第60話:交差する牙と、記憶なき英雄の帰還
「ギ、ギギギ……ッ! ゴミ共ガ、何万集マロウト無駄ダァッ!!」
三体の死霊騎士が、怨嗟の咆哮と共に禍々しい魔力を爆発させた。
宰相レオンの因子を受け継ぐ彼らが放つのは、周囲の空間を圧殺する『極大重力』と、すべてを侵食する『腐敗の業火』。三千の軍勢を前にしても、その理不尽な広範囲殲滅魔法は圧倒的な脅威だった。
だが、今のカイトには、背中を預けられる『最強の仲間たち』がいた。
「ルナリス! フィオナ! 術式の相殺を頼む!」
カイトが刃こぼれした鉄剣を構えながら叫ぶ。
「はいッ! カイト様を、もう誰にも傷つけさせはしない!」
白狼の背から飛び降りたルナリスが、白銀の『黎明の神弓』を引き絞る。
放たれた三本の光の矢が、死霊騎士たちの展開した重力場の中心に正確に突き刺さった。神聖な浄化の波紋が広がり、反乱軍を押し潰そうとしていた重圧がパチンと弾け飛ぶ。
「極大魔術――『天上の業火』!!」
同時に、フィオナの杖から放たれた純白の炎が、迫り来る腐敗の黒炎と正面から激突した。
魔王軍の穢れた炎を、代償なき極大魔法が完全に飲み込み、蒸発させていく。
「ナニ……ッ!? 我ガ魔力ガ、相殺サレ……」
死霊騎士の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
「よそ見してんじゃねえぞ、デカブツ!!」
その完璧な死角から、獣人ガウルが岩山を蹴り砕くほどの跳躍で強襲した。
「バルダス流獣王術――『砕牙』ッ!!」
痛覚の制限を外したガウルの大剣が、中央の死霊騎士の巨大な戦斧を根元から叩き折る。さらにその勢いのまま、巨体の膝裏へ強烈な蹴りを叩き込み、死霊騎士の姿勢を完全に崩した。
「いけるぞ、カイトォッ!!」
ガウルの咆哮。
「ああ、十分だッ!」
カイトはすでに、地を這うような低い姿勢で死霊騎士の懐へと入り込んでいた。
「ギ、ガァァァァッ!!」
体勢を崩しながらも、死霊騎士が残った腕でカイトを握り潰そうと迫る。
かつてなら、ここで右腕に莫大な魔力を集め、空間ごと吹き飛ばしていただろう。だが、今のカイトの瞳は、敵の分厚い装甲の隙間――『因果の結節点』だけを冷徹に見据えていた。
カイトの鉄剣が、下段から跳ね上がる。
刃が死霊騎士の黒甲冑に触れる、そのコンマ数ミリの瞬間。
一滴の真紅の光が、刃先にだけチカッと灯った。
――スパンッ。
硬度も、質量も、呪いの因果も関係ない。
局所改竄を乗せた鉄剣が、死霊騎士の巨体を、その奥にあるレオンの『魔力の核』ごと、完璧に両断した。
「ギ……、ア……ッ」
真っ二つに分断された死霊騎士が、音を立てて崩れ落ち、灰となって霧散する。
「次ッ!」
カイトは立ち止まることなく、地面を蹴った。
残る二体の死霊騎士が迎撃しようとするが、ルナリスの浄化の矢が彼らの目を焼き、ガウルの大剣がその足を止める。
完璧な連携。
カイトが間合いに入り、真紅の一滴を宿した刃を一閃するたび、帝都の狂気が生み出した最強の処刑部隊は、一切の抵抗も許されずに両断され、ただの灰へと還っていった。
「……終わった、のか」
城砦からその光景を見ていたバルドが、呆然と呟いた。
魔王軍の精鋭を、たった数人の連携で、一切の被害を出すことなく完封してしまったのだ。
静寂が降りた荒野に、カイトが鉄剣の血振りをして鞘に収める乾いた音が響く。
「……カイト、様」
ルナリスが、震える足で一歩、また一歩とカイトへ近づいてきた。
