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渇きの聖域 —— 聖女の毒を啜る異形騎士の狂愛  作者: beens
第5章:夜明けの残光、あるいは再誕の救世主

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第48話:忘却の代償と、微睡みを破る楔

純白の光を浴びた人間たちが、次々と武器を取り落とし、うっとりとした表情でその場に崩れ落ちていく。

「戦うなんて、疲れるだけだ……」

「この光の中にいれば、痛くも、辛くもない……」

彼らの瞳からは、先ほどまで燃えていた『反逆の意志』が完全に消え去っていた。

「くっ……! この光、俺の闘気まで……削ぎ落とそうと……」

前衛に立つ獣人ガウルですら、重厚な大剣を杖代わりにして、辛うじて膝をつくのを堪えている。

ルナリスが『黎明の神弓』を構えようとするが、その手が小刻みに震え、矢をつがえることができない。

「ようこそ、迷える子羊たち」

光の中心から現れた、六枚の漆黒の翼を持つ堕天使――【怠惰】のエルは、頭上の禍々しい輪を輝かせながら、残酷なほど穏やかに微笑んでいた。

「怒りも、悲しみも、希望すらも……すべては疲労を生むだけの無駄な感情です。さあ、思考を捨てて、永遠の『怠惰』の中で幸せに朽ち果てなさい」

エルの放つ狂信の光が、人々の闘志を「幸福な停滞」へと強制的に上書きしていく。

武力ではなく、心そのものを去勢する最悪の敵。

「……思考を丸投げしてるだけの引きこもりが、神様語ってんじゃねえよ」

静寂の中、カイトが低く冷たい声で言い放った。

カイトは、崩れ落ちる人々をかき分けるように前へ進み出た。

彼の右手が、目も眩むような黄金の光を帯びる。

「精神への強制干渉なんて、悪趣味な理(ことわり)だ。……こんなもん、俺が全部、白紙に戻してやる」

カイトが、エルの放つ巨大な光の壁に向けて、黄金の掌を突き出した。

「――【全因果・白紙化(オール・オーバーライト)】!!」

その瞬間。

『――警告。対象の理(ことわり)の規模が、現有の許容量を大幅に超過しています』

カイトの脳内に響くステラの声に、かつてないほどの激しい苦痛の声が混ざった。

『これ以上の大規模な因果の改竄は、主(マスター)の【根源情報の代償枠】……すなわち、元の世界の記憶の消費を伴います』

「……なんだと?」

カイトの思考が、一瞬だけ停止した。

ドォォォォンッ!!

カイトの右腕から放たれた黄金の波が、エルの純白の光と激突し、凄まじい反発を生み出す。

数百人の人間の精神を縛る強大な呪縛。それを一瞬で「なかったこと」に上書きするという、神の御業にも等しい奇跡。

その代償は、確かにカイトの精神を蝕んだ。

「――っ! あ、が……ッ!」

カイトは頭を押さえ、激痛に顔を歪めた。

脳裏に、一つの景色がフラッシュバックする。

地球の自室。いつも飲んでいた缶コーヒー。……休日に、一緒にゲームをして笑い合っていた友人の顔。

パチン、と。

脳内の古いフィルムが焼き切れるような音が響き、その『友人の顔と名前』が、カイトの記憶から完全に真っ白に塗り潰された。

(な……にが……? 今、俺は……何を忘れた……?)

カイトの背筋に、冷たい汗が伝う。

無敵だと思っていた自分の能力が、ただの魔法ではなく、『自分自身の過去と魂の形を削り取って』この世界の現実を塗り替えているという恐るべき真実に、初めて直面したのだ。

「カイト様……ッ!?」

ルナリスが異変に気づき、悲痛な声を上げる。

「……気に、するな……ッ!」

カイトは奥歯を噛み砕くほどの力で耐え、消えゆく記憶の喪失感を怒りに変え、さらに前へと踏み込んだ。

「俺が、ここで何者だったか忘れたとしても……。こいつらの尊厳まで、白紙にさせてたまるかァッ!!」

カイトの黄金の力が、かつてない激しい閃光を放ち、エルの光の壁を完全に粉砕した。

パリンッ! という硝子の割れるような音と共に、人々の精神を覆っていた『怠惰の呪縛』が霧散していく。

地面にへたり込んでいた人間たちがハッと息を呑み、再び瞳に怒りと熱を取り戻して武器を握り直した。

「な……に……?」

【怠惰】のエルは、自身の絶対の停滞が破られたことに驚愕し、目を見開いた。

「バカな……。私の光は、エアラ様から賜った至高の静寂! 苦痛も疲労もない、完璧な救済のはずだ! なぜ、わざわざ痛みを伴う『闘争』へと戻ろうとする……!」

「……痛みがねえのは、生きてるとは言わねえんだよ」

カイトは荒い息を吐きながら、エルとの距離を詰め、その胸倉を力強く掴み上げた。

「お前はただ、現実(痛み)から逃げて、石のオブジェの中で夢を見ていただけのガキだ」

「な、何を……! 私は、神の器として――」

「目を覚ませ、人形。……お前の甘い夢は、ここで終わりだ」

カイトの掌から、黄金の因果がエルの肉体へと直接流れ込んだ。

それは、彼を不死のバケモノとして縛り付けていた魔王の呪縛(黒水晶のオブジェとしての存在)を解き放ち、彼に再び「人間としての時間と痛み」を強制的に認識させる書き換えだった。

「――【強制起動(オーバーライト・リアリティ)】」

「あ……アァァァァァァァッ!!」

エルの背中から生えていた六枚の漆黒の翼が、内側から燃え上がるように崩れ落ちていく。

数百年分の『時の流れ』と、彼が目を背け続けてきた『現実の痛みと悲しみ』が一気に流れ込み、エルの狂信のメッキが剥がれ落ちていく。

「い、嫌だ……ッ! エアラ様、エアラ様ァッ……! 私は、まだ、貴女の傍で……夢を……!」

美しく残酷な女王への狂おしい執着を叫びながら、堕天使エルはカイトの手の中でボロボロの灰へと変わり、風に吹かれて消滅した。

平原に、再び重苦しい静寂が戻る。

「……カイト、様?」

ルナリスが恐る恐る近づいてくる。

カイトは振り返り、いつものようにふてぶてしく笑おうとした。

だが、その笑顔はどこかひきつっていた。自身の内側で、間違いなく「何か大切なピース」が永遠に欠落してしまったという虚無感が、彼を暗い恐怖で包み込んでいた。

「……悪い。少し、疲れただけだ」

カイトはそう言って、自身の震える右手を強く握りしめた。

代償なしのチートなど、存在しなかったのだ。

無敵の救世主は、少しずつ「自分自身」を削りながら、この絶望の世界を切り拓くしかなかった。

帝都グランディールは、まだ遠い。

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<beens 過去作>

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