第6話:霊導の鍼と、蠢く影
「本当に……正気か、葵」
地下書庫の灯火の中、上半身の衣を脱いだ李 翔鳳が、苦笑混じりに私を見つめていた。
彼の左胸に蠢く、黒いツタのような『呪脈』。
その中心——心臓の裏側にある「核」へと繋がる最深の経絡に向けて、私は闇市場で手に入れた『霊導銀の針』を構えていた。
「大マジよ、皇子様。この『霊導銀』は体内の気を高次元で伝導させる特殊な金属。そして闇市場で手に入れた『九回転生草』の煎じ薬で、あなたの自律神経と血流の代謝を極限まで高めてあるわ。……今なら、あの黒い核の補給路を完全に遮断できる」
私は集中力を研ぎ澄ませた。
(『鑑識の眼』——最大解像度!)
視界が一気に切り替わり、翔鳳の体内の立体グラフィックが緻密に浮かび上がる。
心臓の拍動、冠動脈の血流、神経伝達の電気信号、そして——心臓の裏側にねっとりとへばりつく、黒い呪気の構造。
(見えた……! 呪脈が翔鳳様の命を吸い上げている『接合点』……そこは東洋医学でいう『胸中』の深層、解剖学的には奇静脈と交感神経幹が交差する、わずか一ミリの隙間!)
「……息を吐いて。力を抜いてね」
「ふっ……余を脅すような施術をするなと言ったろう」
翔鳳が薄く笑った次の瞬間、私は一切の躊躇なく、霊導銀の長鍼を胸骨の隙間から深く——ミリ単位の精度で刺入した。
チリン、と鈴の転がるような金属音が地下室に響く。
「……ぐ、あぁぁぁっ!?」
翔鳳が絶叫し、全身の筋肉を激しく収縮させた。
彼の皮膚に浮かび上がる黒いツタの紋様が、まるで生き物のように狂ったように脈打ち始める。
(暴れてる……! 霊導銀の針から流し込んだ純粋な『気』が、黒い核の循環を断ち切ろうとしているんだわ!)
「負けないで、翔鳳様! あなたの身体の自己治癒力を……人間の命の力を信じて!」
私は刺入した銀針に微細な振動を与え、さらに『鑑識の眼』で可視化されたエネルギーの逆流を完璧にコントロールしていく。
「ガあぁぁぁッ!!」
翔鳳の口から、どす黒い霧のような気が噴き出した。
それと同時に、胸元を覆っていた不気味な黒いツタの紋様が、水に溶ける墨のように急速に薄れ、消失していく。
透過視界の中で、心臓の裏側にへばりついていた『黒い核』がひび割れ、砕け散っていった。
「……はぁっ、はぁっ……!」
翔鳳が荒い息を吐きながら、自身の胸元に手をやる。
そこにはもう、彼を長年苛み続けていた禍々しい紋様も、死の予兆も存在しなかった。
「……消えた……? あの……狂おしい激痛と、胸の底から冷えていく感覚が……何も……」
「大成功よ。呪脈の『核』は完全に破壊されたわ。もう、あの発作があなたを襲うことはない」
私が汗を拭いながら微笑むと、翔鳳は信じられないものを見る目で自分の手を見つめ、やがて力強く私を引き寄せた。
「葵……! 貴様は……本当に余の命を救ったのだな……」
「ちょっと、皇子様! まだ安静にしてないと——」
抱きしめられた胸から伝わるのは、力強く、どこまでも規則的な心臓の鼓動。
冷徹だった彼の体温が、熱いほどに伝わってくる。
「……感謝する、葵。余の命も、この体も……生涯、お前だけのものだ」
「な、何を言ってるのよ、バカ……っ」
顔が火照るのを隠すように押し返そうとした、その時。
パン、パン、パン——。
暗がりの中から、嘲笑うような乾いた拍手が響き渡った。
「見事な施術でございますな、異国の女医官殿」
地下書庫の影からゆっくりと姿を現したのは——豪奢な絹の衣を纏った、後宮の頂点に君臨する権力者、皇太后その人だった。
「……皇太后様……!?」
陸が即座に剣を抜き、翔鳳が私を庇うように前に出る。
皇太后は冷ややかな笑みを浮かべたまま、私の顔をじっと見つめた。
「翔鳳の呪脈を払うほどの医術と、あの『不吉な眼』……。やはり、我が一族の邪魔をする害虫は、早めに駆除しておくべきでしたね」
皇太后の後ろから、数十名の黒装束の暗殺者たちが滑り出してくる。
その胸元には全員、あの地下水道で見た『百合の紋様』が刻まれていた。
「ここで翔鳳もろとも消えてもらいましょう。……後宮の真の支配者が誰であるか、あの世で思い知るがよい」
呪いを破られた黒幕が、ついにその牙を剥いた。
回復したばかりの翔鳳、武官の陸、そして一本の銀鍼を持つ私。
絶体絶命の包囲網の中、命をかけた最後の戦いが幕を開けようとしていた——。




