第67話:神の流血と、魂の奥底で瞬く残滓
「カイト! 今だァァッ!!」
獣人ガウルの絶叫と共に、ルナリスの浄化の矢、フィオナの極大の炎、そしてバルドの投擲剣が、玉座に座る魔王アラリックと女王エアラへと殺到した。
数百年間、ただ蹂躙されるだけだった人類の、怒りと意地の結晶。
「……鬱陶しい」
アラリックは、迫り来るその決死の攻撃の群れを、ただ片手を軽く払うだけで『空間ごと』消滅させた。
炎も矢も、大聖堂の豪奢な柱ごと、まるで最初から存在しなかったかのようにブラックホールのような虚無へと吸い込まれ、消え去る。
だが。
その『片手を払う』というコンマ数秒の動作。
そして、エアラの意識がカイトから仲間たちへと一瞬だけ逸れ、カイトを縛り付けていた『生命の枯渇』の呪詛がほんの僅かに緩んだ、その刹那。
(――もらったッ!!)
カイトは、薄れゆく記憶の空洞を、仲間たちからもらった『熱』で埋め尽くし、右腕の真紅の黄金を爆発させた。
呪詛を強引に引きちぎり、アラリックの懐へと、最後の踏み込みを放つ。
「死ねェッ! 魔王ォォォッ!!」
バルダス流の無音縮地で限界まで低く沈み込んだ姿勢から、刃こぼれした鉄剣が、下から上へと跳ね上がるように振り抜かれた。
「――チッ」
アラリックの深淵のような瞳が、初めて『驚愕』に見開かれた。
絶対的な死角からの、因果の理をねじ伏せる真紅の一撃。
アラリックが咄嗟に展開した、星すらも砕くほどの多重魔力障壁。
だが、カイトの『局所改竄』を宿した鉄剣は、刃が触れたその一点でのみ、神の障壁の因果をパチン、パチンと白紙化し、透過していく。
ズガァァァァァァァンッ!!!
大聖堂に、空気を切り裂く凄まじい衝撃音が響き渡った。
「カハッ……!」
反動で弾き飛ばされたカイトが、床を転がり、血を吐きながら膝をつく。
だが、彼の視線は、玉座から決して外れなかった。
「……あ、れ?」
静まり返った大広間。
玉座の上で、エアラが信じられないものを見るように、両手で口を覆って震えていた。
アラリックは、玉座の前に立ち尽くしていた。
その、白く完璧な彫刻のような美しい『左頬』。
そこから、一筋の『赤い血』が、ツツーッと伝い落ちていた。
「……血」
アラリックは、自身の頬に指を触れ、そこについた赤い液体を、無表情のまま見つめた。
数百年間。誰一人として、彼に傷をつけるどころか、その衣に触れることすら許されなかった。
絶対の神。不滅の魔王。
その彼が、記憶も魔力も失いかけた、ただの人間の放ったナマクラ剣によって、確かに『肉を斬り裂かれた』のだ。
「やった……。カイト様が、あの魔王に……ッ!」
床に這いつくばっていたガウルが、血まみれの顔を歪めて歓喜の声を漏らす。
だが、カイトの顔に油断はなかった。
(……浅い。あれだけ完全に裏をかいて、因果も乗せたのに……首を落とせなかった)
神の反射速度と、肉体そのものの規格外の硬度。
致命傷には至らなかったという事実が、次元の違いを痛烈に物語っていた。
「……アラ、リック。あなた、顔から……血が……ッ」
エアラが、怯えたようにアラリックの袖を掴む。
その言葉が、魔王の逆鱗に完全に火をつけた。
「……私の女王の前で。この、私に……『血』を流させたか」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
大聖堂全体が、いや、帝都グランディールそのものが、巨大な地震に見舞われたかのように激しく揺れ始めた。
アラリックの全身から、漆黒の魔力が、底なしの泥沼のように溢れ出す。
それはもはや魔力という次元ではない。世界そのものを終わらせる、『絶対的な死の概念』の具現化。
「貴様ら……。塵一つ残さず、この宇宙から消し去ってくれるッ!!」
アラリックの目が、かつてないほどの『真の怒り』に染まった。
彼は両腕を大きく広げ、大聖堂の空間全体を、逃げ場のない漆黒の虚無で覆い尽くそうとした。
「極大禁忌魔法――『崩星の虚無』」
光が、音が、空気が、すべてアラリックの放つ漆黒に喰われていく。
大聖堂を支えていた黄金の柱が音もなく消滅し、外の景色が歪み始める。
「な……なんだこれ……ッ! 息が……ッ!」
ガウルが喉を掻きむしり、ルナリスとフィオナも酸欠で倒れ伏す。
(……クソッ! 広範囲すぎる。局所改竄じゃ、斬り払いきれねえ!)
