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うさぎ、取れません  作者: 櫻木サヱ
取れないウサギは「問題」ではなくなっていく。

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6/7

ウサギは安全です

「結論から言うと、安全です」


その言葉を、三枝恒一はもう三回は聞いていた。

それでも、人は「結論から言うと」に弱い。何かが片付く気がしてしまう。


会議室には、いつもより人が多かった。

日向部長、黒川、山本、それから総務の人。

なぜか資料まで用意されている。


三枝は、ウサギのまま、いつもの席に座っていた。


「安全、というのは」


黒川がスライドをめくる。


「呼吸に支障なし、血流に問題なし、精神的な混乱も見られず」


「精神的な混乱は、誰基準?」


山本が口を挟む。


「比較対象が、昨日までの三枝さんです」


「それはそれで失礼だな」


誰も笑わなかった。

冗談として処理されなかったことに、三枝は少しだけ戸惑った。


「要するに」


日向部長が言った。


「今すぐどうこうする必要はない」


「外す方向では」


「急がない」


即答だった。


「危険じゃないなら、業務優先」


その言葉で、会議はほぼ終わった。


結局、決まったことは三つだけだった。

一つ、無理に外さない。

一つ、体調に異変があればすぐ報告。

一つ、対外的には“イベント対応中”で通す。


「イベント、いつまでですか?」


総務の人が聞く。


「未定」


日向部長はそう言った。


未定、という言葉は便利だ。

期限を考えなくていい。


午後の業務は、驚くほどスムーズだった。

電話は相変わらず黒川が取る。

来客対応は山本。

三枝は、内部資料の整理と確認に集中する。


誰も無理をさせない。

誰も期待しすぎない。


それが、こんなに楽だとは思わなかった。


コピー機の前で、別部署の人に声をかけられた。


「……あの」


「はい」


「その、暑くないですか?」


心配は、そこだった。


「平気です」


「それなら」


それで終わった。


昼休み、外に出ると、近くの公園で子どもたちが遊んでいた。

一人が、三枝に気づいて駆け寄ってくる。


「うさぎだ」


「こんにちは」


自然に、そう言っていた。


「お仕事?」


「そう」


「えらいね」


えらい。

久しぶりに聞いた言葉だった。


ベンチに座っていると、母から電話がかかってきた。

出るか迷ったが、出た。


「……もしもし」


一瞬の沈黙。


『……それ、今?』


「今」


『取れないの?』


「取れない」


『病院は』


「行った」


『危なくない?』


「安全」


安全、という言葉を使う自分に、少し違和感があった。


『……ちゃんと、ご飯は食べてる?』


結局、そこだった。


「食べてる」


『なら、いい』


それで終わった。


切ったあと、三枝はしばらくスマートフォンを見つめていた。

心配されていないわけではない。

でも、止められてもいない。


会社に戻ると、デスクに小さなメモが置かれていた。


『耳、邪魔だったら言ってください

 山本』


どうしてそんなところを気にするのか、わからなかった。


定時になっても、誰も急かさなかった。

残業の打診もなかった。


「今日は、もう上がっていい」


日向部長はそう言った。


理由は説明されなかった。


帰り道、駅のホームで、ふと思う。

もし今、外れたら。

この“配慮”は、全部なくなる。


人に戻れば、元に戻る。

それは、正しいことだ。


でも。


電車が来る。

窓に映るウサギは、落ち着いた顔をしていた。


ウサギは、安全だった。

少なくとも、この世界では。


その安全が、

三枝を少しずつ、動かなくしていることに、

まだ、誰も気づいていなかった。

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