第13話:空の鳥籠と、代用品の浅ましい首筋
王都グランディールの大聖堂。
何重もの結界に守られた聖女エアラの自室は、むせ返るような香木の匂いと、重苦しい停滞感に包まれていた。
「……で? あなたが、大教主様が新しく推薦してくださった私の『専属護衛』ですか」
エアラは豪奢な長椅子に寝そべったまま、退屈そうに目を伏せた。
彼女の足元には、銀の甲冑に身を包んだ見目麗しい若き騎士が、緊張で顔を強張らせて片膝をついていた。
「は、はいッ! 聖女エアラ様! 我が命に代えましても、貴女様の御身を――」
「もういいわ。声が大きくて頭に響くの」
ピシャリと冷たく遮られ、若き騎士はビクッと肩を震わせて口を閉ざした。
エアラはゆっくりと身を起こし、彼に近づいた。純白のドレスが擦れる微かな音が、静寂の部屋に響く。
彼女の美しい顔が間近に迫り、騎士の頬が純情な朱色に染まるのを、エアラは氷のような瞳で見下ろしていた。
(……浅ましい。ただの『雌』を見るような、俗物的な欲情の匂い)
エアラは、そっと騎士の顎に指を添え、その顔を上向かせた。
露わになった、若く健康的な首筋。トクン、トクンと規則正しく脈打つ頸動脈。
「ねえ、あなた。私のために命を懸けると言ったわね」
「も、もちろんでございます!」
「なら……私が抱えている『痛み』を、一緒に背負ってくれるかしら?」
エアラは甘く、とろけるような声で囁きながら、自身のドレスの襟元をわずかに引き下げた。
そこには、かつてアラリックが幾度も牙を突き立て、治癒魔法で塞がれた微かな赤い痕が残っている。
「私の血はね、奇跡の代償として『猛毒』を孕んでいるの。それをすすり、私の穢れをすべて飲み込んでくれる『器』が……私には必要なのよ」
エアラは自らの指先を短剣で浅く傷つけ、滲み出た血を、騎士の唇に押し当てようとした。
その瞬間。
「ひっ……!?」
若き騎士の顔に浮かんだのは、神聖な聖女に対する崇拝でも、狂おしいほどの愛でもなかった。
未知の「毒」という言葉に対する、純粋な『恐怖』と『嫌悪』。
彼は無意識のうちに、エアラの指から顔を背けてしまったのだ。
「……」
「あ、申し訳ありません、聖女様! 今のは、その、あまりに突然のことで……ッ!」
「出て行きなさい」
エアラの声から、一切の温度が消え失せた。
「え……?」
「二度と私の視界に入らないで。この部屋の空気が汚れるわ」
絶対的な拒絶。その威圧感に耐えきれず、若き騎士は這々の体で部屋から逃げ出していった。
分厚いオークの扉が閉まる音を聞きながら、エアラは舌打ちをし、自身の指先から滲んだ血をペロリと舐め取った。
(……つまらない。どれもこれも、ただの凡人。私の『業』を受け止めることすらできない、脆くて薄っぺらいガラス細工ばかり)
アラリックが北方の辺境へ発ってから、すでに四ヶ月が経過していた。
最初のうちは、監視役のガイウスから「奴は寒さと飢えで半死半生だ」という嘲りに満ちた報告書が届いていた。エアラはそれを読みながら、遠く離れた地で自分の血を求めて雪を掻きむしるアラリックの姿を想像し、胎の奥が疼くほどの優越感に浸っていた。
だが、一ヶ月前。
『討伐隊は大規模な雪崩に巻き込まれ全滅』という、ガイウスからの最期の報告を最後に、北からの連絡は一切途絶えた。
大教主は「あの目障りな騎士もようやく死んだか」と祝杯を上げていたが、エアラだけは違った。
(死ぬはずがない。私の毒をあんなにたっぷりと飲み込んだ『化物』が、雪崩ごときで死ぬわけがないわ)
エアラは自身の胸元を、苛立たしげに強く掻きむしった。
白雪のような肌に、赤い爪痕が残る。
苦しいのだ。
彼女の中に溜まり続ける、聖女としての奇跡の代償――『業』という名の猛毒が。
定期的にアラリックという「底なしのゴミ箱」にそれを吐き出させていた彼女の肉体は、今や限界に近い熱を帯びていた。
肌が焼け付くように熱い。誰かに、この皮膚を乱暴に食い破り、内側の黒いものを根こそぎ吸い出してほしい。
(アラリック……。私の、可愛い狂犬)
彼の、あの血走った真紅の右目が恋しかった。
理性と矜持をかなぐり捨て、涎を垂らして自分の足元に這いつくばる、あの惨めな姿。
自分の血を啜る時の、喉の奥から漏れる獣のような喘ぎ声。
そして、鋭い牙が肌に食い込む瞬間の、脳髄が痺れるような痛烈な快感。
「……早く、帰ってきなさいよ。お預けの時間は、もう終わりだと言っているのに」
エアラは寝台に身を投げ出し、自身の柔らかな太ももを両手で抱きしめた。
そこには、別れの夜に彼が付けた、最も深く、最も熱かった牙の痕が微かに残っている。
「もし本当に野垂れ死んだのなら……絶対に許さない。地獄の底まで追いかけて、その魂を永遠に私の足元に縛り付けてやるわ」
それはもはや、支配者の余裕ではなかった。
彼女自身も気づかぬうちに、アラリックという存在なしでは精神の均衡を保てないほどの『究極の共依存』に陥っているのだ。
月明かりの差し込む窓の外、遠く北の夜空を見つめながら、聖女は狂おしいほどの焦燥と欲情に身をよじらせた。
彼女はまだ知らない。
彼女が待ちわびている「飼い犬」が、すでに鎖を引きちぎり、すべてを喰らい尽くす『真王』として王都のすぐ門前まで迫っていることを。
更新通知を受け取りたい方は、ぜひブックマークをお願いします!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!
<beens 過去作>
https://mypage.syosetu.com/mypage/novellist/userid/3017364/




