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最終話 二つの世界を比べて

灰色の夜空から降り注ぐ、白く儚さを主張する雪。

この世界を白く化粧して行き、やがては消えていく。

俺はただ、そんな風景を見ていた。

何も考えることも無く、ただただじっとして。


1月も下旬に差し掛かった冬。

関東では珍しく大雪だった。

交通機関は麻痺し、学生もサラリーマンも同じ様に急いでいた。

気温も急激に下がった今ではガタガタと体が震える始末。

家路に急ぐ人々は電車とバスの両方が動かないためタクシーを待つ人々で駅がごった返している。

だけど俺はそれに反していた。

20階建てビルの屋上から人々の動きを観察している。

ここから見下ろす世界を何も考えることも無く、ただ見つめていた。

何故ここにいるか、と問われれば理由は簡単だ。

俺は、死ぬのだ。

自殺と解釈してくれて構わない。

この世界に絶望し、生きていく事を恐れた。

何度もこの世界と付き合っていこうと試みた。

だけどその度に俺はここに来ていた。

何度ここに来たか忘れてしまったが、今日で最後だろう。

決意した。

俺は死ぬ。

転落防止用の背の高いフェンスが張り巡らされているが、関係なかった。

乗り越えることは容易である。

後は、身を投げるだけ。

俺はこの世界から逃げるために片足を上げ、宙へ浮かせた。

その時、俺の耳には聞こえた。

鉄製の扉を開け放つ大きな音が。

誰かが来た様だ。

そして誰かが叫んだ。


常盤朝美(ときわあさみ)!!」


俺は振り向きもせず、黙って、この世界から、逃げるために、身を投げた。

―――はずだった。

宙に浮いていた片足はそのままを維持し、前に仰け反っていたはずの体は実際そうでもなかった。

何故だ。

何故、体が動かない。

俺はもう、この世界との関係を決別するために身を投げるつもりだったのに。


「死ぬな!! 常盤朝美!!」


何故、俺の名を呼ぶのか。

何故、俺の今の行動を知っているのか。

何故、俺が死のうとしているところに飛び込んできたのか。


「アンタに、借りがあるのよ!!」


―――借り。

なんだそれは。

俺は他人に借りを作るような人間ではない。

極力、他人との関係を持とうとはしないからだ。


「こっち向けぇ!! いつまでもそこに立ってるなぁ!!」


さっきからやたらとうるさいヤツだ。

少なくとも俺の知っている人物ではなさそうだ。

知らない、若い女の声だったから。


「アンタがそこから動かないなら、私が行く!!」


サクッサクッと降り積もった雪を踏みつけ、こちらに近づいてくるのがわかる。

非常に足音のテンポが悪い。

積雪に苦戦しているのがわかる。

俺の背にある背の高いフェンスまで辿り着いたようだ。

ギシッとフェンスが音を鳴らす。

手を掛けたように思える。


「ねぇ、聞こえてる? 聞こえてるよね? 特別耳は悪くないでしょ?」


どうして、そんなことを言えるのか。

俺はフェンスの向こう側にいる人物を知らない。

まだ顔を見ていないが職業病とでも言おうか、今まで聞いた事のある声は忘れたりはしない。


「ねぇお願い、返事をしてよ」

「誰だ、お前は」


いい加減鬱陶しくなって返事をしてしまった。

しまった、と思った時には遅かった。


「よかった、間に合った……」


その場に崩れ落ちたのだろうか。

未だに状況はわからないが、足音とは別の積雪をつぶす音が聞こえた。


「誰だ、お前は」

「私? アンタ」

「なに」


振り向くことはない。

そう考えていた。

どちらにせよ、俺はここから飛び降りるつもりだった。

隙をついて一瞬で片付けてしまおう。

それが効果的だと思っていた。

しかし、背後にいるであろう人物に〝誰だ〟と説いて〝アンタ〟と帰ってきて正直戸惑ってしまった。


「私は、トキワアサミだよ?」

「それは俺の名だ」

「うん。知ってる。そして私の名前なんだ」


馬鹿馬鹿しい。

頭が少し大変な事になっているのかも知れない。

そんな人間と関わりを持ってはいけない。


「そっか。やっぱり記憶無いんだ……。私と君、一度会ってるんだけど」

「会っている、どこで」

「別に隠すつもりも無いからそのまま言うけど、私の世界。別世界」


これは大変だ。

病院を紹介してみようか。

以前、俺が社長に連れて行かれた精神科にでも。


「んーそうなると手っ取り早いのがこれかな?」


これ欲しい? と言われると同時にシャキン、と気味の良い音が聞こえた。

何回も聴いた事のある音だった。

俺の耳で何回も捉えた金属音だ。

そんな音、俺にだって出せるさ。

見せ付けてやろうと思って、ポケットを探る。

いつもタバコとセットで待ち歩いているからな。


「どう、欲しい?」

「いらん。俺だって持っている」


しかし、ポケットから出てこない。

タバコの箱はある。が、いつまでも手に目的の物が握られることはなかった。

おかしい。

俺はアレをいつも肌身離さず持ち歩いている。

どんなに手に入れようとしても手に入らない物だ。

俺が唯一、金が買うことが出来ない物なのに。

今日だってさっきまで使っていたはず。

タバコに火を点ける時はいつもアレを使っている。

しかし、思い返せば今日は一回も使っていなかった。

そこら辺、どこにでも売っている100円ライターで火を点けていた。


「これ、君のだよ?」

「貴様!!!!」

「ふぇぇ!?」


勢い欲く振り返り、フェンス越しに相手を睨み付ける。

このフェンスが無かったら殺してやろうと思った。

いや、殺していただろう。


「それを返せ!!」

「待って待って!! 別に盗んだわけじゃないって!!」

