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渇きの聖域 —— 聖女の毒を啜る異形騎士の狂愛  作者: beens
第2章 反逆の胎動と真王の覚醒

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第10話:白銀の裏切りと、死地で嗤う獣

「氷牙の谷(ひょうがのたに)」。

一年中、太陽の光が届かず、鋭い氷柱が牙のように連なる北方の難所である。

異端審問官ガイウスの「ここに魔獣の巣がある」という情報に基づき、アラリック率いる討伐隊の先陣は、この薄暗い谷の底へと足を踏み入れていた。

「隊長……異常なほどの静けさです。魔獣の気配すら――」

副官のレオンが、凍える息を吐きながら周囲を警戒する。

その時だった。

――ドゴォォォォンッ!!

突如、谷の後方で耳を劈(つんざ)くような爆発音が轟いた。

アラリックたちが振り返ると、彼らが入ってきた谷の入り口が、仕掛けられた火薬による人為的な雪崩で、完全に塞がれているではないか。

「なっ……!? 雪崩だと!?」

「いや、違う! 崖の上を見ろ!」

雪煙が晴れた崖の遥か上方に、銀の仮面をつけたガイウスたち「白銀部隊」が立ち並んでいた。彼らは谷底にアラリックたち数十名を置き去りにしたまま、嘲笑うように見下ろしている。

『――不運な事故でしたな、アラリック隊長!』

風に乗って、ガイウスの拡声魔術による声が響き渡った。

『勇敢なる討伐隊は、突然の雪崩と魔獣の襲撃により全滅。……大教主猊下も、さぞお悲しみになることでしょう。聖女様には、私がしっかりと事の顛末をお伝えしておきますよ!』

「ガイウス貴様ァッ!! 最初からこれが狙いか!」

レオンが血を吐くような声で叫ぶが、もう遅い。白銀部隊は崖の上から姿を消した。

そして、真の絶望はここからだった。

爆発音を聞きつけ、谷の奥深くから「それ」が現れたのだ。

「ギィィィ……ルルルルッ」

体長五メートルを超える、六本脚の巨大な白熊――特A級指定の魔獣「氷雪巨獣(フロスト・ベヒモス)」の群れである。その数は十や二十ではない。谷底を埋め尽くすほどの白い悪夢が、ヨダレを垂らして彼らを包囲しつつあった。

「嘘だろ……。こんな数、勝てるわけがない……」

騎士たちの何人かが、恐怖で剣を取り落とし、雪の上にへたり込んだ。

レオンでさえ、完全に死を覚悟したように唇を噛み締めている。絶対絶命。人間の力では、どう足掻いても数分後には肉片に変わるだけの状況だ。

しかし。

彼らの絶望の中心で、アラリックは――低く、くぐもった声で嗤っていた。

「ふ、ふふ……あははははっ!」

「た、隊長……?」

狂ったように笑うアラリックの体から、尋常ではない熱気が立ち昇り始めた。

周囲の雪が「ジュゥゥッ」と音を立てて溶け、白い蒸気が彼を包み込む。

(……死ぬ? 私が、こんな泥水のような魔獣の群れに食い殺されるだと?)

冗談ではない。

アラリックの脳裏に、あの純白の自室で自らの太ももを傷つけ、血を与えてくれたエアラの姿が浮かぶ。

『――半年間、他のどんな血を啜ろうとも、決して私の味を忘れないように』

『――私を奪おうとするあの豚どもを皆殺しにする、真の怪物になって帰ってくるのです』

(そうだ。私は、あの御方と誓ったのだ。こんな氷の底で野垂れ死に、あの至高の蜜を二度と味わえなくなることなど……絶対に、許されないッ!)

「……レオン。お前たちは、そこで目を閉じていろ」

アラリックは、腰の騎士剣を雪の中に無造作に放り捨てた。

「え……?」

「ここから先は、騎士の戦いではない。ただの……『食事』だ」

ドンッ!! と。

アラリックの背中から、どす黒い真紅のオーラが爆発的に噴き出した。

被っていた兜が、内部から膨張した異常な熱と闘気によって弾け飛ぶ。

露わになった彼の顔は、もはや人間の原型を留めていなかった。右目だけでなく左目までもが血のような真紅に染まり、口元は耳まで裂け、サメのように鋭い牙がびっしりと生え揃っている。

「ガアアアアッ!!」

先陣を切って飛びかかってきた氷雪巨獣の巨体に、アラリックは素手で正面から激突した。

ドグシャァァッ!!

人間の何十倍もの質量を持つ魔獣の突進を、アラリックはたった片手で受け止め、そのまま怪物の頭蓋骨を指の力だけで粉砕した。

「な……!?」

レオンたちは、自分たちの隊長が起こしたあり得ない光景に、息を止めた。

「ああ……不味い。不味い不味い不味い不味いッ!!」

アラリックは脳漿を撒き散らして倒れた巨獣の死骸を蹴り飛ばし、次の獲物へと跳躍した。

もはや剣など必要ない。彼の両手から伸びた漆黒の爪が、鋼鉄よりも硬い魔獣の毛皮を豆腐のように切り裂き、内臓を雪原にぶち撒けていく。

圧倒的。あまりにも一方的な、捕食者による蹂躙。

魔獣の血を浴びるたび、アラリックの狂気は加速していく。

(こんな血ではダメだ! 渇きが癒えない! 早く終わらせて、王都へ帰らなければ……私の、私の聖女様の元へ!!)

氷雪の谷に、騎士の号令ではなく、餓えた真王の恐ろしい咆哮が響き渡る。

崖の上でほくそ笑んでいた異端審問官たちはまだ知らない。

自分たちが氷の谷に突き落としたのは、ただの人間ではなく、鎖を解かれた「最悪の魔王」であったということを。

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