第55話:喪失の先の剣、削り合う命の使い道
灰色の霧が立ち込める薄暗い地下空洞。
『灰の森』と呼ばれる魔王軍の監視網から外れたこの場所は、かつて南の小国が遺した巨大な地下遺跡であり、今は抗う意志を捨てていない者たちの隠れ家(レジスタンス拠点)となっていた。
「……っ、痛ぇ」
カイトは、岩肌に立てかけられた粗末な藁のベッドから身を起こそうとして、顔をしかめた。
レオンの極大魔法による全身の骨折と火傷。これまでは女神ステラの恩恵と無意識の『因果改竄』によって痛覚すらもごまかせていたが、今はただの人間としての生々しい激痛が、容赦なく彼の神経を焼いていた。
「無理をするな。あの状態から三日で目を覚ましただけでも、化け物じみた生命力だ」
焚き火のそばで、隻眼のエルフ、バルドが小刀で木の枝を削りながら言った。
「寝てたら、体が鈍る……。俺は、あいつらのところに、戻らなきゃ……」
カイトは壁に手をつき、震える足でなんとか立ち上がった。だが、数歩も歩かないうちに膝から崩れ落ちそうになる。
ドンッ、と。
バルドが削っていた木剣を、カイトの足元に放り投げた。
「お前さん、自分の『中身』が空っぽなことに気づいているか?」
バルドの鋭い隻眼が、カイトを射抜く。
「あの絶望の帝都から自力で転移してくるほどの異常な魔力。だが、お前さんの体の動かし方、足の運び、筋肉の使い方は……剣を握ったこともない、ただの素人(赤子)のそれだ」
「……」
カイトは反論できなかった。
事実、彼には剣の素養など一切ない。これまでは、ステラという『最強の照準器』が敵の弱点を解析し、そこに無尽蔵の因果改竄を流し込んでいただけだ。
その照準器を失った今、カイトは「狙いの定め方がわからない巨大な大砲」を抱えただけの、ただの素人に成り下がっていた。
「俺の力は……世界を上書きする奇跡だ。でも、力を使うたびに、俺の過去が、記憶が、魂が削られていく。……もう、俺には『燃料』がほとんど残ってないんだ」
カイトは、落ちていた木剣を拾い上げ、ギュッと握りしめた。
「レオンみたいなデタラメなバケモノを相手に、力任せの魔法の撃ち合いをすれば、俺はすぐに完全に消滅する。……だから、教えてくれ」
カイトは、血の滲む包帯だらけの体で、歴戦の騎士であるバルドに向けて深く頭を下げた。
「俺に、剣を教えてくれ。……スキル(チート)に頼らなくても、あの理不尽どもに刃を届かせるための『戦い方』を」
バルドは焚き火の炎を見つめ、静かに息を吐いた。
「……代償を伴う恵みの力、か。なるほどな」
バルドが立ち上がり、自身の腰に帯びた長剣の柄に手をかけた。
「いいだろう。俺たち『灰の牙』も、魔王軍を打倒するための希望を探していた。お前さんのその命を削る大砲、俺が『必殺の刃』に鍛え直してやる」
バルドはカイトの前に立ち、木剣を構えさせた。
「大魔法を乱れ撃つ必要はない。いいか、剣術の極意とは『間合い』と『点の突破』だ」
バルドの木剣が、目にも留まらぬ速さでカイトの首筋にピタリと止められた。風圧だけでカイトの髪が揺れる。
「お前さんのその異常な力は、剣が敵の肉体に触れる『その一瞬』、あるいは敵の魔法を斬り払う『その一点』にのみ、局所的に注ぎ込め。空間全体を書き換えるのではなく、刃先の数センチだけ因果を書き換えるんだ。そうすれば、魂の摩耗(代償)は最小限に抑えられ、威力は極大に達する」
「……一点だけの、局所改竄」
カイトの瞳に、新たな光が宿った。
チートを捨てるのではない。技術と掛け合わせることで、圧倒的に燃費の良い『究極の斬撃』を生み出すのだ。
「明日から地獄を見るぞ、坊主。魔王の首を落とすための剣鬼に仕立て上げてやる」
「……望むところだ。俺にはもう、失う過去なんてないからな」
暗い地下空洞に、乾いた木剣の打ち合う音が響き始めた。
――同じ頃。帝都から遥か北西、荒涼とした岩山地帯。
「ハァッ……、ハァッ……!!」
獣人ガウルが、大剣を杖代わりにして荒い息を吐いていた。
彼の足元には、追手として差し向けられた魔王軍の異形の兵士たちが、数十体も血の海に沈んでいる。
「カイト様……。カイト様……ッ!!」
フィオナが、血に濡れた両手で顔を覆い、しゃくり上げていた。
カイトの自己犠牲による空間転移で、彼らは無傷のままこの岩山に放り出された。そして数日が経ち、彼らはカイトが「生きている」という確証のないまま、絶望的な逃避行を続けていた。
「泣くのはやめろ、フィオナ」
岩山の上。帝都の方角を鋭い眼差しで見据えるルナリスの声は、かつてないほど低く、そして冷たく澄み切っていた。
その手には、カイトから託された(空間転移の際に共に転送された)『ジークフリートの折れた聖剣の柄』が握られている。
「ルナリス……でも、カイト様はあんなバケモノの前に一人で……ッ」
「カイト様は生きている」
ルナリスは振り返り、強い意志を宿した金色の瞳で二人を見た。
「あの方は、私に『死ぬな』と命じた。そして、私たちの顔を忘れないと言ってくれた。あの方がその約束を違えるはずがない」
ルナリスは、折れた聖剣の柄を自身の腰に強く結びつけた。
その背中には、かつての「守られるだけの聖女」の面影はない。
「私たちは、あの方に救われた命だ。ならば、あの方が再び立ち上がるその時までに……私たちが、あの方を迎えるための『軍』を創る」
「軍を……?」ガウルが目を見開く。
「ええ。この世界にはまだ、魔王軍に虐げられ、見見ぬふりをしている人間や亜人たちが星の数ほどいる。私たちが彼らを束ね、希望の火を灯す。……カイト様が戻られた時、今度こそあの方に『すべて』を背負わせないために」
ルナリスの宣言に、ガウルは自身の太い腕を力強く叩き、フィオナは涙を拭って立ち上がった。
英雄が自身の剣を鍛え直す孤独な時間。
そして、英雄の帰還を信じる仲間たちが、世界を巻き込む反逆の炎を広げていく時間。
交わることのない二つの道は、やがて来る魔王との最終決戦に向けて、静かに、だが確実に動き出していた。
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<beens 過去作>
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