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渇きの聖域 —— 聖女の毒を啜る異形騎士の狂愛  作者: beens
第5章:夜明けの残光、あるいは再誕の救世主

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第50話:沈黙の女神と、血塗られた選択

時間が、ひどくゆっくりと流れていた。

漆黒の鎧を纏った【傲慢】のジークフリートが、カイトの眼前に迫る。振り下ろされる白銀の聖剣は、カイトの命を刈り取るための完璧な軌道を描いていた。

(……動け。因果を、書き換えろッ!)

カイトは脳内で叫んだが、右手に集めた黄金の魔力は、ほんの一瞬の『躊躇い』によって霧散してしまっていた。

能力を使えば、地球にいた自分の家族の顔を、自分が何者であったかという確かな記憶を、完全に失ってしまう。その得体の知れない恐怖が、無敵の救世主の足を泥のように重くしていたのだ。

死が、首筋に触れた。

『――主(マスター)ッ!!』

その瞬間。

カイトの脳内に響いていた女神ステラの声が、悲鳴のような絶叫に変わった。

同時に、カイトの胸の奥底から、彼自身の意志とは無関係に、目も眩むような純白の光柱が噴き出した。

ガガァァァァァァァンッ!!!

ジークフリートの白銀の聖剣が、突如として展開された純白の光の盾に激突した。

神々の雷が落ちたような轟音。

だが、かつて帝国の第一皇子であった最強の英雄の一撃を、光の盾だけで完全に防ぎ切ることはできなかった。

パリンッ! と、ステラの神格そのものを編み込んだ光の盾が、ガラス細工のように無残に砕け散る。

殺しきれなかった聖剣の切っ先が、カイトの胸を斜めに深く切り裂いた。

「が、はァッ……!!?」

鮮血が宙を舞う。

凄まじい衝撃波に跳ね飛ばされたカイトの体は、数十メートル後方へと紙屑のように吹き飛ばされ、荒涼とした大地を何度もバウンドして転がった。

「カイト様ァァァッ!!」

ルナリスの悲痛な絶叫が戦場に響き渡る。

吹き飛んだカイトは、激しい咳込みと共に大量の血を吐き出し、その場にうずくまった。

胸に走る、焼けるような激痛。これまでの戦いで一度も傷を負ったことのなかった彼にとって、それは初めて味わう『死の匂い』だった。

(ステラ……! おい、ステラッ!)

カイトは必死に脳内の声に呼びかけた。

しかし。

『……どうか、カイト……。貴方、は……生きて……』

ひどく弱々しい掠れ声。

それを最後に。

カイトの脳内に常に存在し、彼を導き、代償を肩代わりしてくれていた温かい気配が、プツンと、完全に途絶えた。

「ステラ……? 嘘だろ、おい……ッ」

返事はない。【天啓の導き(アプレイザル・ボイス)】の繋がりが、ステラの自己犠牲によって完全に消滅したのだ。

カイトが血の海の中で愕然としている間にも、絶望は歩みを止めない。

ジークフリートが、ゆっくりと、無機質な動作で再び聖剣を構え、倒れたカイトへと歩みを進めた。

「させねェェェッ!!」

獣人ガウルが、凄まじい咆哮と共にジークフリートの側面から飛びかかった。

痛覚の制限を外した、バルダス流の全力の跳び蹴り。岩山をも粉砕するその一撃が、漆黒の鎧の胴体へとクリーンヒットする。

しかし。

「……なっ!?」

ガウルは自身の足の骨が軋むのを感じ、目を見開いた。

ジークフリートは、微動だにしていなかった。ガウルの渾身の一撃を受けてなお、一歩も後退することなく、ただ鬱陶しい羽虫を見るように首を向けただけだった。

「極大魔術――『天上の業火(プロミネンス・バースト)』ッ!!」

後方からフィオナが、泣き叫びながら純白の炎を放つ。

炎の奔流がジークフリートを飲み込む。

だが、彼はその地獄の業火の中を、焦げ目一つつけずに悠然と歩み出てきた。かつて自身が捧げた「記憶」を代償にして膨れ上がった絶対的な魔力障壁が、一切の魔法を弾き返しているのだ。

ズバッ!!

ジークフリートが、無造作に聖剣の平(ひら)でガウルを薙ぎ払った。

「ゴ、ァァァァァッ!!」

ただの裏拳にも等しい一撃。それだけで、ガウルの巨体がくの字に折れ曲がり、肋骨を何本も粉砕されながら血まみれになって吹き飛んだ。

「ガウル!! ああ……ッ、来ないで、来ないでェッ!!」

フィオナが震える手で連続して魔法を放つが、ジークフリートの歩みは止まらない。

ルナリスも『黎明の神弓』で浄化の矢を放つが、漆黒の鎧に触れた瞬間に霧散してしまう。

圧倒的。次元が違う。

これが、数百年間、絶望の頂点に君臨し続けてきた魔王軍の『真の恐怖』。

(俺の……せいだ)

カイトは、地面に這いつくばり、己の血の匂いを嗅ぎながら、視界の端でボロボロにされていく仲間たちの姿を見ていた。

(俺が、ビビったから。……自分が誰だったか忘れるのが、怖かったから。俺のせいで、ステラが消えて、こいつらが……ッ!)

「カイト様……逃げて……っ」

血反吐を吐きながら、ガウルが這い蹲ってジークフリートの足首にすがりつこうとする。しかし、無情にも蹴り飛ばされ、ついに動かなくなった。

フィオナも魔力障壁を破られ、首元を掴まれて宙に吊り上げられている。

このままでは、全員死ぬ。

この理不尽な世界で、もがき、苦しみ、それでもカイトを『希望』だと信じてくれた彼らが、無残に殺されてしまう。

(……ふざけんな。俺は、何のためにここに来たんだ)

カイトは、胸の激痛を堪え、震える両腕で大地を掴んだ。

脳裏に浮かぶのは、薄れかけている地球の記憶。

母親の顔。友人と笑い合った日々。平和で、暖かくて、帰るべきだった場所。

(……もう、いい。俺はもう、向こうの人間じゃない)

カイトは、ギリッと奥歯を噛み砕くほどの力で食いしばった。

(思い出なんて、全部くれてやる。俺の名前も、過去も、全部くれてやる!! だから――!!)

カイトが、血に染まった体でゆっくりと立ち上がった。

彼が自らの『過去と記憶』すべてを対価として世界に差し出した瞬間。

カイトの体を包み込んでいた黄金の光が、ドス黒い赤色を帯びた、かつてないほど禍々しく、そして神々しい『真紅の黄金』へと変貌を遂げた。

「……おい、空っぽの騎士」

カイトの声は、ひどく冷たく、静かだった。

だが、その声には、世界そのものを震わせるような絶対的な『重さ』があった。

ジークフリートが、フィオナを放り捨て、振り返る。

「てめぇの相手は、俺だ。……俺のすべてを賭けて、お前の理不尽を叩き潰してやる」

カイトの瞳には、もはや迷いも恐怖もなかった。

元の世界への未練を完全に断ち切り、この残酷な世界のルールに身を投じた、真なる救世主の覚悟。

血に塗れた右腕が、再び、最強の因果を書き換えるために振り上げられた。

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<beens 過去作>

https://mypage.syosetu.com/mypage/novellist/userid/3017364/

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