第69話:真紅の臨界点と、地に這う者たちの意地
「――【局所因果・極】ッ!!」
カイトの全身を包み込んだ真紅のオーラが、大聖堂を満たすエアラの猛毒の霧を、チリチリと音を立てて焼き払っていく。
それは単なる魔力の放出ではない。自身の皮膚に触れる『毒の因果』を、全身の表面で常時、そして全自動で白紙化し続けるという、極限の集中力と命を削る絶技だった。
「……寝言は、玉座のベッドでほざきやがれッ!!」
カイトが床を蹴った。
その速度は、先ほどまでの比ではない。毒による麻痺を完全に無効化し、さらに自身の肉体の『疲労』という因果すらも強引に上書きした、文字通りの神速。
「チッ……!」
アラリックが漆黒の魔剣を振り下ろすが、カイトの姿はすでにそこにはなかった。
「遅えよ、魔王!」
背後に回り込んだカイトの鉄剣が、アラリックの首筋を狙って横薙ぎに一閃される。
ガギィィィィンッ!!
アラリックが咄嗟に展開した多重魔力障壁と、漆黒の剣の柄で辛うじてそれを受け止める。
だが、カイトの連撃は止まらない。
上段、下段、袈裟斬り、突き。
息もつかせぬ超高速の剣戟。刃こぼれした鉄剣が、真紅の軌跡を残しながら、全方位からアラリックを襲う。
アラリックの漆黒の魔剣とカイトの鉄剣が交差するたび、空間が悲鳴を上げ、大理石の床が粉々に砕け散っていく。
「ふざけるな……! 記憶も、神の加護もない空っぽの器が、なぜこれほどの力を……ッ!」
アラリックの深淵のような瞳に、初めて明確な『焦燥』の色が浮かんだ。
彼の放つ、大山をも両断する一撃は、カイトの全身を覆う真紅のオーラに触れた瞬間に威力を殺され、返す刀で急所を狙われる。
「言っただろ。俺の頭ん中はすっからかんだ。だから……こいつらを守ることしか、考えられねえんだよッ!」
カイトが踏み込みを深くし、アラリックの防御を少しずつ、だが確実に押し込み始めた。
「嫌ァァァァッ!! アラリックッ!!」
玉座の上から、鼓膜を破るようなヒステリックな絶叫が響いた。
女王エアラだ。
彼女の完璧な世界において、下等な人間に押されているという現実は、決して認めてはならない絶対の『汚点』だった。
「消えなさい、消えなさいッ! アラリックをいじめる悪魔ァッ!!」
エアラが両手を振りかざすと、彼女の周囲から無数の『血の槍』が生成された。
触れれば一瞬で全身の血液を沸騰させ、肉体を破裂させる即死の呪詛。それが何百本も、アラリックと打ち合っているカイトの背中目掛けて、雨あられと降り注いだ。
「カイト、後ろだッ!」
バルドが叫ぶ。
カイトはアラリックの剣を弾き返しながらも、背後から迫る死の気配を悟った。
(……クソッ、躱しきれねえ!)
だが、カイトが振り返るよりも早く。
「――カイト様には、指一本触れさせませんッ!!」
ルナリスの凛とした声が大聖堂に響き渡った。
彼女が引き絞った『黎明の神弓』から、目も眩むような白銀の光の矢が無数に放たれる。
同時に。
「極大魔術――『天上の業火』ォォォッ!!」
フィオナの純白の杖から、太陽のような炎の奔流が巻き起こった。
浄化の矢と極大の炎が、空中でエアラの『血の槍』と激突する。
ズガガガガガァァァンッ!!!
すさまじい爆発が起こり、血の呪詛はカイトの背中に届く前に、すべて空中で相殺され、蒸発していった。
「な……ッ!?」
エアラが驚愕に目を見開く。
「……よそ見してんじゃねェぞ、魔女ッ!!」
爆炎の中から、巨大な大剣を構えた獣人ガウルが、岩を砕くような跳躍でエアラの玉座へと肉薄した。
「ヒィッ!?」
エアラが咄嗟に魔力の盾を展開し、ガウルの大剣を受け止めるが、その凄まじい膂力に玉座ごと後ろへ数メートルも押し込まれる。
「ガウル! ルナリス! フィオナ!」
カイトが背後を振り返る。
そこには、猛毒に侵され、血反吐を吐きながらも、決して膝をつくことなく武器を構える仲間たちの姿があった。
彼らは、絶対の神を前にしても、もう二度と絶望に屈するつもりはなかった。
「……カイト様! 前だけを、見てくださいッ!」
ルナリスが、血に染まった唇で力強く微笑む。
「……ああ。お前ら、最高だぜ!!」
カイトは、胸の奥底から湧き上がる熱い感情と共に、再びアラリックへと向き直った。
仲間の援護により、エアラの介入は完全に断たれた。
今、この空間には、カイトとアラリックの純粋な一騎打ちの盤面だけが残されている。
「……おのれ、羽虫どもがァッ!!」
アラリックの理性が、ついに完全に吹き飛んだ。
彼は漆黒の魔剣に、大聖堂の空間そのものを圧縮した超高密度の魔力を注ぎ込み、カイトを両断すべく大上段に振りかぶった。
「消え去れェェェッ!! 特異点ォォォッ!!」
世界を終わらせる、神の全力の一撃。
だが、カイトの瞳には、微塵の恐怖もなかった。
「……終わるのは、お前たちの退屈な夢だ」
カイトは、自身を包む真紅のオーラのすべてを、右手の鉄剣の『刃先の一点』へと極限まで圧縮した。
魂を燃やし、記憶の残骸をすべて注ぎ込んだ、正真正銘の最後の一撃。
「おおおおおおおッ!!」
カイトが、下から上へと、渾身の力で鉄剣を振り抜く。
真紅と漆黒の閃光が、大聖堂の中央で激突した。
ガァァァァァァァァァァンッ!!!!
時が止まったかのような静寂。
そして。
パキッ……。
アラリックが絶対の自信を持っていた漆黒の魔剣に、一筋の亀裂が走った。
「……な、ばか、な……」
パリンッ!!!
空間そのものを切り取る神の魔剣が、カイトの刃こぼれした鉄剣の前に、無残にも粉々に砕け散った。
「――もらったァァァッ!!」
カイトの踏み込みは止まらない。
魔剣をへし折ったその勢いのまま、真紅の光を纏った鉄剣が、無防備になったアラリックの胸元――その冷たい心臓へと、真っ直ぐに突き刺さった。
ドスゥゥゥンッ……!!
「カ、ハッ……!!」
アラリックの口から、大量の黒い血が噴き出した。
刃こぼれした鉄剣の刃が、不滅の魔王の肉体を深々と貫き、その背中へと突き抜けていた。
世界を絶望で支配した神が、ただの人間の一撃によって、完全に串刺しにされた瞬間だった。
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