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渇きの聖域 —— 聖女の毒を啜る異形騎士の狂愛  作者: beens
第3章 狂愛の檻と血塗られた箱庭

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第31話:聖なる泉の残光と、失われた誓いの記憶

王都の地下深く。

そこは、地上の血生臭い地獄が嘘のように、静寂と淡い光に包まれていた。

「……痛みが、引いていく」

獣人バルダスが、泉の水をすくって自身の硬化した腕にかけると、ひび割れていた肉体がゆっくりと元のしなやかな毛並みを取り戻していった。

全身の皮膚が崩落しつつあった魔術師リディアも、泉のほとりに座り込み、安堵の吐息を漏らす。

かつてエアラが『光の聖女』であった頃に遺したとされる、地下の聖なる泉。

【器の少年】エルの浄化の光と相まって、そこは狂った王都の中で唯一、正常な時間が流れる「奇跡の空間」となっていた。

「さあ、勇者様方。温かいスープです。……どうか、少しでもお体を休めてください」

地下に潜伏していた生存者たちが、粗末ながらも温かい食事を振る舞ってくれた。彼らの目には、ジークフリートたちへの純粋な希望と感謝の光が宿っている。

「……すまない。感謝する」

ジークフリートは木組みの器を受け取ったが、その表情はひどく虚ろだった。

彼の傍らには『魂喰いの聖剣(グラム)』が、冷たい銀の光を放って置かれている。

「ジークフリート」

目隠しをした聖公女クラウディアが、静かに歩み寄り、彼の隣に腰を下ろした。

「……先ほど上の広間で、あなたが斬り捨てようとした幻影。あれは……西の帝国が滅ぼされた日に連れ去られたという、あなたの妹君ですね?」

クラウディアの問いかけに、ジークフリートは器を見つめたまま、首を横に振った。

「……分からないんだ」

ジークフリートの声は、ひどく掠れていた。

「あの少女が誰なのか。俺が帝国の皇子時代に、どんな暮らしをしていたのか。……俺がどんな顔をして笑っていたのかすら、もう、何も思い出せない」

聖剣を振るうたびに、彼は「最も大切な記憶」から順に代償として捧げてきた。

彼に残されているのは、「魔王を殺さなければならない」という、空っぽの殺意と使命感だけだった。

「俺は……何のために、こんなにボロボロになってまで戦っているんだろうな」

自嘲気味に笑うジークフリート。

しかし、彼の失われた記憶――その『真実』は、あまりにも残酷で、哀しいものだった。

【数年前――西の帝国、陥落の日】

燃え盛る帝都。空を覆う真紅の瘴気。

当時、誇り高き第一皇子であったジークフリートは、瓦礫の中で血を流して倒れていた。

『――お兄様ッ! 嫌、離して! お兄様ァァッ!』

彼の視線の先には、漆黒の亡霊騎士たちに腕を掴まれ、引きずられていく金髪の少女――愛する妹、エリーゼの姿があった。

魔力適性の高かった彼女は、「極上の供物」として選別されたのだ。

『ま、待て……! エリーゼを、俺の妹を返せ……ッ! 化物どもォォッ!』

這いつくばり、泥水をすすりながら手を伸ばすジークフリート。

その時、天から舞い降りた絶対的な絶望――魔王アラリックが、ジークフリートの頭を冷酷に踏みつけた。

『……弱いな、人間。貴様らの愛など、我々の渇きを潤す一滴の血ほどの価値もない』

アラリックの冷たい宣告と共に、妹の姿は闇の彼方へと消えた。

絶望の淵で、ジークフリートは燃え盛る帝国の国宝『魂喰いの聖剣』を握りしめ、血の涙を流しながら誓ったのだ。

『俺の命に代えても……! お前のその笑顔を、必ず取り戻す! 待っていてくれ、エリーゼ……!!』

それが、彼が『勇者』となった理由。

彼がすべてを懸けて、この地獄の旅路に足を踏み入れた、たった一つの熱い誓いだった。

――しかし現在。

その熱い誓いすらも、聖剣の冷たい刀身に喰われ、彼の脳裏からは完全に消え去っていた。

「……いいじゃないか、過去なんて」

沈黙するジークフリートの肩を、バルダスがポンと叩いた。

「俺たちも同じだ。帰る故郷も、守りたかった連中も、みんなあのバケモノどもに喰われちまった。……俺たちにあるのは『今』、あの魔王の首を刎ねることだけだ」

「……ああ。そうだな。俺たちは、進むしかない」

ジークフリートは、自分の過去がどれほど悲しいものであったかを知る由もなく、ただ目の前の仲間たちと、温かいスープの味に僅かな救いを感じていた。

勇者たちの間に、つかの間の、本当にささやかな絆と平穏な時間が流れる。

しかし。

彼らは知る由もなかった。

この「地下の聖なる泉」も、「生存者たちの温かい食事」も。

すべては、遙か上空の玉座で微睡む魔女が、彼らの心を一度『希望』で満たし、次に叩き落とす時の「絶望の落差」を最大化するために用意した、悪趣味な舞台装置(ドールハウス)に過ぎないということを。

「……ふふっ。いいお顔になってきたわね、勇者くんたち」

水晶球越しにその『心温まる休息』を眺めながら、エアラは極上の血のワインを喉の奥へと流し込んだ。

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<beens 過去作>

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