カイトは、迫り来る漆黒の空間崩壊を前に、絶望的な力の差を悟った。
これを防ぐには、再び『全因果・白紙化』を使うしかない。だが、今それを使えば、カイトの残された記憶は完全に消滅し、彼の自我そのものが崩壊してしまうだろう。
(俺が、どうなっても……こいつらだけは……ッ!)
カイトが、自らの魂すべてを代償にする覚悟を決めて、右腕を天に掲げようとした、その瞬間だった。
『――ダメです、主』
カイトの胸の奥底。
完全に空っぽになったはずの、記憶の残骸が散らばる魂の深淵から。
かつて彼を導き、ジークフリートの刃から彼を庇って完全に消滅したはずの、女神ステラの『声なき声』が、ふっと温かく響いた。
「……ステ、ラ?」
カイトの右腕の真紅の光とは違う。
彼の胸の中心から、淡く、優しく、しかし絶対に壊れない『純白の光』が溢れ出した。
『私の残した最後の権能です。……貴方の記憶は、これ以上、削らせない』
フワァァァァッ……。
カイトの胸から溢れた純白の光が、ドーム状に展開され、カイトと、地に倒れ伏す仲間たちを優しく包み込んだ。
直後。
アラリックの放った『崩星の虚無』が、大聖堂のすべてを消滅させながら、カイトたちの光のドームへと激突した。
ズガァァァァァァァァァァンッ!!!!
世界が、白と黒の激しい閃光に塗り潰される。
アラリックの絶対魔法は、大聖堂の半分を消し飛ばし、帝都の空を覆っていた真紅の雲すらも宇宙の彼方へと吹き飛ばした。
だが。
「……何?」
光が収まった後。
アラリックは、忌々しげに目を細めた。
崩壊した大聖堂の瓦礫の中。
カイトたちの周囲だけが、半径数メートルの『安全地帯』として、完全に無傷で残されていたのだ。
「ステラ……お前、本当に……」
カイトは、自身の胸に手を当て、ポツリと呟いた。
返事はない。今度こそ、彼女の『残滓』すらも完全に使い果たされたのだということが、直感で分かった。
だが、彼女が最後に遺してくれた光の盾のおかげで、カイトの記憶は守られ、仲間たちも無事だった。
「……神の奇跡の残骸か。どこまでも鬱陶しい」
アラリックが、漆黒の魔力を纏ったまま、ゆっくりと階段を下りてくる。
「だが、その盾もすでに消滅した。……次こそ、本当に終わりだ。名もなき器よ」
「……ああ。終わりにしてやるよ」
カイトは、刃こぼれした鉄剣を握り直し、ゆっくりと立ち上がった。
ステラが守ってくれた命。仲間たちが繋いでくれた隙。
空っぽの英雄の瞳に、決して折れない、強靭な『反逆の光』が宿る。
「お前らの理不尽な世界は、俺が全部、上書きしてやるッ!!」
真紅の黄金を纏い、カイトは再び、最強の魔王へと向かって地を蹴った。
神と人間の、本当の最終ラウンドが、崩壊する玉座の間で幕を開けた。
更新通知を受け取りたい方は、ぜひブックマークをお願いします!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!
<beens 過去作>
https://mypage.syosetu.com/mypage/novellist/userid/3017364/




