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渇きの聖域 —— 聖女の毒を啜る異形騎士の狂愛  作者: beens
第5章:夜明けの残光、あるいは再誕の救世主

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第38話:箱庭の常識と、疼き出す亡霊の傷跡

教皇領の廃墟、崩れかけた大理石の祭壇。

空を覆っていた真紅の雲は再びゆっくりと閉じようとしていたが、祭壇の周囲だけは、カイトが放った純白の魔力によって温かな光に包まれていた。

「……立てるか、お姫様?」

差し伸べられたカイトの手を、ルナリスは震えながら両手で握りしめた。

その手は、魔族のように冷たくも、硬くもなく、確かに血の通った人間の温もりを持っていた。

「あ、ありがとうございます……。私は、ルナリス。かつてこの教皇領を治めていた血族の末裔です」

「俺は天条海人(カイト)。まあ、遠い所から呼ばれてきた迷い人ってとこかな」

カイトは屈託なく笑い、ルナリスを立たせた。

彼女は自身の体を見下ろし、信じられないというように何度も瞬きをする。

「本当に、私の命は吸われていない……。先ほどの凄まじい光の魔力、本来であれば、術者の命だけでなく、この周辺の生命すらも枯らしてしまうはずなのに」

ルナリスは不思議そうに呟き、カイトの顔を祈るように見上げた。

「……カイト様。あなた様は、神が遣わした『代償なき奇跡の具現者』なのですか?」

「神様ねえ」

カイトは、真っ白な空間で女神ステラから受けた無茶ぶりを思い出し、軽く肩をすくめた。

「ただの現代人だよ。でも、あんたたちがどれだけ酷い世界に生きてるかは、少しだけ聞いてきた」

カイトが祭壇の瓦礫に腰を下ろすと、ルナリスは深刻な面持ちで彼に向き合った。

彼女の口から語られるのは、この世界がどれほど深く、静謐な地獄として完成しているかという事実だった。

「……現在、大陸の大半は、魔王アラリックと女王エアラが作り上げた『愛の庭(箱庭)』に飲み込まれています」

「愛の庭……って、要は魔王の領地だろ?」

ルナリスは首を横に振り、悲痛な顔で告げた。

「いいえ。……人間たちは、自ら望んでその檻に入っています。首に『等級刻印』を刻まれ、自らの血肉を女王の美しさを保つための貢物として捧げ続ける。彼らはそれを『至上の幸福』だと教え込まれ、考えることすら放棄してしまった家畜なのです」

「家畜……」

カイトの眉がピクリと動いた。

人間が、バケモノたちの食料になるために喜んで首を差し出す世界。

「そして、私たちが抵抗しようにも……この世界で奇跡(神の力)を使うには、必ず己の命や記憶、尊厳を『代償』として支払わなければなりません。そうやって、かつての勇者様たちも……皆、心を壊され、魔王に喰われてしまったと伝わっています」

ルナリスは両手で顔を覆い、小さく嗚咽を漏らした。

彼女が背負ってきた絶望と諦念は、現代日本で平和に生きてきたカイトの想像を絶する重さだった。

だが。

「……ふざけた世界だな」

カイトは、吐き捨てるように言った。

その声には、恐怖も悲痛も、絶望すらも混ざっていなかった。

ただ、純粋な怒りがあった。

「人を家畜扱いする上に、奇跡を起こすのに命まで寄越せだと? どんだけブラックなシステムだよ」

「カイト、様……?」

ルナリスが顔を上げると、カイトは力強く立ち上がり、彼女の肩をポンと叩いた。

「安心しろ、ルナリス。俺が持ってきたこの力――【因果の改竄(オーバーライト・カルマ)】はな、そのふざけた世界のルール(代償)を、根こそぎ『上書き』するためにあるんだ」

「上書き、ですか?」

「ああ。魔王だろうが女王だろうが、俺がぶん殴って、その狂った常識ごと叩き直してやるよ」

カイトの不敵な笑顔に、ルナリスは息を呑んだ。

数百年間、誰も魔王たちに対してこんなふうに笑うことはできなかった。

(この方なら……本当に、この永遠の絶望を終わらせることができるかもしれない)

ルナリスの胸に、数百年ぶりに小さな、だが決して消えない『希望の火』が灯った瞬間だった。

――同じ頃。

王都グランディール、帝国中枢・宰相府。

「……馬鹿な」

数百年間、一度たりとも感情を乱したことのない帝国宰相レオンが、水晶球を見下ろして低く呻いた。

彼の右半身を覆う漆黒の魔力結晶が、不快な熱を持って疼いている。

水晶球が映し出しているのは、大陸最北端の教皇領。

そこで観測されたのは、あり得ない現象だった。

「あの強大な神聖魔力……。間違いなく、最上位の神の奇跡だ。だが、なぜだ? 代償が支払われた形跡(生命力の消失)が、どこにも見当たらんぞ」

等価交換の法則は、この世界の絶対の理だ。

それを無視してこれほどの奇跡を行使するなど、世界そのものを否定する行為に等しい。

「……まさか、かつての勇者どものように、己の命すべてを燃やし尽くした最後の一撃か?」

レオンは無意識に、自身の胸――漆黒の結晶の中心にある『古傷』に触れた。

かつて【亡国を追う狩人】イゴールが、自身の心臓を完全に止めて放った『死を導く魔弾』に貫かれた場所。

あの時、レオンは確かに一度死んだ。魔王の恩寵がなければ、塵になっていたはずだ。

「……いや、違う。あの光の波長には、死に急ぐ者の悲壮感がない」

レオンは水晶球から目を離し、冷徹な殺意を漂わせた。

このままでは、愛しき真王(アラリック)と女王の甘美な日常に、取り返しのつかないヒビが入るかもしれない。

「――通信兵」

「はっ! 宰相閣下」

控えていた魔族の兵士が平伏する。

「直ちに、最北の教皇領へ『粛清部隊』を差し向けろ。ただのネズミではない。……そして、念のため」

レオンの双眸が、鋭く細められた。

「……第五管理区を治める【強欲】のヴァレリウスに伝令を走らせろ。教皇領付近にて、『彼が最も欲しがるであろう、極上の遺物』が発見された、とな」

数百年の静寂を破り、魔王軍が再び本気の牙を剥こうとしていた。

しかし、彼らが相対するのは、かつての悲壮な勇者たちではない。世界の法則すらも一笑に付す、傍若無人な救世主であった。

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<beens 過去作>

https://mypage.syosetu.com/mypage/novellist/userid/3017364/

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