ACT.3 Chap.4
Chap.4
「……あのぉー、入ってもいいですか」
流惟はサイプリスの部屋のドアの前に直立して声を張り上げた。今しがた部屋を出てきたときには、時計は午後十時を示していた。午前中に見つけた研究室にいく那由多と一緒にここまで来たのだから、今回は叱られる心配もなかった。その研究室とサイプリスの部屋とは、同じフロアにある。
「なぜ」
ドアの向こうからの返答は、あまりにそっけない。流惟は一瞬戸惑って、
「たいした理由はないんですけど……あんまり、あなたのことを聞いていなかったなあと思って」
「明日ではいけませんか? もう夜も遅い」
「あの……ごめんなさい。迷惑でしたよね。やっぱり、明日でいいです」
あっさりと引き下がるより他なかった。まさか、本当は一人でいるのが恐いだけだなんて、言えるはずがない。部屋に入れてもらえたところで、何をしようというわけでもないのだ。
「……ルイ」
おとなしく部屋に戻ろうとしたとき、再びサイプリスの声がした。
「夜は、我らの力が最も強まる時間です。わたしを殺すのなら、昼間にしてください。暗闇の中では、わたしも自分を制御しきれないことがある」
殺しに来たわけではないのに。流惟は小さく溜め息をつく。
「サイプリスさんは、寝ないんですか?」
「わたしは夜行性ですからね。夜はむしろ目が冴えます」
「じゃあ、少しお話しませんか? わたしはここにいるので。わたしも今は、目が覚めてるんです」
言って流惟は扉の前に座り込んだ。サイプリスは応えない。けれど、中で微かに笑ったような気配がした。
「サイプリスさんは、何年くらい日本にいるんですか? 日本語上手ですよね」
「そうですね、日本には百年くらい。まだ日露戦争が終結して数年たったばかりの頃でしたから、」
さらりと言うサイプリスに、流惟は目を丸くした。ヴァンパイアである彼が長生きであるのは予想していたが、こうもさらりと言われると返す言葉もない。しかもサイプリスの容姿は自分と同じくらいの少年だというのに。
「……ちなみに他の国にもいたんですか?」
恐る恐る聞いてみる。
「一番長いのは、実は日本なんですよ。あとはイギリスかな。わたしの母国ですし」
イギリスかあ。流惟はのんびり、胸中で呟いた。おおよそ予想通りだったが、日本がもっとも滞在期間が長い国だとは意外だった。
「あとは、フランスとドイツとアメリカ……中国にもいたことがあったかな」
「あのー……サイプリスさん、お幾つなんですか?」
「百三十年ほど、ですかねえ。これでも短いほうなんですよ。わたしの知り合いには、去年六百歳を迎えた方もいらっしゃいますから」
頭痛がした。あの少年の容姿で百三十歳です、だなんて、冗談でも言ってほしくはない。事実だから仕方がないのだけれど。
「でも……百三十年も生きてきたのに、どうして今、死のうと思ったんですか?」
「ルイは、永遠の命がほしいですか?」
聞き返されると言葉に詰まる。
確かに死ぬことは怖い。でも人間はいつかは死ぬものだ。年齢を重ねて生きていくことで、死が近くなったころには恐怖など消えてしまうのではないのだろうか。そうなればむしろ、永遠の命などというものは、寂しいばかりではないだろうか。サイプリスはその寂しさに、耐えられずにいるのかもしれない。
「終わり人生が、必ずしも寂しいものであるとは限らない」
サイプリスは流惟の考えを見透かしたように言う。じゃあ何で、と流惟は首をかしげた。
「多くの人と出会い、その死に目に遭いました。でもそれは、人間だって同じでしょう。人間よりも少しその回数が多いだけ」
少しというのは誇張表現であるように思えたが、流惟は何も言わずに彼の言葉を聴いていた。
「わたしが生きていれば、罪が重なるのはどうしようもないことです。人を襲わないように部屋に閉じこもっていても……夜が来ると、意識がなくなる……苦しくて、苦しくて、意識を失って……気がつくとわたしの手は、赤く染まっているんです。冷たくなった人間が、虚ろにこちらを見ているんです。どんなに絶とうとしても、わたしは食事を止めることができない……っ、こんな身体、自ら望んでなどいなかったのに……!」
流惟は静かに目を閉じた。自分が生きていること自体が罪であるということが、どれほどの苦しみであるかなんて、想像すらできなかった。
「この苦しみはかりそめだから―――夜になると、姿は戻ってしまうんです」
喘ぐような声に、流惟はドアに歩み寄る。
「サイプリスさん? 大丈夫ですかっ!」
「何……毎夜のことだ……痛みには慣れていますよ」
サイプリスの声のトーンが低くなる。言葉の終わりを紡ぐころには、すっかり声変わりした青年ほどの低さになっていた。
「あと四日……、」
青年サイプリスが呟いた。
「お願いですから、あと四日でわたしを殺してください。そうじゃないと―――……、」
サイプリスはそこで口を噤む。続きは聞くまでもなかった。流惟は目の前の、古ぼけたドアを見つめる。
殺されるかもしれないという事実が目の前にあるというのに、サイプリスを殺す気にはなれない。むしろ死なせてはならないと―――その思いは、とどまることを知らない。けれど方法がわからないのだ。そもそも死以外に彼を苦しみから解き放つ手はあるのだろうか?
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