第18話:逆転の朝、白雪の首筋に結ぶ黒の支配
冷たい朝の風が、砕け散った窓ガラスの隙間から寝室へと吹き込んでいた。
分厚い天蓋付きのベッドの中で、聖女エアラは気怠い熱を帯びた体をゆっくりと寝返らせた。
「ん、あ……っ」
シーツが肌に擦れるだけで、全身に微かな痛みが走る。
特に、心臓の真上――昨夜、アラリックの鋭い牙によって無慈悲に貫かれ、貪られた場所が、甘い熱を持って疼いていた。
しかし、不思議なほど体は軽かった。四ヶ月間、彼女の体を内側から焼き焦がしていた『業』の猛毒は、あの理不尽なまでの暴力的な吸血によって、一滴残らず吸い尽くされていたのだ。
「……おはようございます、私の愛しい飼い主様」
不意に、ベッドの傍らから低く甘い声が響いた。
エアラがハッと目を開けると、そこには洗面器と真新しい純白のドレスを手にしたアラリックが立っていた。
大教主の血肉で汚れた法衣はすでに着替えられており、以前のような整った騎士の身なりをしている。しかし、その瞳の奥でギラギラと燃える真紅の光と、彼女を見下ろす圧倒的な「捕食者」としての威圧感は、彼がもはや人間の枠を完全に超え去った怪物であることを雄弁に物語っていた。
「ア、アラリック……」
エアラは身を起こそうとしたが、体に力が入らず、再びシーツの中に崩れ落ちた。
かつてなら「何をしているの、早く私を助け起こしなさい」と高圧的に命じていただろう。しかし今、彼と目が合っただけで、エアラの背筋に本能的な『雌』としての恐怖と、名状しがたい快感が粟立つのだ。
「無理をしてはいけません。昨夜は、随分と……『泣き叫んで』おられましたからね」
アラリックはくすりと笑い、ベッドの端に腰を下ろした。
その重みだけで、マットレスが大きく沈み込む。
彼は温かい湯で絞った柔らかい布を手に取ると、エアラの乱れた寝間着の胸元を、一切の躊躇なく大きくはだけさせた。
「ひゃっ……! ちょ、ちょっと、何をする気……!」
「汗をかいているでしょう? 綺麗にして差し上げます」
アラリックの大きく、鋼鉄のように硬い手が、濡れ布巾越しに彼女の雪のような肌を滑っていく。
首筋、鎖骨、そして、昨夜彼自身がつけた生々しい真紅の牙の痕。
その傷跡をなぞる彼の指先は恐ろしいほど優しかったが、それは「壊れ物を扱う優しさ」ではなく、「自分の一番のお気に入りの玩具(食事)を愛でる優しさ」だった。
「……私の部屋をめちゃくちゃにして。それに、外がやけに静かだけど、あなた、まさか……」
エアラは虚勢を張って、上目遣いで彼を睨みつけた。
「ああ。あの醜く肥え太った豚(大教主)なら、今頃、教会の前の広場で『素晴らしいオブジェ』になっている頃です。……残りの目障りなゴミ共も、レオンたちが夜明け前にすべて片付けました」
アラリックは、彼女の体を拭きながら淡々と、まるで「庭の雑草を抜いた」くらいのトーンで恐ろしい殺戮の成果を口にした。
「……そう」
エアラは息を呑んだ。
教会の頂点が、一夜にしてこの男の暴力によってすげ替えられたのだ。そして、その絶対的な暴力の頂点に立つ魔王は今、自分というちっぽけな存在の血を啜るためだけに、こうして甲斐甲斐しく世話を焼いている。
「さあ、腕を通してください。今日は、新しい教会の指導者として、幹部たちの前に立っていただかなくてはなりませんから」
アラリックは彼女を抱き起こし、真新しい純白のドレスを丁寧に、だが有無を言わさぬ力強さで着せかけていく。
かつて、彼を足元に這いつくばらせていた自分が。今はまるで、着せ替え人形のように彼の手の中で弄ばれている。その圧倒的な立場の逆転に、エアラは悔しさと同時に、胎の奥が熱く痺れるような倒錯した悦びを感じていた。
「……最後に、これを」
ドレスの背中の紐を締め終えると、アラリックは懐から「漆黒のベルベットのリボン」を取り出した。
「それは……?」
「貴女の美しい首筋にある『私の所有印』を、他の下等な豚どもに見せるわけにはいきませんからね。……これは、私からの贈り物です」
アラリックは彼女の背後に回り、その細い首に漆黒のリボンを巻きつけ、ぴたりと肌に密着するように結び目を作った。
純白のドレスと、雪のように白い肌。その首元を締め付ける、黒いチョーカー。
それは誰の目から見ても、彼女が「誰かに飼いわれている」ことを示す、残酷で美しい『首輪』だった。
「これで良し。……とてもお似合いですよ、エアラ」
アラリックは背後から彼女を抱きすくめ、その黒いリボンの上から、熱い口づけを落とした。
「あっ……ん……」
首筋に伝わる魔王の吐息と、かすかに触れる鋭い牙の感触。
エアラの体はビクンと跳ね、彼女の口から無意識に甘い喘ぎ声が漏れた。
(私は、このバケモノの……『もの』になってしまったのね……)
もはや、彼女に逃げ場はない。王都の権力も、彼女の命も、すべてはこの男の掌の上だ。
しかし、彼女の口元には、絶望ではなく、抗いがたい快楽に堕ちた歪んだ笑みが浮かんでいた。
「……行きましょうか、私の可愛い操り人形(聖女様)。怯える豚どもに、新しい秩序を教えてやらなければ」
魔王は恭しく彼女の手を取り、砕け散った鳥籠(部屋)の扉を開け放った。
血塗られた王都の朝が、今、完全に二人のものとなったのだ。
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