第29話:亡霊の凱歌、あるいは狩人の心臓が止まる時
『家畜の都』で守るべき人間たちから石を投げられ、心身ともにボロボロになった勇者一行は、ついに魔王の居城――王都グランディールを囲む漆黒の城壁へと辿り着いた。
空には巨大な真紅の月が不気味に浮かび、王都全体を濃密な死の気配が覆っている。
「……着いたぜ。諸悪の根源、あのバケモノどもの巣窟だ」
【亡国を追う狩人】イゴールが、血と泥に塗れた顔を上げ、憎悪に満ちた目で巨大な正門を睨みつけた。
彼の心臓は、これまでの道中で何度も『死を導く魔弾』を放った代償により、すでに限界を超えて不規則な悲鳴を上げている。息をするだけで、肺の奥から鉄の味がした。
「油断するな。……門の前に、誰かいる」
記憶の欠落で虚ろな目をしながらも、ジークフリートが『魂喰いの聖剣』を構えた。
ギゴゴゴゴ……。
重苦しい音を立てて、王都の巨大な門がゆっくりと開く。
そこから現れたのは、かつて大陸最強と謳われた『白銀騎士団』の成れの果て――エアラの呪詛によって異形の怪物へと作り変えられた「亡霊騎士団」だった。
そして、その群れの先頭に立つのは、ひときわ巨大な漆黒の鎧を纏い、兜の隙間から真紅の眼光を放つ魔将。
「……よくぞ辿り着いた、光の残滓ども。我らが真王と女王様の御前を汚す前に、この俺が貴様らを肉塊に変えてやろう」
「その声……まさか、お前は……ッ!」
イゴールの顔が、驚愕と絶望に歪んだ。
その平坦で冷徹な声の主は、かつて北方で共に剣を交え、アラリックの忠実な副官であった男――レオンだった。
「レオン! 貴様、なぜだ! お前ほど誇り高き騎士が、なぜそんなバケモノの犬に成り下がった!」
イゴールの悲痛な叫びに対し、レオンは兜の奥で低く、狂気に満ちた笑い声を上げた。
「誇りだと? あのような脆く下らない幻に縋っていたから、お前たちは負けたのだ。……俺は、アラリック様が描く『真の美しき世界』の礎となれた。この圧倒的な力こそが、俺の新たな誇りだ」
ズドォォォンッ!!
レオンが黒塗りの大剣を一振りしただけで、衝撃波が地面を抉り、勇者たちを何十メートルも吹き飛ばした。
「がはッ……!?」
「くそッ、なんて重てェ一撃だ……!」
獣人バルダスが盾になろうとするが、硬質化した腕の骨が嫌な音を立ててひび割れる。
ジークフリートが聖剣で斬りかかるが、レオンの魔力に弾き返され、その度にまた彼の記憶が一つ、虚空へと消えていく。
「無駄だ。貴様らのその脆弱な『神の奇跡』など、女王様が俺に与えてくださった恩寵の前では、ただの児戯に過ぎん!」
レオンの圧倒的な力の前に、勇者パーティは完全に蹂躙されていた。
クラウディアは魔力の奔流に耐えきれず両目から血の涙を流し、魔法使いのリディアも防戦一方で皮膚が剥がれ落ちていく。
このままでは、全滅する。
イゴールは血まみれの口元を拭い、覚悟を決めた。
「……ジークフリート。俺が奴の動きを止める。その隙に、門を抜けろ」
「イゴール!? 馬鹿な、お前の加護はもう限界だ! これ以上撃てば――」
「俺の心臓はな、あの日、北方の雪山で部下たちを見殺しにした時から……とっくに止まっちまってるんだよ」
イゴールは悲しく笑うと、巨大な長弓を構え、レオンの心臓へと狙いを定めた。
彼に与えられた加護『死を導く魔弾』。一発撃つごとに一分間心臓が止まるその呪いを、彼は今、自身の全生命力と引き換えに「永続的な停止」へと変換しようとしていた。
「レオン……。お前も、アラリックも、俺が地獄へ連れて行ってやる!!」
――ドクンッ。
イゴールの心臓が、最後の激しい鼓動を打ち、完全に沈黙した。
それと同時に、彼の放った矢が、目も眩むような白銀の流星となってレオンへと殺到する。
「な……にッ!?」
絶対の自信を持っていたレオンが、初めて防御の姿勢をとった。
だが、イゴールの命を文字通り「燃やし尽くした」必中の一撃は、レオンの大剣をへし折り、その分厚い漆黒の鎧の胸部を深々と貫いた。
「が、はァッ……!!」
レオンの巨体が大きく揺らぎ、膝をつく。魔力が霧散し、亡霊騎士団の動きがピタリと止まった。
「行けェェェッ!! ジークフリートォォッ!!」
弓を握りしめたまま、立った状態で息絶えたイゴール。彼の虚ろな両目は、開かれた王都の門をしっかりと見据えていた。
「イゴール……ッ! ぁぁああああッ!!」
ジークフリートは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、イゴールが命を賭して切り開いた血の道を駆け抜け、王都の門へと飛び込んでいった。残された勇者たちも、悲鳴を上げながらそれに続く。
――その悲壮な「英雄の死」を。
王都の最も高い場所、大聖堂のバルコニーから見下ろしている二つの影があった。
「あらら。一人、壊れちゃったわね」
エアラは、立ったまま絶命したイゴールの姿を見て、つまらなそうにため息をついた。
彼女の美しい指先は、アラリックの大きく強靭な手と絡み合っている。
「……レオンも、少々あなどり過ぎましたね。たかが虫一匹の針に刺されるとは」
アラリックは冷酷な目で、胸を貫かれて跪く元副官を見下ろした。
そこに部下を案じる感情など微塵もない。ただ、自分たちの「庭」を汚されたことへの不快感があるだけだ。
「ねえ、アラリック。あの弓のおじさん、命を懸けて仲間の道を開いたつもりみたいだけど……。彼らが入ってきたこの王都の中が、外よりもずっと残酷な『絶望の世界』だってこと、まだ分かってないのよね」
エアラは残酷に微笑み、アラリックの頬にキスをした。
「ええ。せいぜい、彼らの絶望が最高のメインディッシュになるまで、泳がせておきましょう。……我々の晩餐の準備を」
イゴールの死は、ただ一人減ったという事実を残しただけ。
勇者たちは魔王の玉座へと近づくにつれ、さらなる地獄の深淵へと足を踏み入れていくのだった。
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<beens 過去作>
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