第48話:冷徹なる特使再び
ニーナの初任務成功から数日後。
ギルド『白竜の翼』は、今日も平和な空気に包まれていた。中庭ではシリウスとノワールが日向ぼっこをし、プルちゃんがぽよんぽよんと跳ね回っている。
俺は執務室で、順調に増えてきた依頼書の整理をこなしながら、平穏な日々に胸を撫で下ろしていた。
――ガァァァァンッ!!
「エ、エルっ!! 大変ですっ!!」
突如、執務室のドアがぶっ壊れんばかりの勢いで開け放たれた。
飛び込んできたのは、涙目で顔面を蒼白にさせた秘書のセリアだ。その既視感のある光景に、治っていたはずの俺の胃痛がマッハで再発する。
「ど、どうしたセリア! まさか、また……」
「はい! 王都の軍務局から、特使のユリウス様が……再び重武装の騎士たちを引き連れて、正面玄関に乗り込んできました!!」
「な、なんだってぇぇぇっ!?」
俺はガタッと椅子を蹴立てて立ち上がった。
ユリウス・フォン・ローゼンベルク子爵。先日、俺たちを査察しに来た冷徹なエリート貴族だ。
彼は帰る間際、「報告書には『軍事の役には立たない』と書いておく」と約束してくれたはずである。それなのに、なぜまたアポ無しで乗り込んできたのか。
「エル、どうしますか!? まさか、あの日ファルちゃんが隠れていたことがバレて……ついに『幸運の白竜』の強制徴用令状が出たのではっ!?」
「マズい……超マズいぞ! もしそうなら、国を敵に回すことになる!」
俺とセリアがパニックに陥っていると、廊下から、あの硬質で規則正しい足音が響いてきた。
コツ、コツ、と。一切の迷いがない、冷酷な死神の足音だ。
「――事前通達なしの再訪問、失礼いたしますよ。エルヴァン殿」
開け放たれたドアから姿を現したのは、氷のような冷ややかな瞳を持ったユリウスだった。
相変わらずの豪奢な軍務局の制服。その後ろには、微動だにしない屈強な護衛騎士たちがズラリと並んでいる。
「ユ、ユリウス特使殿……。本日は、一体どのようなご用件で?」
俺は冷や汗をダラダラと流しながら、引きつった笑顔で尋ねた。
ユリウスはゆっくりと部屋の中を見渡し、やがて俺を鋭く睨みつけた。
「とぼけないでいただきたい。……あなた方が、私の目を盗んで新たな重大戦力をギルドに迎え入れたという極秘情報を、王都の諜報部がキャッチしましてね」
「っ……!?」
「これは国家の安全保障に関わる重大な案件です。場合によっては、あなた方を王都へ連行しなければなりません」
ユリウスの言葉に、セリアが「ひっ」と短い悲鳴を上げて両手で口を覆う。
俺も絶望で目の前が真っ暗になった。
「さあ、見せていただきましょう。あなたが隠し持っているという、その『漆黒の獣』を……!」
ユリウスが一歩踏み出し、執務室の大きな窓から、中庭を見下ろした。
そこには――陽だまりの中で、へそ天になってニーナにブラッシングされている、巨大な黒豹・ノワールの姿があった。
『ニャァ〜ン……(そこそこ、気持ちいいニャ〜……)』
「はいはい、ノワールは毛並みがすっごく綺麗だね〜」
……緊迫感ゼロの、完全にただの巨大な飼い猫の風景である。
「……ッ!!」
その光景を見た瞬間。
冷徹なるエリート貴族、ユリウス・フォン・ローゼンベルク子爵の体が、大きくビクリと震えた。
「特使殿……あいつは確かにクァールですが、人に危害を加えるような魔物じゃ――」
「あ……ああ……ッ!!」
「えっ?」
俺が言い訳をしようとした次の瞬間、ユリウスは窓ガラスに両手でバンッ!と張り付き、穴が開くほどの勢いでノワールを凝視し始めた。
その氷のように冷たかった瞳は、今や熱を帯びてギラギラと輝き、口元はだらしなく緩みきっている。
「なんと美しい……! あの艶やかな漆黒の短毛! しなやかな四肢! そしてあの、無防備に晒された柔らかな腹部……ッ! 素晴らしい、なんて完璧なフォルムなんだ!!」
……は?
「ちょっと失礼しますよッ!!」
ユリウスは俺を突き飛ばすような勢いで執務室を飛び出し、そのままの猛ダッシュで中庭へと駆け出していった。
残された俺とセリア、そして護衛の騎士たちは、ただポカンとその背中を見送ることしかできない。
「す、素晴らしい……! この肉球の弾力! そしてこのゴロゴロと鳴る喉の振動! たまりませんなぁ……ッ!!」
『ニャッ? ニャァ〜ン(このにんげん、撫でるのすっごく上手いニャ。そこ、首の後ろもっと撫でてニャ)』
「おおっ、愛い奴め! よしよし、最高級の猫用ジャーキーを持ってきたぞ。食べるでちゅか〜?」
中庭から聞こえてくるのは、軍事査察の威圧感など微塵もない、完全に『猫に狂った男』の赤ちゃん言葉だった。
先日の会食で彼が「大の猫好き」だということは知っていたが、まさかこれほどまでの重症《モフモフ過激派》だとは思わなかった。
「……あの。副官さん」
俺は背後に立ち尽くしている、護衛騎士たちのリーダーらしき男に恐る恐る声をかけた。
「ひょっとして、今回の査察って……」
「……ええ。お察しの通りです」
副官の騎士は、兜の奥で深い深い溜息をついた。
「我が国の諜報部が『蒼炎のテイマーがクァールを従魔にした』という報告を上げた瞬間……
『クァールだと!? あの猫科の最高峰の魔物を!? なぜ私を呼ばない!!』
……と血相を変えまして。
子爵殿の私費を投じて、本日ここに飛んできた次第であります」
「……」
「……本当に、我が国の上官が申し訳ありません」
副官は深く頭を下げた。セリアも隣で「よ、よかったぁ……」とへたり込んでいる。
それからたっぷり二時間。
ユリウスは公務を完全に放棄し、芝生の上に寝転がってノワールの腹に顔を埋め、思う存分クァールの極上の毛並みを堪能し尽くした。
「ハァ……ハァ……。最高でした。我が家の黒猫も可愛いですが、やはり規格外の巨大猫のモフモフ感には敵いませんね……」
顔中にノワールの黒い毛をくっつけ、完全に昇天したような満面の笑みを浮かべるユリウス。
その両脇を、冷ややかな目をした副官ともう一人の騎士がガッチリと固めていた。
「子爵閣下。そろそろ王都へ帰還する時間であります。これ以上の滞在は、視察の正当性を疑われます」
「ま、待て! あと五分! あと五分だけあの肉球の匂いを嗅がせてくれぇっ!!」
ズルズルズルッ。
エリート貴族の威厳など完全にかなぐり捨て、中庭の芝生に爪を立てて抵抗するユリウスだったが、屈強な騎士たちに両脇を抱えられ、文字通り引きずられるようにして馬車へと連行されていった。
「エルヴァン殿ぉぉーッ! そのクァールのブラッシングには、是非とも猪の毛のブラシを使ってあげてくださいねぇぇーッ!!」
遠ざかっていく馬車から、特使の涙声の悲鳴が響き渡る。
「……王都の脅威って、俺が思ってたのとは全然違うベクトルのヤバさだったんだな」
俺はひきつった笑いを浮かべながら、ユリウスに撫でられすぎて少し困惑しているノワールの首筋を、優しく撫でてやったのだった。
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