの硬い水晶玉――ファルの『龍玉』を震える指で指差した。
「えっと……つまり。この龍玉っていうのは、古竜が新しく生まれ変わるための、命の核であり、超重要な神聖なアイテム……ってことか?」
『そうじゃが? 何を今さら驚いておる』
「お前っ、そんな大事なもんを今までずっと、ネギとか干物とか入れるマジックバッグ代わりに使わせてたのか!?」
俺の悲鳴に近いツッコミに、ニーナが「ひぇっ!?」と声を上げ、セリアさんも「なんてことを……!」と口元を押さえて絶句した。
だって、ついさっきまでこの中に血抜きした生肉を入れていたのだ。
命の核を日々の買い物のエコバッグにしていたなんて、テイマーとして、いや倫理的に大問題だ。
『べ、別に減るもんじゃないじゃろ! 儂かて、お主の作った美味い飯の匂いがするから我慢しておったんじゃ!
だが最近はほんのりニンニクや出汁の匂いが染み付いてきて、さすがに儂の神聖なる魂の住処としてどうなのかと思い始めてはおったがな!』
「……明日の朝一番で買いに行くぞ。ちゃんとしたマジックバッグをな!!」
俺は青ざめた顔で宣言した。
翌朝、俺はニーナとシリウス、ノワールを連れて、街で一番の品揃えを誇る高級魔導具店へと駆け込んだ。
「いらっしゃいませ。……おや、これは『白竜の翼』のエルヴァン様! 本日はどのようなお品をお探しで?」
すっかり街の有名人になった俺を見て、店主が揉み手で擦り寄ってくる。
俺はそこで、最高級の『四次元の革袋』を購入した。見た目はただの小さな肩掛けカバンだが、内部は時間が停止した巨大な空間になっており、数トンの荷物を収納しても重さを一切感じさせないという一級品だ。
これで心置きなく迷宮の食材を詰め込めるし、ファルの龍玉を生臭くすることも一切なくなる。
「よし、次は……これだな」
さらに俺が購入したのは、二枚一対となった『共鳴の魔導鏡』だ。
これを使えば、どれだけ離れていても、あるいは分厚い岩盤に阻まれた迷宮の深層にいても、鏡を通じて声と姿を届けることができる。
買い物を終え、ギルドハウスに戻った俺は、新しい革袋にキャンプ道具や愛用の調理器具を詰め込んだ。
そして、留守を預かるセリアさんに、共鳴の魔導鏡の一枚を手渡した。
「セリアさん。俺たちが迷宮に潜っている間、ギルドハウスの管理と、ロランさんたちへの連絡係をお願いします。何か緊急事態が起きたら、すぐにこの鏡で俺を呼んでください。必ず駆けつけますから」
「はいっ、お任せくださいエルヴァンさん! 皆さんの帰る場所は、私とプルちゃんでしっかり守っておきますから!」
胸を張るセリアさんの足元で、スライムのプルちゃんが『プルル~!』と頼もしく弾んでみせた。
ニーナも真新しい冒険者用の軽鎧に身を包み、緊張と期待が入り交じった表情をしている。ノワールはしなやかな体を伸ばして準備万端といった様子だ。シリウスはすでに戦意十分で、蹄からパチリと青い火花を散らせていた。
「準備は整った。ファル、お前の旧友が遺した『庭』と、そこにいる新しい黒龍に会いに行こうぜ」
俺の言葉に、巨大な白竜は光の粒子となって俺の懐にある龍玉へと収まった。
『わーい! エル、ゼノスのおにわで、おいちーごはんいーっぱい作るのー!』
調子の良い古竜に苦笑しつつ、俺は真新しい腰の革袋を軽く叩いた。
頼もしいモフモフの家族たちと共に、見送るセリアさんに手を振り、見慣れた街の景色を背にして歩き出す。
目指すは、古代竜が残した未知の生態系――『翠緑の箱庭』。
はぐれテイマーと規格外の従魔たちによる、極上食材とスローライフな迷宮探索が、いよいよ幕を開ける。
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