第19話:玉座の血飛沫、愚者に捧ぐ白銀の刃
王都大聖堂の「光の大広間」。
かつては神への賛美歌が響き渡っていたその神聖な場所は、今や冷たい恐怖と混乱の坩堝と化していた。
「み、見たか……? 広場に吊るされた、あの肉塊を……」
「大教主猊下だ。顔の皮を剥がれ、四肢を切り落とされた状態で……まだ生きておられたぞ……」
「昨夜、西区画の詰め所でも異端審問官たちが皆殺しにされたという。一体、この王都で何が起きているのだ!?」
早朝から急遽集められた数十名の枢機卿や司教たちは、ステンドグラスから差し込む青白い光の下で、ガタガタと震えながら身を寄せ合っていた。
その時、大広間の重厚なオークの扉が、地鳴りのような音を立てて開かれた。
「――静まれ。聖女エアラ様のお成りである」
広間に響き渡ったのは、底冷えするような無感情な声だった。
開かれた扉の向こうから現れたのは、純白のドレスに身を包んだエアラ。その白雪のような首筋には、不釣り合いな「漆黒のチョーカー」が巻かれている。
だが、幹部たちの視線は、彼女よりもその後ろにピタリと影のように付き従う『巨漢』へと釘付けになった。
「あ、あれは……アラリック団長!?」
「馬鹿な、北方の雪崩で死んだはずでは……! い、いや、あの目は何だ! まるで地獄の悪鬼のようではないか!」
兜を被らず、素顔を晒したアラリック。その両目は禍々しい真紅の光を放ち、口元はサメのように裂け、全身から息が詰まるほどの『死と暴力』のプレッシャーを撒き散らしていた。
エアラは幹部たちの怯えた視線を受けながら、大広間の最奥にある教皇の玉座へとゆっくりと歩を進める。
かつての彼女なら、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていただろう。しかし今の彼女の目は、冷え切ったガラス玉のように何の感情も宿しておらず、ただ背後の「魔王」の存在だけを支えにして歩く、美しい操り人形のようだった。
「大教主ボルドーは、神の怒りに触れました。その腐敗と傲慢は、この大聖堂を汚すもの。……故に、私が彼を裁き、新たな秩序を築くこととします」
玉座の前に立ったエアラが、静かに、だがはっきりと宣言した。
「な、なんだと……?」
幹部たちの間に、どよめきが走った。
大教主を殺したのが聖女? いや、違う。彼女の背後に立つ、あの怪物がやったのだ。誰の目にもそれは明らかだった。
「ふ、ふざけるなァッ!!」
突如、沈黙を破って一人の男が前に進み出た。
大教主の側近であった保守派の枢機卿、バルバスだ。彼は怒りで顔を真っ赤に染め、隠し持っていた護身用の短剣を抜き放った。
「大教主猊下をあのような無惨な目に遭わせたのは、その後ろにいる化物だろうが! 聖女様、目を覚ましてください! その男は悪魔に取り憑かれている! 我ら神の僕が、今こそその異端を――」
バルバスが短剣を振り上げ、魔術の詠唱を始めようとした、その瞬間。
アラリックは、表情一つ変えなかった。
指一本動かすことなく、ただ退屈そうにバルバスを見下ろしているだけ。
エアラもまた、冷酷な目で愚かな男を見つめている。
「――真王と聖女様の御前にて、汚らわしい豚が吠えるな」
シュパァァンッ!!
広間の空気を切り裂くような、鋭い銀閃。
バルバスが短剣を握りしめていた右腕が、肘から先で綺麗に切断され、宙を舞った。
「え……?」
バルバスが自身のなくなった腕を間抜けな顔で見つめた直後、時間差で激痛が脳を貫いた。
「ぎ、ぎゃああああッ!?」
彼の背後の影から、音もなく滑り出た者たちがいた。
純白の法衣に、銀の仮面。かつて大聖堂を震え上がらせていた「白銀部隊」の姿。しかしその正体は、アラリックに狂信的な忠誠を誓い、完全に精神を作り変えられたレオンたち「亡霊」だった。
「異端は貴様らだ、腐れ外道。我らが真王の描く美しき箱庭に、貴様らのような蛆虫は不要」
レオンの冷徹な声と共に、黒塗りの剣が再び一閃した。
ゴトッ……。
バルバスの首が、呆気なく胴体から滑り落ちた。
切断面から間欠泉のように噴き出した鮮血が、大理石の床と、周囲で固まっていた他の幹部たちの顔を真っ赤に染め上げる。
「ひっ……!」
「あ、あああ……っ!」
悲鳴すらまともに上がらない。あまりの圧倒的な暴力と、かつての高潔な騎士レオンの変貌ぶりに、幹部たちは完全に腰を抜かし、床に這いつくばった。
「……片付けろ。床が汚れる」
アラリックが低く短く命じると、レオンは無言で一礼し、バルバスの死体をゴミのように引きずって広間の外へ放り出した。
死の静寂が降り降りた大広間で、アラリックはエアラの肩を優しく抱き、彼女を玉座へと座らせた。
そして、自らはその玉座の背もたれに片手をかけ、血だまりで震える幹部たちを真紅の眼光で睥睨した。
「……さて。他に、神の意志に異議のある者はいるか?」
魔王の低い問いかけに、答えられる者などいるはずがなかった。
ただ一斉に、ガタガタと震えながら床に額をこすりつけ、絶対的な服従を示すのみ。
玉座に座るエアラは、己の首を締める黒いリボンにそっと触れながら、足元にひれ伏す権力者たちを見下ろした。
かつては自分を疎み、利用しようとしていた豚どもが、今や自分の(正確にはアラリックの)暴力の前に震え上がっている。
その光景は、彼女の胎の奥に、暗く背徳的な優越感と、アラリックへのさらなる依存を深く刻み込んだのだった。
恐怖による支配は、ここに完璧に完成した。
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