第65話:永遠の玉座と、神々の遊戯
重厚な黒曜石の扉が、カイトたち五人を飲み込んだ直後、背後で音もなく閉ざされた。
――キィン、と。
外で吹き荒れていた血の風の音も、三千の反乱軍の息遣いも、すべてが遮断される。
「……なんだ、ここは」
ガウルが思わず息を呑んだ。
大聖堂の内部は、外の荒廃しきった血と灰の地獄とは、あまりにもかけ離れていた。
床は鏡のように磨き上げられた純白の大理石。天を突くほどの黄金の柱が並び、ステンドグラスからは、この世界のものではない穏やかで神聖な光が降り注いでいる。
そして、壁際に並べられた無数の『美しい水晶』。
その中には、かつてこの世界を救おうと立ち上がり、そして敗れていった歴代の勇者や英雄たちが、生きたまま苦悶の表情で永遠に封じ込められていた。
「美しいだろう? 彼女が寂しくないようにと、私が集めた『氷彫刻』だ」
広大な空間の最奥。
十数段の純白の階段の上にある、二つの玉座。
そこに、数百年前の伝承と何一つ変わらぬ、恐ろしいほどに美しい男女が座していた。
黄金の髪と、深淵のように静かな瞳を持つ魔王、アラリック。
その肩に頭を預け、退屈そうに目を伏せている絶世の美女、女王エアラ。
「……アラリック。外が騒がしいわ。私の午睡の邪魔よ」
エアラが、鈴を転がすような、しかし一切の感情がこもっていない声で呟く。
「すまない、エアラ。番犬の躾がなっていなかったようだ。すぐに静かにさせる」
アラリックは慈愛に満ちた手つきでエアラの漆黒の髪を撫でると、氷のように冷たい視線をカイトたちへと向けた。
「せっかくの二人の時間に、土足で踏み入る無作法な羽虫どもめ。……そこから一歩でも動けば、その肉体を原子の塵に変えるぞ」
その声には、怒りすらなかった。
ただ、神が人間を見下ろすような、絶対的な『事実』の宣告。
「ふざけるなッ! てめえらのせいで、どれだけの人間が泣いてきたと思ってやがる!!」
ガウルが怒号を上げ、大剣を握りしめて地を蹴った。
「ガウル、待って!」
ルナリスが制止しようとするが、ガウルの強靭な脚力はすでに玉座の十メートル手前まで肉薄していた。
さらに、後方からフィオナが極大魔法の詠唱を開始し、バルドが老獪な足取りで死角へと回り込む。
だが。
「……忠告したはずだぞ」
アラリックが、玉座に座ったまま、トンッと人差し指で肘掛けを『一回』叩いた。
――ピタッ。
その瞬間、世界から『音』と『時間』が消え失せた。
「……え?」
空中に飛び上がっていたガウルの体が、見えない巨大な壁に激突したように静止する。
フィオナの杖から溢れかけていた極大魔法の光が、まるでガラスが割れるようにパチンと砕け散り、ルナリスが放とうとしていた浄化の矢は、弓の弦ごと腐敗して消滅した。
「ガ、ハ……ッ!?」
次の瞬間、アラリックが指を離すと同時に、数万トンを超える『概念としての重圧』がカイトたち全員に襲いかかった。
ドゴォォォォォォォンッ!!
純白の大理石の床がクレーターのように陥没し、ガウル、ルナリス、フィオナ、バルドの四人が、一瞬にして床に叩き伏せられた。
骨が軋み、肺から空気が強制的に吐き出される。指一本、まぶた一つ動かすことすら許されない、絶対的な力の暴流。
「カハッ……、あ、う……」
ルナリスが血を吐きながら、必死に顔を上げようとするが、それすらも叶わない。
レオンが放った極大重力など児戯に等しい。魔王アラリックが放ったのは、魔法の詠唱すら必要としない、ただの『威圧』に過ぎなかったのだ。
「無駄だ。私の『理』の中では、貴様らの魔法も物理法則も意味を成さない。……だが、一人だけ例外がいるようだな」
アラリックが、わずかに目を細めた。
「……ハァ、ハァ……ッ」
陥没した床の中心。
仲間たちが地に這いつくばる中、両足から血を流し、全身の骨をミシミシと鳴らしながらも、ただ一人『立っている』青年がいた。
「カイト、様……ッ」
カイトの右手には、刃こぼれした鉄剣が握られていた。
その刃先には、真紅の光がチカチカと激しく明滅している。
自身を押し潰そうとする『神の威圧』が触れるそのコンマ数ミリの瞬間に、カイトは自身の頭上にある圧力の因果だけを、超高速の剣閃で『斬り払い続けて』いたのだ。
「なるほど、それがレオンを滅ぼした力か。空間の因果そのものを書き換える刃……厄介な異物だな」
アラリックは玉座に顎を乗せ、嘲笑うように口角を上げた。
「だが、哀れな器よ。私には視えているぞ。貴様をこの世界に呼び寄せたあの愚かな女神は、すでに貴様の魂の中で燃え尽きている。そして、貴様自身の『過去の記憶』すらも、代償としてすべて失われているではないか」
アラリックの言葉に、床に這いつくばるルナリスたちが息を呑む。
「故郷の景色も、親の顔も、自分が何者であったかすら思い出せない。神の加護もなく、空っぽになった器が、たった一本の鉄剣でこの私に届くと思っているのか?」
魔王の冷酷な言葉が、大聖堂に響き渡る。
絶対的な絶望。神と人間という、越えられない次元の壁。
だが。
「……ああ、そうだよ。俺の頭の中は、今じゃすっからかんだ」
カイトは、口から流れる血を手の甲で乱暴に拭い去り、ニッと――最高に不敵で、好戦的な笑みを浮かべた。
「でもな、魔王。空っぽのおかげで、せいぜい『一つ』のことしか考えられなくなったんだよ」
カイトが、刃こぼれした鉄剣の切っ先を、真っ直ぐにアラリックの眉間へと突きつける。
「俺に剣を教えてくれたジジイ。背中を預けてくれるバカな獣人。無茶ばかりする聖女に、よく泣くエルフのお姫様。……俺が今生きてる『ここ(現実)』の仲間を傷つける神様を、片っ端から斬り伏せる。それだけだ」
記憶がないからこそ、今の彼には迷いがなかった。
地球の未練も、過去への後悔もない。
ただ、目の前にいる大切な仲間を守り、彼らを泣かせる理不尽を叩き斬る『一人の剣鬼』としての純粋な殺意だけが、真紅の刃となって燃え上がっていた。
「……吠えるな、羽虫が」
アラリックの瞳から、ついに明確な『敵意』が放たれた。
「上等だ。お前らの永遠のイチャイチャごっこ……俺が今日で終わらせてやる!!」
神の威圧を斬り裂きながら、カイトが玉座へと向けて、ただ一人で地を蹴った。
世界の理を敷いた最強の二柱と、記憶なき反逆の英雄。
真の最終決戦の火蓋が、今、切って落とされた。
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<beens 過去作>
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