盗人(ぬすっと)は皆そう言うだろう!! いいか、今すぐに渡せ、殺すぞ?」

「盗人って……。まぁいいや、ハイ」


随分とこの娘、変な感じを受ける。

着ている服装が俺と同じ学園の制服だ。

見たことのない娘だ。

まぁそれも当然だ。学園の連中の顔なんて覚える必要が無い。

差し出された金色の親父の形見(オイルライター)をフェンスの穴から奪い取り、ようやく落ち着いた。


「いつ、これを盗った」

「だから盗ってないって。てか、どうしていきなり口調が変わるわけ?」

「そんなことはどうでもいい。これは、俺が落としたのか」

「ううん。君がね、私の世界で残した物。私がこの世界に来るキッカケを作った物」


思い出せない? と少女は言う。

……。

馬鹿馬鹿しい。

またコイツを馬鹿馬鹿しいと思ってしまった。


「無表情だから合ってるか判らないけど、バカだって、思ってるでしょ?」

「よくわかったな」

「ま、私も最初はそう思ってたけどね。て言うかまだ動悸が激しい……。本当にビックリしたんだからね」

「それとついでに忠告してやろう。いつまでも座ってると、尻濡れるぞ」


雪が積もってるからな。と付け加えると少女は突然立ち上がった。

だから冷たかったのか!! と少し驚いていた。

少し抜けてるのかも知れないな。


「どうしよう、怖いんだけどなぁ……。ライターを渡して思い出さないなら、私がそっちに行くしかないのかなぁ」

「来るな」

「うん、行きたくない。だからこっちに来て?」


どうも調子が狂う。

わざとか?


「本当は思い出したんじゃなくて?」

「だから何をだ」

「……」

「どうでもいいが、帰れ」

「帰りたいけど、帰り方が判らないのよ……。君はどうやって自分の世界に帰ったの?」

「また意味不明なことを……」


タバコの箱から一本を取り出し、口にくわえる。

早速、戻ってきたライターで火を点ける。

厄日だ。

そう思っていた。

火の点いたタバコは紫煙舞い上げ宙を舞う。

まさかね。

こんな馬鹿な事があるなんてな。

くだらない。

本当にくだらない。


「お前、なんでここに来た」

「は?」

「どうして、ここに……」


常盤朝美は、どうしてこんな事で記憶が戻ってしまったのかわからなかった。

それはオイルライターに入っているそのオイルは朝美の世界の物ではなかったからだ。

それがキッカケで思い出してしまった。

今まで自分が経験した事、やってきた事を。


「終わりにしてくれないのか」

「思い出したの?」

「まぁな」

「そっか」

「もう一度問う。お前は誰だ?」

「私? トキワアサミ。君だよ」


また繰り返すのか。

だが、少し状況が違う。

あの時の少女ではない。

白い、ワンピースを着た少女ではなかった。

ならば、お前は……。


「これで、やっと会えたね。君の世界で」

「お前の世界で会った、トキワアサミか」

「うん」

「俺の自殺を止めに来たのか」

「うん」

「どうして」

「だって、私が生きて、君が死ぬのって変じゃない? 別の世界の自分だけど、死ぬのは変。もう、いいでしょ? 君は、死んじゃ、ダメなの」

「これじゃ、始まりに戻るだけだろ」

「それは無いと思う。既に、結果は変わっちゃったんだから」


雪は、まだ降っていた。

明日まで止むことはないだろう。

何故なら、俺は明日を知っている。

俺は過去一度死んだ。

そして、始まりに戻った。

また同じ事を繰り返す。

そのはずだった。

なのに、それは叶わなかった。


「私たちは、世界が違っても同一人物。性別が違っても同一人物。育った経過が違っても、私たちは、同一人物なの」

「あの時、俺たちはここで、こんなことを言ってたよな」


「「夢を見ているんじゃないか」」


また、言葉が重なってしまった。


「もう終わりにしよう? 私たちは、もう始まった事を終わりにするの。そして、新しい〝私たちの世界〟を作ろうよ!!」

「そんな簡単に行くか」

「私たちは、それぞれ二つの世界を見た。そして比べた。無意識のうちに。二つの世界を比べたからこそ、私たちがまたここにいるんじゃない?」

「途中経過はいらない。結果だ。―――そう言いたいのか?」

「そう言う訳じゃないけど、もう結果は出たでしょ? 君は死んでないし、私も死んでない」


あの時。

一番最初のあの時だ。

俺がここから飛び降りたあの時。

俺を呼び止めたのはここにいる少女ではない。

結局、俺は死んではいけないと言うことか。

白いワンピースを着た少女はこう言った。


『彼女を助けたい』


結果が違えど、確かに助けた。

俺たちは、同時刻に死ぬはずだった。

俺が死んで、この少女が生きる。

それでよかったはず。

初めから、こうなる予定だったのか。

俺にはわからない。

ただ、あの少女が望んだ結果にはならなかった。

俺が生きてしまった。


「もう、いいでしょ?」


何故か、この少女が涙ぐむ。


「私たちは、もう始まりに戻らない。先に進もうよ?」

「……」

「死のうって思った理由は二人とも違う。だけど、死んだら結果は同じ。私たちは、生きてる」

「あの時、俺が少しでも生きたいって思っちまったのかもな。だからお前が来たのかもな」

「一緒に生きよう? もう私達は……」


一緒なんだから。


フェンスを挟んで、雪が降り積もる朝山ビル屋上で俺たちは生きる事になった。

平行世界がどうとか、もうどうでもよかったのかも知れない。

いい加減諦めてフェンスをよじ登り、少女の隣に行く。


「ありがとう」


あの時言われた言葉を、そのまま少女に返した。


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