第5話:闇を走る黒幕と、深まる疑惑
「待ちなさい!」
濡れた石畳を蹴り、地下通路の闇へと駆け出す。
「葵様、深追いは危険です! 鬼市の奥は足場も悪く——」
「ここで逃したら、皇子様を苦しめる『呪い』の正体が永遠に闇の中になっちゃうのよ!」
陸の制止を振り切り、私は黒い長衣の裾を翻して疾走した。
(『鑑識の眼』——追尾!)
視界の奥、暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる人型の輪郭。
壁や曲がり角の先まで透過する『鑑識の眼』のおかげで、相手がどれほど身を隠そうと、心臓の裏で禍々しく拍動する『黒い呪脈の核』が明かりのように目印となって視界に映し出されていた。
(逃がさない……! 解剖学的にも、あのエネルギーの波動は翔鳳様の体内に潜むものと完全に同質……!)
地下通路は複雑に枝分かれし、やがて帝都の地下を流れる巨大な排水路へと行き当たった。
ドバドバと不気味な濁流が音を立てる水路のふちで、黒い仮面の人物がぴたりと足を止める。
「……追ってきたか、羽虫が」
かすれた、性別も年齢も判別できない不気味な声。
仮面の男がゆっくりと振り返る。その瞬間、彼の胸元からドス黒い気が溢れ出し、水路の壁をじわりと浸食していった。
「その眼……只者ではないな。異国の服を着た小娘かと思えば、体内の『理』を直視する不吉な瞳を持つか」
(気づかれてる……!? 私が『鑑識の眼』で体内を見通していることに!)
「あなたは何者なの!? 皇子様にあの黒い呪いを植え付けたのは、あなたね!?」
仮面の男は低く笑った。
「ふはは……翔鳳の『呪脈』か。あれはただの毒でも病でもない。我が主がこの国を統べるために打ち込んだ『支配の刻印』よ。貴様のような医官ごときが手を出してよい代物ではない」
男がそう叫んだ瞬間、彼の胸元の呪脈が激しく明滅し、彼の腕から黒い蛇のような影が放たれた!
「葵様、下がって!!」
間一髪、追いついた陸が長剣を抜き放ち、黒い影を薙ぎ払う。
金属と影がぶつかり合い、バチバチと不気味な火花が散った。
「くっ……重い! 何だこの異様な力は……!?」
剣を受け止めた陸の腕が、力負けして震え出す。
黒い影は陸の剣を伝い、彼の腕に侵入しようと巻きついていく。
(陸の腕の神経と血管が……締め上げられてる!? 虚血性の麻痺が起きちゃう!)
「陸、動かないで!」
私は懐から、先ほど手に入れたばかりの『霊導銀の針』を一本抜き取った。
(『鑑識の眼』で気の流れを照合……! 影が侵入しようとしている前腕の経絡——『手三里』と『曲池』のツボへ!)
シュッ!
寸分の狂いもなく打ち込まれた霊導銀の針が、鋭い銀光を放つ。
高濃度の「気」を伝導する特殊な銀針がツボに刺さった瞬間、陸の腕に絡みついていた黒い影が「ギィ!」と絶叫のような音を立てて弾け飛んだ。
「な……なに!?」
仮面の男が目を見開く。
「麻痺を打ち消しただと……!? 我が主の『呪気』を、ただの針一本で払ったというのか!?」
「ただの針じゃないわ! 筋肉と神経の走向を見極め、正しいツボに打ち込めば、人間の持つ自己防衛の力はどんな異物だって弾き返せるの!」
私は霊導銀の針を構え、力強く言い放った。
「あなたのその『支配の刻印』も同じよ。構造がある以上、絶対に解き明かしてみせる!」
「……生意気な小娘が。だが、今宵はここまでだ」
男が不吉な呪文を呟くと、彼の足元から黒い煙が爆発するように広がった。
「葵様、お足元を!」
陸が私を庇い、煙を振り払う。
視界が開けた時、水路のふちに立っていた仮面の男の姿はすでに消えていた。
(くっ……逃げられた……!)
けれど、ただ逃げられたわけではなかった。
『鑑識の眼』で男が消え去った痕跡を凝視すると、水路の石畳の上に、男の服の袖からちぎれ落ちた一枚の布切れが落ちていた。
拾い上げると、そこには金色で繊細な「百合の紋様」が刺繍されていた。
「この紋様は……」
陸が息を呑む。
「知っているの、陸?」
「ええ……これは、後宮の頂点に君臨する『皇太后様』の一族……崔家の家紋です」
「皇太后……!?」
衝撃が私を駆け抜けた。
翔鳳の命を脅かす『呪い』の黒幕。それは、宮廷の最も深い場所——後宮の絶対的権力者に繋がっていたのだ。
「葵様、このことは皇子様以外には……絶対に秘匿せねばなりません。宮廷全体を敵に回すことになります」
「分かってるわ……。でも、これで道筋は見えた」
私は手の中の布切れと、霊導銀の針を強く握りしめた。
「最高級の生薬と霊導銀の針、そして敵の正体の手がかり……全部揃ったわ。翔鳳様の『呪脈』を根絶する治療を、始めましょう!」
黒幕の影が落とした手がかりを胸に、私たちは夜明け前の宮廷へと戻っていったのだった——。




