第40話:隷属の鎖を解く者と、痛みなき獣の咆哮
「あ、ああ……なんということを……。管理者様方が、消えてしまった……」
「このままでは、今月の血税が納められない! 女王様のお怒りに触れ、我々は皆殺しにされてしまう!」
第七・血肉供給区の中央広場。
自分たちを虐げていた魔族たちがカイトの一撃で消滅したというのに、数百人の人間たちは歓喜するどころか、頭を抱えて絶望の声を上げていた。
彼らの首元に焼き付いた赤黒い『等級刻印』が、不気味な脈動を打っている。
「どうして……。あなた方を痛めつけていたバケモノたちが消えたのですよ? もう、血を奪われることはないのに……ッ」
ルナリスが悲痛な声を張り上げるが、人間たちの耳には届いていないようだった。数百年という途方もない時間が、彼らから「怒り」や「自由への渇望」という人間としての根源すらも奪い去ってしまったのだ。
「カイト様……。魔王の支配は、彼らの心そのものを完全に作り変えてしまっています。これを解くことなど……」
ルナリスが俯きかけた時、カイトは静かに人間たちの群れへと歩み寄った。
『――【天啓の導き(アプレイザル・ボイス)】。対象群の解析を完了しました』
脳内に女神の声が響く。
『彼らの首にある「等級刻印」は、魔王軍が定めた『隷属と忘却の呪縛』です。宿主の精神力と記憶を代償に、魔族への絶対的な服従と、恐怖を麻痺させる効果を強制しています』
「なるほどな。ただの洗脳じゃなくて、魔法的な『強制労働契約』ってわけだ」
カイトは近くで震えていた痩せこけた老人の前にしゃがみ込み、その首元で赤黒く光る刻印に手を伸ばした。
「ひぃッ! な、なにをする……我々は女王様の……」
「悪いが、そんなブラックすぎる契約は、俺が一方的に破棄させてもらう」
カイトの右手に黄金の魔力が収束する。
「――【因果の改竄】。そのふざけた呪い、全部『白紙』だ」
カイトの指先が刻印に触れた瞬間、老人の首元からパチンと、ガラスが弾けるような高い音が鳴った。
赤黒い呪縛の紋様が黄金の光に包まれ、そのまま空気中に溶けるようにして消滅する。
「あ……れ……?」
老人の虚ろだった瞳に、急速に「光」が戻っていく。
麻痺させられていた思考。奪われていた人間としての尊厳。数百年分の鎖から解放された彼は、自身の痩せこけた腕と、周囲の惨状を見渡し、大粒の涙を流して崩れ落ちた。
「おお、神よ……! 我々は……我々は今まで、自分たちの子供の血までアイツらに差し出して……何て恐ろしいことを……ッ!!」
老人の慟哭を聞き、カイトは立ち上がった。
「やり方は分かった。ルナリス、ガウル、少し下がってろ」
カイトが両腕を広げると、足元から広大な黄金の魔法陣が広場全体を覆い尽くした。
「一気にいくぞ。……全員の鎖、ぶっ壊れろ!!」
カイトが魔力を解放した瞬間、広場にいた数百人の首元から、一斉に刻印が弾け飛んだ。
光の粒子が舞い散る中、次々と正気を取り戻した人間たちが、自分たちの置かれていた地獄のような現実に気づき、あるいは泣き叫び、あるいは怒りに震え始めた。
「よし、これで全員、自分の頭で考えられるようになったな」
カイトが満足げに頷いた、その時だった。
ズドォォォォンッ!!
