第54話:決死の殿(しんがり)と、見知らぬ天井
「ガァァァァァァッ!! 潰レロ、潰レロォォォッ!!」
魔導生命体と化した宰相レオンの六本の腕が乱舞するたび、帝都の大地が悲鳴を上げて砕け散った。
降り注ぐ絶対零度の氷塊。すべてを灰にする業火。そして、それらを数万トンの極大重力で圧縮した『理不尽の塊』が、カイトの展開する真紅の防壁を容赦なく削り取っていく。
「ぐ、がぁぁっ……!」
カイトは両腕を交差させ、歯を食いしばって激痛に耐えていた。
防壁を維持するだけで精一杯だ。反撃のために因果を書き換えようにも、今の彼には「敵の術式の弱点」を教えてくれる女神ステラの声がない。無数の攻撃が混ざり合ったこのデタラメな暴力に対し、どこから書き換えればいいのか、完全に手探り状態なのだ。
ピキッ、と。
カイトの防壁に、致命的な亀裂が走った。
「カイト様! もうダメです、防壁が……ッ!」
背後で、重圧に地に伏せたままルナリスが悲痛な叫びを上げた。
ガウルは己の巨体でフィオナを庇っているが、その太い腕からはブチブチと筋繊維が千切れる嫌な音が響いている。
(……このままじゃ、全員仲良くミンチだ)
カイトは、血の混じった唾を吐き捨てた。
無敵の能力を持っていたはずの自分が、押し負けている。地球での記憶をすべて燃やし尽くして得た『真紅の黄金』すらも、三体分の七天王の力を取り込んだ狂気の宰相を前にしては、出力が足りない。
「……悪いな、お前ら」
カイトは、振り返ることなく低く呟いた。
「俺のワガママに、付き合ってくれ」
「え……?」
ルナリスが顔を上げた瞬間。
カイトは、レオンの猛攻を防いでいた『真紅の黄金』の魔力を、一気に自分の背後――ルナリスたち三人の方へと振り向けたのだ。
「――【座標空間・強制上書き】ッ!!」
「なっ!? カイト様、何を……!」
「おい、やめろカイトォッ!!」
カイトの放った真紅の光が、ルナリス、ガウル、フィオナの三人を優しく、しかし絶対的な力で包み込んだ。
それは攻撃ではない。彼らの『現在地』という因果を、帝都のはるか外、安全な荒野へと強制的に書き換えるための術式だった。
光に包まれ、その姿がブレ始めたルナリスが、涙ながらにカイトへ手を伸ばす。
「カイト様! 嫌です、あなたを置いていくなんて……ッ! 一緒に……!!」
「……俺は、元の自分がどこの誰だったのかも、もう思い出せねえ」
カイトは、肩越しに少しだけ顔を向け、血だらけの顔でニッと笑った。
「でも、お前らの顔だけは、絶対に忘れたくねえんだ。……死ぬなよ、ルナリス」
「カイト様ァァァァァッ!!」
ルナリスの絶叫が空間に吸い込まれるように消え、三人の姿は完全に帝都から消失した。
これでいい。守るべきものは、安全な場所へ逃がした。
だが、防壁を解いて仲間を逃がすことに魔力を割いた代償は、あまりにも大きかった。
「ギハハハハ! 愚カなバグメ!! 貴様ノ命ヲ捨テテ、ゴミヲ逃ガシタカ!!」
無防備になったカイトの全身に、レオンの放った氷塊と業火、そして極大重力が直撃した。
「ガ、アァァァァァァッ!!?」
肉が焦げ、骨が砕ける音が帝都に響き渡る。
カイトの体はボロ雑巾のように宙を舞い、大理石の柱を何本もへし折りながら、大聖堂の壁へと激突して深々とめり込んだ。
「……あ、は……っ」
カイトは白目を剥き、口から大量の血を吐き出しながら、ズルズルと地面に崩れ落ちた。
右腕はあらぬ方向に曲がり、全身の皮膚は焼け焦げ、呼吸をするたびに肺から血の泡が漏れる。完全に、死に体だった。
