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第51話:失われた幸運と、陽だまりのしっぽ亭の危機(前編)

『ふぁ〜あ……。ぽかぽかして気持ちいいのう。お日様の匂いがする芝生は最高じゃ。儂は今日もここで昼寝をするぞ』


縁側から続くよく手入れされた芝生の上で、本来の白竜の姿……から、さらに二回りほど小さくなった犬くらいのサイズで、ファルは完全にヘソ天になって腹を出していた。

 以前は水晶玉のような『龍玉』の姿に入り、俺の懐に収まって一緒にお出かけすることも多かったのだが、この中庭の快適さを知ってしまってからは、すっかり出不精になってしまったのだ。


「お前なぁ、すっかりダラケきってるじゃないか。たまには運動しないと太るぞ?」

『失礼な! 儂は古竜じゃぞ! 運動などしなくてもスタイルは完璧じゃ! ほれ、プルよ、もっとそこをマッサージするのじゃ』

『プルル~』


 プルちゃんに背中をぽよぽよと叩かせながら、気持ちよさそうな顔をするファル。

 まあ、今まで長い間、暗い迷宮の奥底で一人寂しく過ごしてきたのだ。これくらい羽を伸ばさせてやってもいいだろう。


「わかったよ。俺は少し市場に買い出しに行ってくる。ついでに、久々にロランさんの宿にも顔を出してくるよ」

『うむ、気をつけてな。美味しいお土産を期待しておるぞ!』


 ファルたちを中庭に残し、俺は一人で街へと向かった。

 目的は買い出しと、かつて世話になっていた常宿『陽だまりのしっぽ亭』の主人であるロランと、その息子ルカに挨拶をすることだ。ギルドハウスができてからすっかり足が遠のいていたので、二人の顔を見るのも久しぶりだった。


 しかし、馴染みの通りに足を踏み入れた俺は、思わずその場で立ち止まってしまった。


「……なんだ、あれ?」


 陽だまりのしっぽ亭の真向かい。以前は空き地か古い倉庫があったはずの場所に、目が痛くなるほど金ピカで、無駄に装飾過多な『巨大な宿』がドカンと建っていたのだ。

 入り口では、派手な服を着たガラの悪い男たちが何人も立ち、道行く旅人や冒険者を半ば強引に引き入れている。


 嫌な予感を胸に抱きながら、俺はしっぽ亭の古びた、けれど温かみのある木の扉を開けた。


「こんにちは、ロランさん、ルカ。……って、あれ?」


 カラン、と乾いたベルの音が響いた店内は――しん、と静まり返っていた。

 昼時にもかかわらず、客の姿は一人もない。俺が初めてこの宿を訪れた時と同じように閑古鳥が鳴く、ガラガラの寂しい空間がそこには広がっていた。


「あっ……エルヴァンさん!?」


 カウンターの隅で、力なくテーブルを拭いていたルカがパッと顔を輝かせる。

 その声を聞きつけて、厨房の奥から宿主のロランが慌てて顔を出した。


「おおっ、エルヴァンさん! お久しぶりです、お元気でいらっしゃいましたか!?」


大声で笑いながら出てきたロランだったが、その顔を見て俺は息を呑んだ。

 目の下にはくっきりとどす黒いクマができ、頬はこけ、以前のような精悍な面影がすっかり薄れていたのだ。誰がどう見ても過労か、深刻なストレスを抱えている顔だった。


「ロランさん、どうしたんですかその顔。それに、お客さんが一人も……」


「はははっ! いやあ、今日はたまたま客足が落ち着いておりましてね!

 向かいに新しい宿ができたものですから、お客様も珍しがってそちらに行かれているだけですよ。私の体調も絶好調ですし、これからまたしっかりと巻き返していきますから、エルヴァンさんはどうかご心配なさらないでください!」


 ロランは無理に作ったような明るい笑顔で、バンバンと自分の胸を叩いてみせた。

 だが、その直後。厨房の奥に引っ込んだロランの様子をこっそり窺うと、彼は深く重いため息をつき、頭を抱えて壁にズルズルともたれかかっていた。


(……絶好調なわけがないな。完全に無理をしてる)


 俺は厨房から視線を外し、俯き加減で片付けをしているルカのそばに歩み寄った。


「ルカ。……水臭いな。何か困ったことがあるなら、遠慮せずに頼ってくれって言っただろ?」

「エルヴァンさん……」


俺の静かな、けれど真剣な問いかけに、ルカの肩がピクリと震えた。

 そして、耐えきれなくなったように、その大きな瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。


「うっ、ぐすっ……ごめんなさい……。実は、向かいにあの大きな宿ができてから、露骨な嫌がらせを受けてて……」


「嫌がらせ?」


「はい。いつもの業者さんに頼んだ新鮮な食材が、なぜか途中で荷車が壊れて届かなくなったり。向かいの客引きが『あの古臭い宿はネズミが出るぞ』って嘘の噂を流したり……。僕が買い出しに行っても、なぜか財布だけ落としちゃったりして……」


