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渇きの聖域 —— 聖女の毒を啜る異形騎士の狂愛  作者: beens
第5章:夜明けの残光、あるいは再誕の救世主

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第49話:欠落する風景と、最強の空洞(うろ)

嘆きの平原を越え、帝都グランディールへと続く荒涼とした街道を、人類反乱軍は静かに進んでいた。

「カイト様、このまま進めば、明日の日の出には帝都の城壁が見えてくるはずです」

ルナリスが、地図の代わりに古い教皇領の羊皮紙を広げながらカイトに並び立った。

「ああ、そうだな。……結構、歩いたな。足、痛くないか?」

カイトは前を向いたまま、ぽつりと応えた。その声はいつもより少し低く、どこか上の空のように聞こえた。

「私は大丈夫です。カイト様こそ……先ほどの狂信の天使との戦いから、お顔の色が優れませんが。お疲れではないですか?」

ルナリスが気遣うように顔を覗き込む。

「疲れてるのかもな。……帰ったら、冷たいアレを……あの、炭酸の……」

カイトの口が止まった。

頭の中で『コーラ』という単語の形は浮かんでいるのに、その名前がどうしても出てこない。いや、それどころか、地球で当たり前のように通っていた『コンビニ』の風景が、分厚いすりガラスの向こう側にあるように、ぼんやりと霞んでしまっていた。

(……クソ。まただ。俺の記憶が、確実に削られてる)

カイトは自身の右手をギュッと握りしめ、微かな震えを押し殺した。

エルの【怠惰】の呪縛を力任せに白紙化したあの瞬間から、彼の脳裏では時折、地球での記憶が「最初から存在しなかった」かのように虚無に飲み込まれていく現象が起きていた。

『――主(マスター)。無理はいけません』

脳内に響くステラの声も、以前のような澄み切った鐘の音ではなく、ひどく掠れ、遠くから響いているようだった。

『これ以上の大規模な因果律の変更は、貴方の魂をこの世界に完全に定着させてしまいます。……どうか、御自身の存在を大切になさってください』

(……あんたの声も、ボロボロじゃねえか。俺の代わりに、代償を肩代わりしてくれてたんだろ)

