第45話:蘇る意志と、嫉妬に狂う泥の魔女
黄金と骨で飾られた【強欲】の城。
その広大な中庭には、首の『等級刻印』を破壊され、洗脳から解放された数百人の人間たちが集まっていた。
彼らの瞳には、まだ深い恐怖と混乱が渦巻いている。
数百年間、血を捧げるだけの家畜として生きることを「幸福」だと信じ込まされてきたのだ。自我を取り戻した途端に、かつての自分たちの異常な行いと、魔王軍に反旗を翻すという絶望的な現実に直面し、膝を抱えて震える者も少なくなかった。
「……無理もないわ。自分の人生が、ただのバケモノの餌だったと気づかされたのだから」
フィオナが痛ましそうに呟く。
カイトは中庭の石段を登り、彼らを見下ろす位置に立った。
その背後には、ルナリス、ガウル、フィオナが控えている。
「おい、あんたたち」
カイトのよく通る声が、静まり返った中庭に響いた。
「魔王軍の幹部を一人ぶっ飛ばして、この城を奪った。……でも、ここはまだ安全じゃない。あの水晶の向こうにいた宰相が、本気で俺たちを潰しに大軍を差し向けてくるはずだ」
人々の中から、ヒッと短い悲鳴が上がる。
「俺は、あんたたちに『一緒に戦え』とは強制しない。逃げたい奴は逃げればいいし、隠れたい奴は隠れればいい」
カイトは言葉を区切り、足元にドンッと、回収した『かつての英雄たちの遺品(武器や盾)』が入った木箱を置いた。
「だけどな。もし……自分や家族を家畜扱いしてきた連中に、一発殴り返してやりたいって思う奴がいるなら、この武器を持て」
カイトが木箱を蹴り開けると、中から白銀の光を放つ無数の武具が現れた。
「かつてこの世界を守ろうとして死んだ奴らの遺品だ。……安心しろ、命や記憶を削るような『ふざけた代償(制約)』は、俺が全部【因果の改竄】で消し去っておいた。ただの『ちょっと頑丈でよく切れる武器』だ」
群衆はざわめいた。
神の奇跡を宿した遺物が、代償なしで使える。それはこの世界において、あり得ない福音だった。
「……私は」
群衆の中から、一人の痩せこけた男が、震える足で立ち上がった。
「私は、自分の娘の血を……喜んであのバケモノどもに差し出してしまった。この手で、娘を……ッ」
男は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、石段を這い上がり、木箱から一本の長剣を握りしめた。
「死んで詫びるなど、生ぬるい……! せめてこの命、あのバケモノどもを一匹でも道連れにするために使わせてくれ……ッ!!」
「死ぬためじゃない」
カイトは、男の肩を力強く掴んだ。
「あんたは、これから生き直すためにその剣を持ったんだ。……死ぬのは、俺たちの尊厳を奪った魔王軍の方だ」
カイトの真っ直ぐな瞳に、男は声を上げて泣き崩れた。
それを皮切りに、次々と人々が立ち上がり始めた。震える手で盾を握る者、槍を取る者。数百年の洗脳から解き放たれた彼らの心に、微かだが、決して消えない『反逆の炎』が灯った瞬間だった。
「カイト様……。あなた様は本当に、凍りついた人々の心を溶かしてしまうのですね」
ルナリスが、イゴールから託された『黎明の神弓』を胸に抱きながら、感極まったように微笑んだ。
「さて。みんなのヤル気が出たところで、お出迎えの準備といくか」
カイトが空を見上げた、その時。
『――【天啓の導き(アプレイザル・ボイス)】。強力な敵対勢力の接近を感知。西方より、数万の魔物群。それを統率するのは、七天王の一角、【嫉妬】です』
ステラの警告が、脳内に響き渡った。
――同時刻。西方からの荒野。
「あぁ……憎い。憎い、憎い、憎いわぁ……」
大地をドロドロに溶かしながら進む、巨大な赤黒い肉の塊があった。