その後ろから、フィオナが両手で顔を覆って泣きじゃくりながら、ガウルが鼻をすすりながら歩み寄る。
カイトは振り返り、ボロボロの服と傷だらけの顔で、困ったように頭を掻いた。
「……わりぃ。勝手に逃がしたりして」
その言葉が終わる前に、ルナリスがカイトの胸に飛び込み、声を上げて泣き崩れた。
「バカです! 本当に、バカですカイト様……ッ! あなたが死んでしまったら、私たちが生き延びたって、何の意味も……ッ!!」
「ごめんなさい、カイト様……私たち、置いていかれたのが悔しくて……ッ」
フィオナもカイトの背中にしがみつき、ガウルがその大きな腕で三人ごと力強く抱きしめた。
「ガハハッ! 生きてりゃ文句はねえ! よく生きててくれたな、カイト!!」
カイトは、仲間の温かさと涙の重みを全身で受け止めながら、ゆっくりと目を閉じた。
失われた記憶の空洞が、彼らの体温で満たされていくのを感じる。
「ああ……。ただいま」
その日の夜。
『灰の森』の廃城砦は、かつてないほどの熱気と喜びに包まれていた。
バルド率いる地下レジスタンスと、ルナリスが各地から集めた三千の反乱軍が合流し、魔王軍に対する『新生・連合解放軍』が正式に結成されたのだ。
焚き火の周りには、カイト、ルナリス、ガウル、フィオナ、そしてバルドが円座を組んでいた。
「……なるほどな。お前さんを導いていた『女神の声』は消え、大きな力を使えば過去の記憶が消し飛ぶ、か」
カイトからこれまでの真実(ステラの消失と、記憶の代償)を聞かされたバルドが、隻眼を細めて重々しく頷いた。
ルナリスたちは、言葉を失っていた。
カイトが自分たちを逃がすために、どれほどのものを犠牲にしたのか。彼が今、自分が地球でどんな名前で、どんな家族がいたのかすら思い出せないという事実に、フィオナは再び涙をこぼした。
「泣くことじゃねえよ」
カイトは、木のジョッキに入ったエールを煽りながら笑った。
「バルドに剣を教わって、燃費のいい『局所改竄』を身につけた。これなら、もう俺の記憶が削られることはない。……俺は、この世界の住人として、自分の足で立つと決めたんだ」
その力強い言葉に、ルナリスは涙を拭い、真っ直ぐにカイトを見つめ返した。
「……はい。あなたの過去がなくなってしまったのなら、私たちがこれから、新しい記憶をいくらでも作ります。……もう絶対に、あなた一人にすべてを背負わせはしません」
「頼もしいね」
カイトが微笑むと、バルドが地図を広げて焚き火のそばに置いた。
「さて、感動の再会はここまでだ。三千の大軍をいつまでも森に隠しておけるわけじゃあない。……反撃の狼煙を上げるなら、標的は決まっているな?」
ルナリスが頷き、地図の一点を指差した。
「ええ。帝都グランディールへと続く唯一の陸路を塞ぐ、魔王軍最大の防衛拠点……『嘆きの城壁』です」
地図に記されたその場所は、山脈と山脈を繋ぐように建造された、巨大で禍々しい黒曜石の要塞だった。
「あの城壁には、宰相レオン直属の悪魔部隊と、数万の魔物兵が駐屯しているはずだ。落とせば、帝都の喉元に刃を突きつけることになる」
バルドが腕を組む。
「上等だ。俺たちの新しい剣の試し斬りには、ちょうどいい」
カイトが立ち上がり、夜空に浮かぶ真紅の月を見上げた。
「待ってろよ、レオン。……今度は、俺たちがそっちへ攻め込む番だ」
絶望から這い上がった記憶なき英雄と、彼を信じる三千の牙。
反逆の進軍が、いよいよ帝都へ向けて動き出そうとしていた。
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