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うさぎ、取れません  作者: 櫻木サヱ
取れないウサギは「問題」ではなくなっていく。

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5/7

外れない理由は、誰にもない

「じゃあ、一度こちらで確認してみますね」


電話口の声は、とても丁寧だった。

丁寧すぎて、逆に何も期待できない種類の丁寧さだった。


三枝恒一は、ウサギのまま受話器を耳に当てている。正確には、耳のあたりに押し当てている、が近い。位置が少しずれると、相手の声が急に遠くなる。


「はい。昨日から、外れなくて」


『はい』


「首元が……はい」


『なるほど』


なるほど、という言葉が何を指しているのかは、わからなかった。


相手は着ぐるみ制作会社だった。

会社名を聞いた瞬間、「あ、ダメだな」と三枝は思った。

理由はない。ただ、声のトーンと、「前例」という単語が、すでに二度ほど出てきたからだ。


『構造的には、外れない設計ではないんです』


「ですよね」


『ただ……』


この「ただ」は、だいたい何も続かない。


『念のため、実物を見ないと何とも言えなくて』


「今、被ってます」


『……被って、いらっしゃる』


一瞬、沈黙があった。


『それは、その……お疲れさまです』


労われてしまった。


「今日、持ち込むことは」


『あー……』


その間が、すべてを物語っていた。


『今日は担当が出払ってまして』


「そうですか」


『明日以降なら』


「検討します」


電話を切ったあと、三枝はしばらく机に突っ伏した。

耳が邪魔で、完全には伏せられなかった。


「どうでした?」


黒川が、さりげなく声をかけてくる。


「前例がないそうです」


「ですよね」


「担当がいないそうです」


「ですよね」


会話が、想定通りに進みすぎていた。


午前中、今度は医者に行った。

会社を抜けることに、誰も異議を唱えなかった。

ウサギが外出すること自体が、もう特別扱いされていない。


診察室で、医師は三枝を見て、一瞬だけ言葉を失った。


「……どうされました?」


「取れなくなりまして」


「それは……」


医師はウサギの首元を覗き込み、軽く触れた。


「痛みは?」


「ないです」


「息苦しさは?」


「ないです」


「発疹や、しびれは?」


「ないです」


医師はカルテに何かを書き込んだ。


「命に関わる状態ではないですね」


それは、安心する言葉のはずだった。


「外れますか」


「無理に外すと、首を傷める可能性があります」


「じゃあ」


「様子を見ましょう」


三枝は、その言葉を、もう何度目かで聞いた。


会社に戻ると、昼休みだった。

山本が、ウサギを見るなり手を振る。


「お、どうだった?」


「外れない」


「ですよね!」


なぜか嬉しそうだった。


「でもさ」


山本は弁当の箸を動かしながら言う。


「別に困ってないですよね、今のところ」


三枝は返事をしなかった。

困っていない、というのは事実だった。


仕事は回っている。

会話は成立する。

誰も責めない。


困っていない。

それが、問題だった。


午後、霊感があるという人まで連れてこられた。

黒川の知り合いの知り合いらしい。


「気の流れが、耳に集中してますね」


「耳、ですか」


「はい。ウサギの」


説明はふわふわしていたが、言い切る力だけはあった。


「取れる可能性は」


「ご本人が、取れないと思っているうちは」


三枝は、その言葉に少しだけ引っかかった。


「思ってる、というのは」


「環境が許している間は、ですね」


環境。


会社を見回す。

誰も困っていない。

誰も急がせない。


日向部長は、いつも通りだった。


「どうだった」


「原因不明です」


「そうか」


それだけだった。


「明日も、来れる?」


その質問は、自然すぎた。


「……はい」


三枝は答えていた。


帰り道、コンビニに寄る。

店員は、もう視線も止めなかった。


「温めますか?」


「はい」


ウサギのまま頷く。


袋を受け取りながら、三枝はふと思った。


もし、今、外れたら。

このまま人間に戻ったら。


明日から、また普通に扱われる。

急かされ、求められ、説明を求められる。


ウサギでいる今の方が、

ずっと安全だった。


その考えに気づいた瞬間、

三枝は、少しだけ背筋が冷えた。


外れない理由は、誰にもなかった。

けれど、

外れなくてもいい理由は、

少しずつ、揃い始めていた。

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