カイトは心の中で女神に語りかけながら、強引に口角を上げて笑ってみせた。

「なんでもない。ただの寝不足だ。帝都のバケモノどもをぶっ飛ばしたら、たっぷり寝かせてもらうさ」

「……はい。私がお守りしますから、その時はゆっくりお休みくださいね」

ルナリスは心配そうにしながらも、カイトの笑顔に少しだけ安堵の表情を浮かべた。

しかし、その穏やかな時間は、唐突に終わりを告げた。

「カイト様! 前方、帝都の城門……何か、います!!」

前衛で斥候を兼ねていた獣人ガウルが、血相を変えて駆け戻ってきた。

「城門の警備か? 数は?」

「い、一騎です。……たった一人の黒い騎士が、門の前に立っているだけです。ですが……あれは、ダメだ。俺の本能が、絶対に近づくなと悲鳴を上げています……ッ!」

ガウルが自身の硬く太い腕を抱きしめ、ガタガタと震えている。

あの【強欲】のヴァレリウスを前にしても一歩も引かなかった誇り高き獣人が、遠くから「気配」を感じただけで戦意を喪失しかけているのだ。

カイトたちは歩みを早め、丘の上から帝都の巨大な漆黒の城門を見下ろした。

真紅の瘴気が渦巻く巨大な門の前に、確かに「それ」は立っていた。

全身を禍々しい漆黒の鎧で覆い、手には刃こぼれ一つない、異様に長大な白銀の聖剣を下げている。

「あ……」

ルナリスが息を呑み、その場に崩れ落ちそうになった。

「嘘……。そんな、まさか……あの方が、なぜあそこに……ッ」

フィオナもまた、青ざめた顔で両手で口を覆った。

『――【天啓の導き(アプレイザル・ボイス)】。警告、警告。対象は、魔王軍七天王が最強の個体、【傲慢】』

ステラの掠れた声が、絶望的な真実を告げる。

『あのお方は……かつて、この世界で最も魔王の首に近づき、そして最も残酷に魂を破壊された勇者。西の帝国の第一皇子、ジークフリートです』

「ジークフリート……」

カイトは低く唸った。ルナリスたちから何度も聞かされた、伝説のリーダーの名だ。

「あれが、勇者……? でも、なぜあんな禍々しい魔力を……」

ガウルが呻く。

『彼は生前、振るうたびに自身の記憶を代償とする【魂喰いの聖剣(グラム)】を使用していました。……魔王アラリックは、彼が「妹を救う」という一番大切な記憶すらも自らの剣で喰い尽くし、完全に心が空っぽになった瞬間を狙って、彼を【傲慢】の騎士として造り替えたのです』

「……自分から大切な記憶をドブに捨てさせて、最後にバケモノにする。……本当に、吐き気がするほど悪趣味な野郎だ」

カイトの瞳に、静かな、だが確かな殺意が宿る。

丘を下り、カイトたち反乱軍が城門から数百メートルの距離まで近づいた時。

微動だにしていなかった【傲慢】のジークフリートが、ゆっくりと顔を上げた。

兜の奥にあるはずの瞳には、憎しみも、悲しみも、狂気すらなかった。

ただ、底なしの暗い『空洞』があるだけだ。

ジークフリートが、無造作に右手の聖剣を軽く振った。

ズバァァァァァァァンッ!!!

無音。そして一拍遅れて、空を裂くような轟音が弾けた。

カイトたちが立っていた丘の中腹から、帝都の城門までの数百メートルの大地が、ただの「素振り」の剣圧だけで、深さ数十メートルの峡谷に真っ二つに叩き割られたのだ。

「な……っ!?」

「う、うわぁぁぁッ!?」

後方にいた反乱軍の人間たちが、あまりの絶望的な威力に悲鳴を上げて腰を抜かす。

「……ッ、伏せろ!!」

ガウルが咄嗟にルナリスとフィオナを庇い、暴風に耐える。

「……強いな。今までぶっ飛ばしてきた連中とは、基礎スペックの次元が違う」

カイトは吹き荒れる土煙の中で、ただ一人直立したまま、右腕に黄金の魔力を収束させ始めた。

(あいつの剣圧も、鎧の魔力も、全部『因果』で白紙に上書きしてやる。……そうすれば)

だが、その時。

カイトの脳裏に、再び『痛み』が走った。

ズキンッ!! と、魂を直接ヤスリで削られるような激痛。

(……やめろ。今これを使ったら、俺は……地球にいた自分の『家族の顔』を忘れる……ッ!)

カイトの右腕に集まっていた黄金の光が、一瞬だけ、フッと揺らいで霧散しかけた。

【因果の改竄】を使うことへの、初めての『躊躇い』。

自分が自分でなくなってしまうことへの、強烈な恐怖が、無敵の救世主の足を縫い止めたのだ。

「カイト、様……?」

ルナリスが、カイトの右手の光が弱まったのを見て、不安そうに声をかけた。

その、ほんのコンマ数秒の隙。

記憶も感情も持たない【傲慢】の騎士にとって、それは致命的な「死の隙」だった。

ドンッ!!

ジークフリートの姿が掻き消えた。

「――シッ!!」

次の瞬間。

カイトの目の前に、漆黒の鎧が完全に密着する距離で現れていた。

振り上げられた白銀の聖剣が、一切の感情を交えることなく、カイトの首筋へ向けて冷酷に振り下ろされる。

「カイトォォォッ!!」

ガウルの絶叫が響く中、カイトの瞳に、自分を両断しようと迫る白銀の死神の刃が、スローモーションのように映り込んでいた。

無敵の因果が破綻し、初めて絶対の『死』がカイトの喉元に突きつけられた瞬間だった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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<beens 過去作>

https://mypage.syosetu.com/mypage/novellist/userid/3017364/

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