 ルカは袖で涙を拭いながら、これまでに起きた不運の数々を口にした。

 たしかに嫌がらせは悪質だが、それにしても「業者の荷車が壊れる」や「財布を落とす」といった、単なる『不運』としか言いようのないトラブルが多すぎる。


「でも、一番の問題はそれだけじゃないんです。エルヴァンさんには心配かけたくないから絶対に内緒にしろって、父さんに固く言われてたんですけど……」

「内緒? 俺に?」


「……はい。実は父さん、元々とんでもない『不幸体質』で……何をやっても裏目に出ちゃう星の下に生まれてるんです」

「不幸体質……?」

 ルカの告白に、俺はハッとした。


 俺がこの宿に滞在していた間、宿は連日大繁盛し、嫌がらせも一切なく、トラブルとは無縁だった。それはロランの腕が良かったからだとばかり思っていたが――。


(……なるほど。そういうことか)


 原因は明確だった。

 俺がここに滞在していた時、常に俺の傍ら――つまりこの宿には、龍玉に入った『ファル』がいた。


 幸運のホワイトドラゴンであるファルが持つ『幸運』の加護が、ロランの不幸体質を完全に中和し、むしろ豪運へと反転させていたのだ。

 しかし、俺たちがギルドハウスに引っ越し、ファルが庭でダラケてしまったせいで幸運は消失。ロラン本来の凄まじい不運と、向かいのライバル宿の悪辣な嫌がらせが見事に重なり、今のような悲惨な状況に陥ってしまったらしい。


「よし、事情はよくわかった。俺に任せておけ」

「えっ? エルヴァンさん、どこに行くんですか……?」


俺は一度ギルドハウスに戻ると、中庭をほとんど埋め尽くすほどの巨大な本来の姿(白竜)のまま、地響きのようなイビキをかいて幸せそうに爆睡しているファルに近づいた。

 そして、その巨大な鼻先をペチペチと叩き起こした。


『ふぎゃっ!? な、なんじゃエル! 儂は今、山ほどのお肉に囲まれるいい夢を……』

「いいから、さっさと龍玉の中に戻れ。お前の『幸運』の力が必要なんだよ」


 俺は懐から透明な水晶玉――龍玉を取り出し、寝ぼけているファルの巨大な目の前に突きつけた。


『ええーっ!? 嫌じゃ! 龍玉の中は狭いし、儂はここでお昼寝を……むぎゅわぁぁぁっ!?』


 文句を言って抵抗しようとするファルだったが、龍玉が発した光に包まれると、その巨大な体はあっという間に光の粒子となって、容赦なく硬い水晶玉の中に吸い込まれていった。

 ずっしりと重みを取り戻した龍玉を懐にしまい込み、俺は再びしっぽ亭へと舞い戻った。


「ルカ、これをしばらく預かってくれないか」


 俺は厨房の奥、客からは絶対に見えない休憩スペースにルカを呼び出し、コトリとテーブルの上に龍玉を置いた。


「あっ、ファルちゃん! お久しぶりです!」


 ルカが嬉しそうに顔をほころばせると、水晶玉の中でふてくされて丸くなっていたファルが、パチリと目を覚ました。


『ルカ、ひさしぶりなの! エルにむりやり連れてこられたのー! ずっとお庭で寝てたかったのにー!』


龍玉に入ったことで、すっかりいつもの幼児口調に戻ったファルが、不満げにポムポムと玉の壁を叩く。

 俺は苦笑しながら、ルカに耳打ちした。


「こいつは幸運の塊だから、ここに置いておけばロランさんの不運も、向かいの嫌がらせも全部弾き返せる。

 こいつは甘いものに目がない。毎日おやつの時間に、とびきり甘いお菓子をお供えしてやってくれ。そうすれば喜んでここにとどまるはずだ」


「ふふっ、わかりました。……ねえ、ファルちゃん。毎日おやつの時間に、僕が特製の甘いプリンを作ってあげる。だから、少しだけここで僕たちと一緒に過ごしてくれないかな?」


『えっ!? ほんと!? ルカのプリン、だーいすきなの! しょうがないから、しばらくここでルカをまもってあげるの!』


 特製プリンという言葉を聞いた瞬間、ファルは見事な手のひら返しを見せ、龍玉の中でバンザイをして喜んだ。


「よし、これで運気のガードは完璧だ」


 俺は腕をまくり、厨房の奥から疲れ切った顔のロランを振り返った。


「あとは、向かいの宿に奪われた客をどう呼び戻すかだな。ロランさん、少し厨房を借りるぞ。向かいの連中が絶対に真似できない、圧倒的な『旨味』で客を奪い返す!」

◆◆◆◇◇◇◆◆◆


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