第27話:拒絶の荒野と、記憶を喰らう聖剣
教皇領を囲む結界を一歩抜け出た瞬間、世界は完全に「異界」へと変貌していた。
かつて緑豊かだった街道は、赤黒い奇肉のような大地に覆われている。天からは絶えず灰色の「腐敗の雪」が舞い落ち、道沿いに生える不気味な樹木は、よく見れば人間の腕や胴体が複雑に絡み合って形成された『肉の樹』であった。
「……酷い瘴気だ。息をするだけで肺が焼けるようだ」
【帝国の亡霊】ジークフリートが、マントで口元を覆いながら低く呻いた。
六人の勇者パーティは、魔王の居城である王都グランディールを目指し、この『拒絶の荒野』を行軍していた。
「ジークフリート様、前方に微かな魔力反応が。……来ます、魔王の猟犬どもです」
目隠しをした【盲目の聖公女】クラウディアが、白杖を握りしめて警告を発する。彼女の『神の千里眼』は光を奪った代わりに、遠く離れた瘴気のうねりを正確に捉えていた。
「グルルルルッ……!!」
地響きと共に、灰色の雪煙を切り裂いて現れたのは、四足歩行の異形たちだった。
鋼鉄の鎧が肉にめり込み、兜の隙間から夥しい数の眼球を覗かせている。それは数年前、エアラの呪いによってバケモノへと作り変えられた「元・十字軍の騎士」たちの成れの果てだった。
「チッ、出迎えにしては趣味が悪すぎるぜ……!」
【亡国を追う狩人】イゴールが、巨大な長弓を構えた。
「俺がデカブツの足を止める! 行くぞッ!」
イゴールは神から授かった『死を導く魔弾』の矢をつがえ、標的に狙いを定めた。
放たれた光の矢が、先頭の異形の頭部を正確に吹き飛ばす。
――しかし、その直後。
「が、はッ……!!」
イゴールの胸を、見えない巨大な槍で貫かれたような激痛が襲った。
ドクン、と。彼の心臓が、完全にその鼓動を停止したのだ。
「イゴール!」
「構うな……ッ、俺の加護は、一発撃つごとに『一分間、心臓が止まる』!……死にはしねぇ、戦えッ!」
顔面を土気色にし、血を吐きながら地面に倒れ伏すイゴール。
彼は敵を一人倒すたびに、文字通り「死の淵」を彷徨う激痛を味わわなければならないのだ。
「畜生……ッ、神の奇跡ってのは、どうしてこうも呪いみてぇなんだ!」
獣人バルダスが自らの痛覚を100倍に引き上げる代償で肉体を硬質化させ、群がる異形を殴り飛ばす。しかし、敵の爪が微かに掠るだけで、彼は脳髄が沸騰するような激痛に悲鳴を上げていた。
「道を、開く……ッ!」
ジークフリートが、神の神器『魂喰いの聖剣』を抜き放った。
白銀の刃が輝き、群がる異形たちを一閃のもとに両断していく。圧倒的な威力。魔王軍の先兵たちでさえ、この聖剣の前では紙切れのように斬り裂かれていく。
だが、三匹目の異形を斬り捨てた瞬間。
ジークフリートの脳裏から、ふっと『何か』が抜け落ちた。
(……あれ? 今、俺は……誰の顔を思い出そうとしたんだ?)
故郷の城の庭。花冠を作って笑う、金髪の少女。
「お兄様」と呼んでくれていたはずの、愛する妹の顔が。名前が。その声が。
聖剣の刀身に吸い込まれるように、黒く塗り潰されて消滅した。
「あ……ああ、あァァァァッ!!」
ジークフリートは、失われた記憶の空洞に恐ろしいほどの喪失感を覚えながら、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして剣を振るい続けた。
忘れたくない。でも、斬らなければ殺される。
希望の剣を振るうたびに、彼らが守りたかったはずの「人間としての心」が、無残に削り取られていく。
――その悲惨な光景を。
王都の最上階、真紅の天蓋ベッドの上で、魔王と女王は極上のワイングラスを傾けながら観賞していた。
「あははははっ! ねぇ見てアラリック! あの帝国のお兄さん、剣を振るたびにポロポロ泣いてるわ! 自分から大切な記憶をドブに捨てて、いったい何を守るつもりなのかしら!」
宙に浮かぶ巨大な水晶球に映る勇者たちの惨状を指差して、エアラは腹を抱えて笑い転げていた。
彼女の美しい唇は、アラリックから与えられたばかりの新鮮な血で妖しく濡れている。
「……滑稽ですね。わざわざ自身の心臓を止め、記憶を喰わせ、痛覚を倍増させてまで、我々に挑もうとは。神とやらも、随分と残酷な玩具を作ったものです」
アラリックは退屈そうに水晶球を一瞥すると、エアラの裸の肩を抱き寄せ、その白い首筋にそっと口づけを落とした。
「あの者たちの抱える絶望など、貴女がかつて背負わされていた『業』の苦痛に比べれば、児戯にも等しい。……貴女を苦しめた世界が、今こうして自滅していく様は、最高の酒の肴ですよ」
アラリックの低い声に、エアラはうっとりと目を細めた。
かつて人間たちのために身を粉にして癒やしを与えていた彼女は、今や彼らが苦しみ、自ら壊れていく姿にこの上ない快感を覚える「魔の女王」へと完全に裏返っていた。
「ねぇ、アラリック」
エアラは水晶球の向こう側――勇者たちが向かっている次の目的地である『家畜の都』を見つめ、残酷な笑みを浮かべた。
「あの子たち、自分たちが『世界を救う』って本気で信じてるのよね。……だったら、教えてあげなくちゃ。彼らが救おうとしている人間たちが、とっくに【私のもの】だってことを」
「ええ。レオンに命じ、極上の『歓迎会』の準備をさせましょう。……希望が最も残酷な形で打ち砕かれる瞬間を、貴女に捧げます」
荒野で血を流し、身を削りながら進む勇者たち。
彼らはまだ知らない。この先に待つ街で、魔物よりも恐ろしい「人間の狂気」が彼らを待ち受けていることを。
魔王と女王の甘い笑い声が、終わらない夜の寝室に響き渡っていた。
更新通知を受け取りたい方は、ぜひブックマークをお願いします!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!
<beens 過去作>
https://mypage.syosetu.com/mypage/novellist/userid/3017364/