(……あー、痛ぇ。……ステラが肩代わりしてくれてた痛みが……全部、来る)
薄れゆく意識の中で、カイトは自分が本当に死ぬのだと悟った。
レオンが、地響きを立てながらゆっくりと歩み寄ってくる。その六本の腕には、カイトを完全に消滅させるための漆黒の魔力が収束していた。
「終ワリダ、救世主気取リノ異物ヨ。……永遠ノ暗闇ニ沈メ」
レオンの巨大な拳が、カイトの頭部に向けて無慈悲に振り下ろされる。
万策尽きた。カイトの意識が、深い闇へと落ちていく。
だが、その時だった。
カイトの意志とは無関係に、彼の胸の奥底――かつてステラが宿っていた『魂の深淵』から、バチッ! と強烈な真紅の火花が弾けた。
『――警告。主の生命活動の完全停止を予測。……生存本能による、緊急・無作為改竄を強制実行します』
ステラの声ではない。カイト自身の魂に刻み込まれた、能力そのものの『自動防衛システム』が暴走したのだ。
「ナニ……ッ!?」
振り下ろされたレオンの拳がカイトの頭を砕くコンマ一秒前。
カイトの体が空間ごとグニャリと歪み、そのまま『ポンッ』という間の抜けた音と共に、跡形もなく掻き消えた。
「――ッ!? 逃ゲタ……!? バカな、空間転移ノ因果ナド、既ニ私ガ重力デ縛ッテイタハズ!! どこへ消エタ、バグゥゥゥゥッ!!」
狂乱するレオンの咆哮だけが、主を失った帝都に空しく響き渡っていた。
チロチロと、焚き火の爆ぜる音がする。
鼻を突くのは、薬草の青臭い匂いと、土の香り。
「…………ん」
カイトは、全身を苛む激痛と共に、重い瞼をゆっくりと開けた。
視界に飛び込んできたのは、見たこともない薄暗い洞窟の天井だった。
「おや、気がついたかね。しぶとい坊主だ」
しゃがれた、しかしどこか力強い声が聞こえ、カイトは視線を動かした。
焚き火の向こう側に座っていたのは、片目を眼帯で覆い、全身に歴戦の傷跡を刻んだ初老の男だった。その尖った耳は、彼がエルフの血を引く亜人であることを示している。
「……ここは、どこだ? あんたは……」
カイトが掠れた声で尋ねると、男は焚き火に薪をくべながら、ふっと笑った。
「ここは、帝都から遥か南の『灰の森』。魔王軍の目から逃れ、地下で泥水をすすって生きてるネズミどもの巣穴さ。……空から血まみれで降ってきたお前さんを拾ったのは、三日前だ」
「……三日」
カイトは自身の体を見下ろした。ボロボロになった体には、丁寧に何重もの包帯が巻かれ、魔力を含んだ薬草が塗られている。
あの絶体絶命の瞬間、無意識のうちに能力が暴走し、ランダムな座標へ空間を書き換えて墜落したらしい。
「俺は……逃げたのか」
カイトは、力なく呟いた。
「逃げるのは恥じゃない。生きていれば、何度でも牙を研げる」
初老の男は立ち上がり、カイトを見下ろした。その隻眼には、魔王軍に対する決して消えない『怒りの炎』が静かに燃えていた。
「俺の名はバルド。かつて南の小国で騎士団長をやっていた男だ。……お前さん、あの帝都の空を割るような魔力……ただの人間じゃないな?」
カイトは、痛む体を起こし、暗い洞窟の天井を見上げた。
地球の記憶はない。仲間の安否もわからない。無敵だった力は、狂信のバケモノにへし折られた。
「……俺は、カイト。ただの……記憶喪失の迷子だよ」
カイトは自嘲気味に笑い、しかし、その瞳の奥にはまだ『折れない光』を宿して、男を見返した。
一度目の完全な敗北。
しかしそれは、泥に塗れた本当の英雄としての、新たな戦いの幕開けでもあった。
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