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渇きの聖域 —— 聖女の毒を啜る異形騎士の狂愛  作者: beens
第7章:神殺しの剣、あるいは空っぽの英雄

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第65話:永遠の玉座と、神々の遊戯

重厚な黒曜石の扉が、カイトたち五人を飲み込んだ直後、背後で音もなく閉ざされた。

――キィン、と。

外で吹き荒れていた血の風の音も、三千の反乱軍の息遣いも、すべてが遮断される。

「……なんだ、ここは」

ガウルが思わず息を呑んだ。

大聖堂の内部は、外の荒廃しきった血と灰の地獄とは、あまりにもかけ離れていた。

床は鏡のように磨き上げられた純白の大理石。天を突くほどの黄金の柱が並び、ステンドグラスからは、この世界のものではない穏やかで神聖な光が降り注いでいる。

そして、壁際に並べられた無数の『美しい水晶』。

その中には、かつてこの世界を救おうと立ち上がり、そして敗れていった歴代の勇者や英雄たちが、生きたまま苦悶の表情で永遠に封じ込められていた。

「美しいだろう? 彼女が寂しくないようにと、私が集めた『氷彫刻(コレクション)』だ」

広大な空間の最奥。

十数段の純白の階段の上にある、二つの玉座。

そこに、数百年前の伝承と何一つ変わらぬ、恐ろしいほどに美しい男女が座していた。

黄金の髪と、深淵のように静かな瞳を持つ魔王、アラリック。

その肩に頭を預け、退屈そうに目を伏せている絶世の美女、女王エアラ。

「……アラリック。外が騒がしいわ。私の午睡の邪魔よ」

エアラが、鈴を転がすような、しかし一切の感情がこもっていない声で呟く。

「すまない、エアラ。番犬(レオン)の躾がなっていなかったようだ。すぐに静かにさせる」

アラリックは慈愛に満ちた手つきでエアラの漆黒の髪を撫でると、氷のように冷たい視線をカイトたちへと向けた。

「せっかくの二人の時間に、土足で踏み入る無作法な羽虫どもめ。……そこから一歩でも動けば、その肉体を原子の塵に変えるぞ」

その声には、怒りすらなかった。

ただ、神が人間を見下ろすような、絶対的な『事実』の宣告。

「ふざけるなッ! てめえらのせいで、どれだけの人間が泣いてきたと思ってやがる!!」

ガウルが怒号を上げ、大剣を握りしめて地を蹴った。

「ガウル、待って!」

ルナリスが制止しようとするが、ガウルの強靭な脚力はすでに玉座の十メートル手前まで肉薄していた。

さらに、後方からフィオナが極大魔法の詠唱を開始し、バルドが老獪な足取りで死角へと回り込む。

だが。

「……忠告したはずだぞ」

アラリックが、玉座に座ったまま、トンッと人差し指で肘掛けを『一回』叩いた。

――ピタッ。

その瞬間、世界から『音』と『時間』が消え失せた。

「……え?」

空中に飛び上がっていたガウルの体が、見えない巨大な壁に激突したように静止する。

フィオナの杖から溢れかけていた極大魔法の光が、まるでガラスが割れるようにパチンと砕け散り、ルナリスが放とうとしていた浄化の矢は、弓の弦ごと腐敗して消滅した。

「ガ、ハ……ッ!?」

次の瞬間、アラリックが指を離すと同時に、数万トンを超える『概念としての重圧』がカイトたち全員に襲いかかった。

ドゴォォォォォォォンッ!!

純白の大理石の床がクレーターのように陥没し、ガウル、ルナリス、フィオナ、バルドの四人が、一瞬にして床に叩き伏せられた。

骨が軋み、肺から空気が強制的に吐き出される。指一本、まぶた一つ動かすことすら許されない、絶対的な力の暴流。

「カハッ……、あ、う……」

ルナリスが血を吐きながら、必死に顔を上げようとするが、それすらも叶わない。

レオンが放った極大重力など児戯に等しい。魔王アラリックが放ったのは、魔法の詠唱すら必要としない、ただの『威圧(ためいき)』に過ぎなかったのだ。

「無駄だ。私の『理(ことわり)』の中では、貴様らの魔法も物理法則も意味を成さない。……だが、一人だけ例外がいるようだな」

アラリックが、わずかに目を細めた。

「……ハァ、ハァ……ッ」

陥没した床の中心。

仲間たちが地に這いつくばる中、両足から血を流し、全身の骨をミシミシと鳴らしながらも、ただ一人『立っている』青年がいた。

「カイト、様……ッ」

カイトの右手には、刃こぼれした鉄剣が握られていた。

その刃先には、真紅の光がチカチカと激しく明滅している。

自身を押し潰そうとする『神の威圧』が触れるそのコンマ数ミリの瞬間に、カイトは自身の頭上にある圧力の因果だけを、超高速の剣閃で『斬り払い続けて』いたのだ。

「なるほど、それがレオンを滅ぼした力か。空間の因果そのものを書き換える刃……厄介な異物だな」

アラリックは玉座に顎を乗せ、嘲笑うように口角を上げた。

「だが、哀れな器よ。私には視えているぞ。貴様をこの世界に呼び寄せたあの愚かな女神(ステラ)は、すでに貴様の魂の中で燃え尽きている。そして、貴様自身の『過去の記憶』すらも、代償としてすべて失われているではないか」

アラリックの言葉に、床に這いつくばるルナリスたちが息を呑む。

「故郷の景色も、親の顔も、自分が何者であったかすら思い出せない。神の加護もなく、空っぽになった器が、たった一本の鉄剣でこの私に届くと思っているのか?」

魔王の冷酷な言葉が、大聖堂に響き渡る。

絶対的な絶望。神と人間という、越えられない次元の壁。

だが。

「……ああ、そうだよ。俺の頭の中は、今じゃすっからかんだ」

カイトは、口から流れる血を手の甲で乱暴に拭い去り、ニッと――最高に不敵で、好戦的な笑みを浮かべた。

「でもな、魔王。空っぽのおかげで、せいぜい『一つ』のことしか考えられなくなったんだよ」

カイトが、刃こぼれした鉄剣の切っ先を、真っ直ぐにアラリックの眉間へと突きつける。

「俺に剣を教えてくれたジジイ。背中を預けてくれるバカな獣人。無茶ばかりする聖女に、よく泣くエルフのお姫様。……俺が今生きてる『ここ(現実)』の仲間を傷つける神様を、片っ端から斬り伏せる。それだけだ」

記憶がないからこそ、今の彼には迷いがなかった。

地球の未練も、過去への後悔もない。

ただ、目の前にいる大切な仲間を守り、彼らを泣かせる理不尽を叩き斬る『一人の剣鬼』としての純粋な殺意だけが、真紅の刃となって燃え上がっていた。

「……吠えるな、羽虫が」

アラリックの瞳から、ついに明確な『敵意』が放たれた。

「上等だ。お前らの永遠のイチャイチャごっこ……俺が今日で終わらせてやる!!」

神の威圧を斬り裂きながら、カイトが玉座へと向けて、ただ一人で地を蹴った。

世界の理を敷いた最強の二柱と、記憶なき反逆の英雄。

真の最終決戦の火蓋が、今、切って落とされた。

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<beens 過去作>

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