第44話:悪魔馬の涙(後編)
決定的な拒絶に首を垂れ、大きな瞳からポロリと涙を零したシリウス。
俺が慰めの言葉を探そうとした、その時だった。
「お馬さん、ないてるの?」
先ほど、悪魔の馬かと聞いてきた小さな男の子が、ゆっくりとシリウスの目の前まで歩み寄ってきたのだ。
「……おにいちゃん、ほんとうにあつくないの?」
「ああ。本当だよ。お日様みたいにポカポカしてるんだ」
俺がそう答えると、男の子は小さな手をギュッと握りしめ、覚悟を決めたような顔をした。
「さわっても……いい?」
ピンと張り詰めた、緊迫する空間。
俺はシリウスの怯えたような、でも期待するような目を見て、男の子に向かって力強く頷いた。
「どうぞ」
男の子がおそるおそる、小さな手を伸ばす。
そして、その指先が、シリウスの青い炎にそっと触れた。
「……あっ!」
男の子の目が、まん丸に見開かれる。
「わぁーーっ、ほんとうだ! あったかい!!」
満面の笑みを浮かべた男の子は、そのまま両手でシリウスのたてがみの炎をワシャワシャと撫で回し始めた。
それを見て、俺はニッと笑いかける。
「お馬さん、乗ってみるか?」
「えっ、のっていいの!?」
「いいよな、シリウス?」
『うんっ!! 乗って、乗って!!)』
シリウスは、先ほどの悲しげな声とは打って変わって力強く、そして嬉しさのあまり尻尾をちぎれんばかりに振りながらいなないた。
少年を背に乗せたシリウスは、振り落とさないようにゆっくりと、慎重に歩き出した。
「たかーい! あったかーい!」
背中ではしゃぐ少年の明るい声が大通りに響く。
俺とニーナはシリウスの両脇につき、その足取りを見守りながら街を練り歩き始めた。
しかし、大人たちの目は依然として冷ややかだった。少年の親もパニックではぐれてしまったのか、すぐには姿を見せない。遠巻きに「本当に大丈夫なのか?」と囁き合う大人たちの間には、未だに越えられない見えない壁があった。
だが、大人の警戒など意に介さないのが子供という生き物だ。
背中で無邪気に笑う少年の姿を見て、物陰に隠れていた周囲の子供たちが、一人、また一人とおずおずと近づいてきたのだ。
「……ねえ、さわっても、あつくないの?」
「うん! お風呂みたいにポカポカだよ!」
その言葉に勇気をもらったのか、わらわらと子供たちが集まり、あっという間にシリウスを囲み始めた。
「ほんとうだ! あったかい!」
「青いお馬さん、すっごくかっこいいー!」
「おめめがくりくりでかわいいね!」
子供たちの純粋な歓声に囲まれ、シリウスは嬉しそうにブルルッ!と甘えるように鼻を鳴らした。
大人たちは、子供が炎に触れても火傷一つしない様子を見て「とりあえず危険はない」と理解したようだが、長年の偏見のせいか、不安げな顔をしたまま依然として近寄ってはこない。
それでも構わなかった。
今この瞬間、悪魔馬と忌み嫌われていたシリウスは、間違いなく子供たちにとっての『青い炎のヒーロー』になっていたのだから。
そんな穏やかで幸せな時間が流れていた、その時だった。
『――我が愛し子よ、聞こえるか?』
不意に、俺の脳内に留守番をしているファルからの念話が響いた。
(ファルか? どうした)
『うむ。たった今、ギルドハウスに冒険者ギルドの職員が慌てて駆け込んできよった。
なんでも、迷宮の入り口から数匹の魔物が溢れ出てきたらしいのじゃ。スタンピードと呼ぶほどの規模ではないそうじゃが、お主らに急ぎ討伐を依頼したいそうじゃ』
(了解だ。すぐに向かう!)
俺は念話を終えると、周囲を囲む子供たちに向かってポンと手を叩いた。
「ごめんな、みんな! お兄ちゃんとシリウスに、冒険者の急ぎのお仕事が入っちゃったみたいだ」
「えーっ、もういっちゃうの?」
「ああ。でも、また必ず遊びに来るからな!」
俺は背中に乗っていた少年をひょいと抱き上げて下ろし、代わりに自分が鞍へと跨がった。
「よしシリウス、出番だ。迷宮の入り口に向かうぞ!」
『うんっ! 僕に任せて!! 今度は僕がエルヴァンを守るからねっ!』
シリウスが力強く前足を上げると、たてがみの青い炎がブワッと勢いよく燃え上がった。しかし、そこにさっきまでの怯えや戸惑いは一切ない。
駆け出そうとする俺たちの背中に向かって、子供たちの元気な声が響き渡った。
「お兄ちゃん、がんばってーー!」
「シリウス、がんばれーー! まけるなー!!」
ニーナに抱かれたプルちゃんも、応援するようにぽよんぽよんと飛び跳ねている。
ヒヒィィィンッ!!
子供たちの声援を背に受け、シリウスはかつてないほどの気合いに満ちた嘶きを上げ、疾風のように大通りを駆け抜けていった。
偏見を持つ大人たちの誤解を完全に解くには、まだまだ時間がかかるかもしれない。
けれど、子供たちという味方を得たシリウスの背中には、もう『悪魔』と呼ばれて落ち込んでいた影など、微塵も残っていなかった。
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