第28話:幸福な豚たちの石打ち、あるいは正義の墓標
『拒絶の荒野』を越えた勇者一行の前に現れたのは、かつての帝国領土に築かれた巨大な城壁都市だった。
門には『第三・血肉供給区』という、おぞましい看板が掲げられている。
しかし、門を破って街の中に踏み込んだジークフリートたちは、拍子抜けするほどの「平穏」を目の当たりにした。
「……なんだ、これは。血の海でも広がっているのかと思えば」
街の広場には、清潔な衣服を着た何千という人間たちが集まっていた。飢えた様子もなく、子供たちさえ広場の隅で遊んでいる。
ただ一つ異様なのは、彼らの首に赤黒い『等級刻印』が刻まれていることと、広場の中央で「豚の頭部を持つ巨大な魔族(管理者)」が、彼らを品定めするように見下ろしていることだった。
「さあ、本日の『栄誉ある供物』を発表する。等級一のシラ、前に出ろ」
魔族の野太い声に呼ばれ、一人のうら若き少女が進み出た。
彼女の顔には恐怖など微塵もなく、むしろ恍惚とした笑みを浮かべている。
「……許さねェ。人間をあんなバケモノの餌にしやがって」
物陰に潜んでいた獣人バルダスが、ギリッと牙を鳴らした。
「ああ。これ以上の悲劇は、俺の剣で断ち切る……ッ!」
ジークフリートが地を蹴った。
神速の踏み込み。抜かれた『魂喰いの聖剣』が白銀の軌跡を描き、人間たちを見下ろしていた豚頭の魔族の首を、一刀のもとに刎ね飛ばした。
ドスゥンッ!!
巨大な魔族の首が広場の石畳に転がり、黒い血が噴き出す。
「――皆の者、もう恐れることはない!」
返り血を浴びたジークフリートは、聖剣を天に掲げ、広場に集まった人間たちに向かって高らかに宣言した。
「我々は、神の信託を受けた勇者! 忌まわしき魔王アラリックと魔女エアラを討ち、貴方たちを解放しに来た!……さあ、顔を上げろ! 自由は、我らの手に――」
しかし。
ジークフリートの熱を帯びた声は、誰の歓声にも迎えられなかった。
「あ……ああ……」
先ほど「供物」として選ばれていた少女が、自身の顔に飛んだ魔族の血を震える手で拭い、信じられないものを見る目でジークフリートを睨みつけた。
「なんということを……。私の、女王様への『名誉』を……ッ! よくも、よくも邪魔してくれたわね、この悪魔ッ!!」
「え……?」
ジークフリートが呆然と声を漏らした瞬間。
少女が地面の石を拾い上げ、ジークフリートの顔面に向かって力一杯投げつけたのだ。
ゴツッ!
石はジークフリートの額に命中し、一筋の血が流れる。
「あ、悪魔だ! 女王様の平和な楽園を壊しに来た悪魔どもだ!」
「殺せ! こいつらを殺して、女王様への謝罪の供物にしろォォッ!」
広場に集まっていた数千人の人間たちの目が、一斉に狂信的な怒りに血走った。
彼らは次々と地面の石や瓦礫を拾い上げ、勇者たちに向かって凄まじい勢いで投げつけ始めた。
「な……や、やめろ! 俺たちは、お前たちを助けに……ッ!」
「ふざけるな! 飢えも争いもないこの美しい世界の、どこに不満があるというのだ!」
「魔王様と女王様万歳! 我らの血肉を、至高の神々に捧げよ!」
石が雨あられと降り注ぐ。
バルダスが前に出て盾になろうとするが、投げつけているのが「守るべきただの人間」であるため、反撃することができない。
イゴールも弓を構えたまま、その異様な光景に完全に固まっていた。
「……駄目です、ジークフリート様」
盲目の聖公女クラウディアが、白杖を震わせながら血を吐くような声で言った。
「私の目には……彼らの魂の形が視えます。彼らはもう、人間ではありません。あの魔女の力によって、魂のそのものが『食べられることに至上の喜びを感じる家畜』へと書き換えられているのです……ッ!」
狂っているのは魔王たちだけではない。
この世界そのものが、とうの昔に彼らの「毒」に染まりきり、完全に完成してしまっていたのだ。
「そんな……馬鹿な。俺は、俺たちは……いったい何のために……ッ!」
ジークフリートは、降り注ぐ石つぶてを浴びながら、力なく聖剣を取り落とした。
その瞬間、再び聖剣の代償が彼の脳を削り取る。
(……俺は……誰を助けたくて、剣を振るっていた……?)
失われていく記憶。崩壊する正義。守るべき者たちからの物理的・精神的な迫害。
勇者たちの心は、魔王の城にたどり着くどころか、最初の街で無残にへし折られてしまった。
「あははははっ! 最高傑作ね、これ!」
王都の最上階。
水晶球に映るその滑稽な悲劇を見て、エアラはベッドの上で涙を流して笑い転げていた。
「自分たちが命懸けで助けようとした豚どもに石を投げられて、ボロボロになってるわ! ねえアラリック、あのお兄さんの絶望した顔、見た!?」
「ええ、とても美しい。貴女が作り上げたこの『完璧な世界』の前では、彼らのちっぽけな正義など、ただのピエロの演目です」
アラリックは笑い疲れたエアラの背中を優しく撫で、自身もまた真紅の瞳を細めて愉悦に浸っていた。
「さあ、勇者殿。せいぜい足掻いて、絶望の味を熟成させてから我々の元へ来なさい。……お前たちの空っぽの魂を、残さず喰らい尽くしてやろう」
世界は、魔王と女王の絶対的な箱庭。
もはや人類に、真の救いなどどこにも残されてはいなかった。
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<beens 過去作>
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