広場を取り囲む鉄柵の一部が、凄まじい爆発音と共に吹き飛ばされた。
「――チッ。忌々しい神聖魔力の気配がすると思えば。貴様らが、レオン閣下や我が主ヴァレリウス様を煩わせている『異常個体』か!」
土煙の中から現れたのは、全身を分厚い銀色の重鎧で覆い尽くした、巨大な魔導騎士だった。
その手には、不釣り合いなほど神聖な輝きを放つ『白銀の長剣』が握られている。
『――警告。敵対個体は【強欲】のヴァレリウス配下の先兵。かつての教皇領から強奪された聖遺物『破邪の剣』を魔力源として悪用しています。極めて危険な出力です』
「なるほど、あいつが探りを入れてきた中ボスってわけか」
カイトが軽く首を鳴らして前に出ようとした瞬間。
「お待ちください、カイト様」
カイトの前に、巨躯の獣人――ガウルが静かに歩み出た。
その瞳には、先ほどまでの絶望と苦痛の色はない。ただ純粋な、戦士としての猛烈な闘気が宿っていた。
「あの程度の雑兵に、いちいち主の手を煩わせるわけにはいきません。……先ほどの御恩、俺の『牙』で示させてください」
「……いいぜ。お前の痛みのないフルパワー、見せてもらおうか」
カイトが退くと、魔導騎士は兜の奥で侮蔑の笑い声を上げた。
「ハッ! 霜降り肉の獣人が、我が聖遺物の刃に勝てるとでも……!」
魔導騎士が長剣を振り上げた瞬間、ガウルはその場で深く腰を落とした。
かつてであれば、この動作だけで全身の筋肉が断裂するほどの『激痛』が彼を襲い、その痛みを代償にして力を引き出さねばならなかった。
だが今は――。
(痛くない……。いくら力を込めても、細胞が悲鳴を上げない。これが……『代償のない真の力』!!)
「おおおおおおおッ!!」
ドンッ!! と、ガウルが石畳を蹴り飛ばした。
その踏み込みの威力だけで、広場にクレーターができるほどの圧倒的な爆発力。
「なっ、速……!?」
魔導騎士が剣を振り下ろすよりも早く、ガウルは瞬きする間に敵の懐へと潜り込んでいた。
振り被られたのは、丸太のように太い獣の右腕。
「バルダス流獣王術――『穿牙』!!」
神聖な光を纏った魔導騎士の重鎧の中心、その分厚い装甲を、ガウルの渾身の正拳突きが真っ向から打ち砕いた。
ゴアァァァァァァァッ!!!
空気を裂くような轟音。
魔導騎士の巨体が、鎧ごと完全にへこみ、背中の装甲を突き破って凄まじい衝撃波が後方へと吹き抜けた。
「ガ、ハ……バカ、な……。ただの、獣風情、が……」
魔導騎士は信じられないものを見る目でガウルを見下ろし、そのままドォンと重い音を立てて仰向けに倒れ伏した。手から離れた『破邪の剣』が、カイトの足元へと転がってくる。
圧倒的な一撃必殺。
その光景を見ていた数百人の人間たちは、息を呑んで静まり返っていた。
絶対的な恐怖の象徴であった魔王軍の騎士が、自分たちと同じように虐げられていた獣人の一撃で、いとも容易く粉砕されたのだ。
「すげぇな、ガウル。マジで頼もしい右腕になってくれそうだ」
カイトが転がってきた剣を拾い上げながら笑うと、ガウルは自身の拳を信じられないといった様子で見つめ、それからカイトに向かって深く一礼した。
「すべては、カイト様が俺の制約を解いてくださったおかげです。俺は……初めて、己の拳を誇りに思えました」
カイトは剣を肩に担ぎ、広場に集まった人間たちをぐるりと見渡した。
洗脳が解けた彼らの瞳には、恐怖だけでなく、カイトとガウルがもたらした「勝利」への驚愕と、小さな希望の光が宿り始めていた。
「よし、お前ら! 首輪は外してやった。ここからは自分の意志で選べ」
カイトのよく通る声が、広場に響き渡る。
「このまま死ぬまで怯えて暮らすか。それとも、俺たちと一緒に、あの玉座でふんぞり返ってる魔王どもを引きずり下ろすか。……一緒に世界を『上書き』したい奴は、俺についてこい!」
かつて、絶望の中で完成されたディストピア。
その片隅の小さな供給区から、数百年の沈黙を破る、人類の『反逆の狼煙』が上がった瞬間だった。
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