第4話:潜入、闇の薬市場と怪しい影
「皇子様の体内に根を張る『呪脈』……あれを根本から絶つには、普通の銀鍼と一般的な生薬だけじゃ足りないわね」
医官院の私の自室で、私は机の上に広げた古今東西の医学書を検分しながら溜め息をついた。
『鑑識の眼』で解析した結果、翔鳳の心臓の裏で蠢く黒い塊は、体内の「気血」を吸って増殖する特異な性質を持っていた。
通常の刺鍼で発作を抑えることはできても、根絶するためには、高濃度の気を引き出す「霊導銀」と呼ばれる特殊な金属で作られた針と、体内の悪気の排出を爆発的に促す希少な生薬『九回転生草』が必要不可欠だった。
(どちらも、王宮の正規の薬草園や医官院の倉庫には保管されていない代物……。どこで手に入れれば……)
「お困りのようですね、東野医官」
声をかけてきたのは、王貴人の毒殺未遂事件以来、私の助手兼護衛として配属された若き武官——陸だった。
彼は周囲を警戒するように声をひそめる。
「それらの品は、宮廷の表ルートでは手に入りません。……帝都の地下、公には存在しないとされる『闇の鬼市』でしか流通していない代物です」
「鬼市……?」
「ええ。毒薬、禁書、盗品……あらゆる怪しい品が売買される無法地帯です。ですが、今夜は月に一度の大市が立つ日。手に入れるなら、今夜しかありません」
「行くわ」
私は即答した。危険だからと躊躇している暇はない。翔鳳の『呪脈』は、今この瞬間も少しずつ彼の命を削っているのだから。
◇
深夜。私は黒いフード付きの長衣を纏い、陸の案内のもと、帝都の片隅にある打ち捨てられた井戸の地下通路を下っていった。
辿り着いた先は、地下とは思えないほど広大な空間だった。
怪しげな面をかぶった商人たちが軒を連ね、見たこともない色の煙や妖しい薬草の匂いが立ち込めている。
「葵様、決してフードを外さないでください。異国の者や医官だと知れれば、一品も買えずに身ぐるみ剥がされます」
「ええ、分かっているわ」
私は息を殺し、『鑑識の眼』を起動させた。
視界に透過グラフィックと鑑定情報がオーバーレイ表示される。
(……すごい。怪しい露店に並んでいる薬草の七割は偽物……ただの雑草に色素を塗っただけの代物ね。『鑑識の眼』がなかったら、まんまと騙されるところだったわ)
本物と偽物を瞬時に識別しながら奥へ進むと、一軒の古びた露店に辿り着いた。
棚の隅に置かれた小さな木箱の中に、目的の『九回転生草』が転がっているのが視界に飛び込んできた。
(あった……! 葉の内部の有効成分濃度、完璧。間違いなく本物の九回転生草だわ!)
「店主、この薬草を譲って頂戴」
私が声をかけると、店主の怪しい老人がニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
「おや、お目が高い。……だがねぇ、お嬢さん。これは金じゃ売れないよ。わしが長年悩まされている、この脚の『痺れと激痛』を治してくれるなら、タダでやってもいいがね」
老人は自分の右脚を叩いてみせた。
周囲の露店商人たちが嘲笑う声を上げる。
「無駄だ無駄! そのジジイの脚は、帝都の名医どもが十人がかりで診ても原因が分からず、諦めた『祟り脚』だ!」
「素人のお嬢ちゃんに治せるわけねぇだろ!」
(祟り……? 馬鹿馬鹿しい)
私は老人の前に膝をつき、彼の右脚に触れた。
(『鑑識の眼』——全方位スライス照合!)
カチリ、と視界が切り替わる。
皮膚、筋肉、血管、そして神経の走りが可視化されていく。
(坐骨神経の圧迫……じゃないわね。もっと末梢……膝裏の蘶中穴のすぐ近く、深層の小動脈に、小さな『血栓(血の固まり)』が詰まってる! これが動脈閉塞を起こして、末梢神経に虚血性麻痺と激痛を引き起こしていたんだわ!)
「名医たちが治せなかったのは当然よ。痛むのは足先だけど、原因は膝の裏の小さな血管の詰まりだもの」
「な……なに……?」
老人が目を見開く。
私は着物の袖から、常に持ち歩いている一本の銀鍼を取り出した。
「動かないで。一瞬で終わらせるわ」
私は老人の膝裏——血栓が詰まっているポイントの直上へ、正確無効に銀鍼を刺入した。
(解剖学的に膝下動脈の走向を捉え、刺鍼刺激によって局所の血管拡張因子(NO)の放出を促す! 詰まった血栓を押し流す!)
「……得気!」
「うあぁぁっ!?」
老人が声を上げた瞬間、彼の脚の皮膚にサーッと朱色が戻り、冷え切っていた足先が一気に温かくなっていった。
「た、足の痛みが……消えた!? 痺れがない! 立てる、自力で立てるぞ!!」
老人は跳ね起きるように立ち上がり、自分の脚を何度も叩いて歓喜の声を上げた。
周囲の商人たちが、静まり返った後に大歓声を上げる。
「おい見ろ! ジジイの祟り脚が治ったぞ!」
「あの小娘、一体何者だ! 神医か!?」
老人は震える手で『九回転生草』の箱を私に差し出してきた。
「あ、ありがたや……! 約束通り、これはアンタのものだ! ついでに、この『霊導銀の針』も持っていっておくれ! あんたのようなお方に使われた方が、針も本望だ!」
思わぬ収穫だった。最高の生薬と、欲しかった霊導銀の針を同時に手に入れることができたのだ。
「ありがとう、大切に使うわ」
目的を果たし、安堵して闇市場を後にしようとしたその時——。
(……ん?)
『鑑識の眼』の視界の端に、異様なグラフィックが映り込んだ。
市場の暗がりを立ち去っていく、一人の黒い仮面をつけた人物。
その人物の体内を透過スキャンした瞬間、私の血の気が引いた。
(嘘……でしょ……!?)
その人物の胸の中央——心臓の裏側に、翔鳳が持っているものと全く同じ『黒く蠢く呪脈の核』が、禍々しく脈打っていたのだ。
(あの男……翔鳳様に呪いを植え付けた張本人……あるいは、同じ呪いを操る黒幕……!?)
「陸! あの男を追いかけるわよ!」
「え!? 葵様、危険です!」
皇子の命を脅かす『呪い』の真相へと繋がる手がかりを前に、私は闇の地下道を駆け出したのだった——。