それはもはや人間の形を保っていなかった。無数の怨嗟の顔が浮かび上がる泥のような肉塊。その中心に、辛うじて女性の上半身だけが埋もれている。
【嫉妬】のリディア。
かつて、聖女の代償を解明するために禁忌の魔法に手を染め、そして自らの美しい皮膚と肉体を失い、狂死した大魔術師の成れの果て。
『リディアよ。かつて貴様が求めた「代償なき奇跡」を平然と振るう者が現れた。……そしてその傍らには、貴様の術式を継ぎながらも、一切の傷を負わず、美しい肌を保ったままの小娘がいるそうだ』
出撃の直前、宰相レオンから告げられたその言葉が、彼女の狂った精神を激しく掻き乱していた。
「なぜ……なぜ私だけが、こんなに醜く、痛い思いをしなければならなかったの……ッ! なぜ、あの子だけが……ズルい、ズルい、ズルいわッ!!」
リディアが絶叫すると、周囲の荒野が彼女から放たれる『嫉妬の呪詛』によって腐敗し、ドロドロの毒沼へと変わっていく。
彼女の背後には、その毒沼から這い出した数万の腐肉の魔物たちが、奇声を上げながら従っていた。
「溶かしてやる……。あの子の綺麗な肌も、その忌まわしい奇跡を使う男も……。みんな、私と同じように醜い肉塊にしてやるぅぅッ!!」
猛烈な嫉妬と殺意を撒き散らしながら、絶望の泥魔女が、【強欲】の城へと迫っていた。
――再び、黄金の城。
「……カイト様。西方から、凄まじい腐敗の魔力を感じます。大地が死んでいくような……」
フィオナが、自身の白く滑らかな腕をさすりながら、青ざめた顔で西方を睨みつけた。彼女の『万象解析』の力が、近づいてくる敵の異質さを感じ取っていた。
「ステラの情報によれば、次の幹部は【嫉妬】……かつて魔法の代償で皮膚を失った、リディアって魔術師の成れの果てらしい」
カイトの言葉に、フィオナがハッと息を呑んだ。
「リディア、様……。私の、術式のルーツとなった……あの方の魂まで、魔王軍に利用されているなんて……!」
「フィオナ、無理はするな。お前にとっては、因縁が深すぎる相手だ」
カイトが気遣うように声をかけるが、フィオナは強く首を横に振った。
「いいえ。私は、カイト様に呪いを解いてもらい、この美しい体と魔法を与えてもらった。……だからこそ、あの方を縛り付けている苦痛の呪縛を、私の魔法で終わらせてあげたいんです!」
フィオナの瞳には、一切の迷いがなかった。
「……分かった。お前の意志を尊重する。ただし、泥を被るのは俺の役目だ」
カイトはニッと笑い、城壁の上へと歩み出た。
眼下には、地平線を黒く染め上げるほどの魔物の大軍が迫ってきている。そして、その先頭で大地を腐敗させている巨大な肉塊。
「数万の軍勢か。まともにやり合えば、城の中で震えてる連中にも被害が出るな」
カイトは右手を高く掲げた。
黄金の魔力が、太陽のように世界を照らし出す。
「だったら、この城ごと『絶対に攻め落とせない地形』に書き換えちまえばいい」
カイトの宣言と共に、発動した【因果の改竄】。
ドゴォォォォォンッ!!
凄まじい地響きと共に、黄金の城の周囲数キロにわたる大地が、円形に真っ二つに割れた。
現れたのは、底が見えないほどの巨大な『光のクレバス(断層)』。城は瞬く間に、魔の瘴気を一切寄せ付けない、純白の光の壁に守られた「絶対防衛の孤島」へと地形ごと上書きされたのだ。
「さあ、来いよ【嫉妬】のバケモノ。……お前の醜い怨念ごと、俺たちが綺麗さっぱり白紙に戻してやる」
カイトの黄金の力が、迫り来る数万の絶望を前に、圧倒的な光の壁となって立ち塞がった。
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