第72話(最終話):空っぽの英雄と、見知らぬ青空
「地獄の底で、勝手にやってろォォォッ!!」
ズバァァァァァァァァァァンッ!!!!!
真紅の因果の刃が、魔王と女王の融合した混沌の核を、その概念ごと完全に両断した。
カイトの刃こぼれした鉄剣から放たれた極大の光が、大聖堂の天井を吹き飛ばし、帝都グランディールを、いや、世界中を覆っていた絶望の真紅の雲を真っ二つに切り裂きながら、天高くへと立ち上っていく。
「ア……、アァァ……」
光の奔流の中で、巨大な泥の津波が、音を立ててボロボロと崩壊していく。
両断された泥の核の中心。そこで、エアラの人間としての形を保っていた上半身が、静かに天を仰いだ。
『……あ、ら。アラリック……』
彼女の狂気に満ちていた顔から、憑き物が落ちたように険が消えていく。
『……眩しい、わね。あなたの言う通り……本当に、羽虫には過ぎた……美しい、光……』
光の中に、かつて彼女が最も愛した、金色の髪を持つ魔王の幻影がそっと手を差し伸べたように見えた。
エアラは、その幻影に向かって静かに微笑み、そして、泥の巨体と共に真っ白な灰となって、跡形もなく光の中へと溶けて消えた。
数百年間、この世界を絶望という名の鳥籠に閉じ込めていた二柱の神が、完全に消滅した瞬間だった。
――パリンッ。
その直後。
カイトの右手に握られていた、幾多の死線を共に潜り抜けてきた「刃こぼれした鉄剣」が、限界を迎えて粉々に砕け散った。
「……終わっ、た……」
カイトは、空を切った右手を力なく下ろし、そのまま仰向けに大理石の床へと倒れ込んだ。
全身の筋肉が断裂し、魔力も生命力も、そして自身の魂の奥底にあった「記憶」すらも、すべてを使い果たした。
もう、指一本動かすことすらできない。
だが、不思議と心地よかった。
「……カイト様ァッ!!」
「カイト!! 生きてるかッ!?」
駆け寄ってくる足音。
血まみれになりながらも、涙を流して自分を覗き込むルナリス、ガウル、フィオナ、バルドの顔。
「……お前ら……ひどい顔だな。鼻水出てるぞ」
カイトが掠れた声で笑うと、ルナリスは「カイト様こそ!」と泣き笑いしながら、彼の胸にすがりついた。
ガウルが空を指差して叫ぶ。
「見ろ……! 空が……ッ!!」
崩壊した大聖堂の天井。
そこから見えたのは、数百年間、誰も見たことがなかった光景だった。
世界を覆っていた真紅の雲が完全に晴れ渡り、どこまでも高く、澄み切った『青空』が広がっていた。
そして、暖かく、優しい本当の太陽の光が、カイトたちの顔を照らし出す。
外からは、待機していた三千の反乱軍の、地鳴りのような歓喜の咆哮が聞こえてきた。
魔族の支配が解け、世界中の空が青を取り戻したことを、誰もが悟ったのだ。
「……綺麗だな」
カイトは、目を細めて見知らぬ青空を見上げた。
「……なぁ、ルナリス。ガウル」
カイトは、ゆっくりと口を開いた。
「俺さ、本当に……全部、忘れちまったみたいだ。自分がどこで生まれたのかも、どんな景色を見て育ったのかも。親の顔も、自分の名字すら……何も思い出せない。文字通り、すっからかんだ」
代償はあまりにも大きかった。
世界を救うために、カイトは自分という存在のルーツをすべて捨て去ったのだ。
その事実に、フィオナが口元を覆い、バルドが痛ましそうに目を伏せる。
だが、ルナリスは静かに首を振り、カイトの泥だらけの手を両手で優しく包み込んだ。
「いいえ。あなたは、カイト様です」
彼女の透き通るような瞳から、温かい涙が一滴、カイトの手の甲に落ちた。
「過去がなくても、私たちが覚えています。あなたがどれほど不器用で、優しくて、私たちのために怒ってくれたか。……カイト様が帰る場所が分からないなら、私たちが、あなたの『新しい家族』になります」
「……へへっ。家族か」
カイトは、照れ臭そうに鼻の頭を擦った。
「悪くねえな。……いや、最高だ」
ガウルが豪快に笑い、カイトを抱き起こす。
「当たり前だ! 俺の背中は、これからもずっとお前のもんだぜ、相棒!」
「私も……カイト様に、たくさん美味しいものを作ってあげますからね!」フィオナが涙を拭いながら微笑む。
「やれやれ。老骨に鞭打って、もう少しお守りをしてやらんといかんようじゃな」バルドも優しいシワを刻んで笑った。
そよ風が吹き抜けた。
ふと、カイトの耳元で、もう聞こえるはずのない、あの理屈っぽくてお節介な女神の『ふふっ』という笑い声が聞こえた気がした。
(……ありがとな、ステラ)
空っぽになったはずの心は、今、これ以上ないほどの温かい光で満たされていた。
「……よっしゃ、行くか」
カイトは、ガウルの肩を借りて、しっかりと自身の足で立ち上がった。
見渡す限りの荒野。
崩壊した帝都。
傷ついた人々。
復興の道は果てしなく遠く、厳しいだろう。
だが、彼らの前には、もう決して曇ることのない、見果てぬ青空が広がっていた。
「俺たちの、明日へ」
神々の遊戯は終わり、名もなき英雄たちの、本当の物語がここから始まる。
彼らの歩む先を祝福するように、どこまでも青い空が、ただ静かに広がっていた。
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<beens 過去作>
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