08 シグマ先輩
「いっぽんばーしーこーちょこちょ、たたいてつーねって、かいだんのぼって……こちょこちょこちょっっ!!!」
「きゃーっ! あはは……っ!! 姉ちゃん、あしも……っっきゃはは……っっ」
「一本橋こちょこちょ」は、前世定番のくすぐり遊びだ。普通にやっても楽しいのだが、肌に触れるか触れないかのギリギリを攻めたり、階段を登る時にゆっくりペースを落として焦らし、ドカーンとくすぐったりと、割と応用の効く遊びだ。
『義兄弟の誓い』の後、3人に「くすぐったい」を教えてから、子供達の間でくすぐりブームが来ている。
足の裏をくすぐると総合エリート科に蹴られて吹っ飛んでいきそうなので、足の裏は3人で遊ぶように教えたら、お互いにくすぐりあって遊んでいた。微笑ましい。
しばらくすると「くすぐられた時に私を蹴らないように足の力加減を覚えたから、足の裏もくすぐって欲しい」とのご要望をいただいた。さすが、総合エリート科。恐るべし。
調子に乗ってくすぐりすぎると時々逆襲され、3人いっぺんに襲いかかられて笑わされる。私は全力で暴れて蹴っても、子供達はビクともしないのが悔しいところだ。
本当のところ、このくすぐり遊びはずっと習慣にしたかったのだ。子供達は、日中厳しい訓練をして夕方に部屋に戻ってくる。「訓練で痛かった」という身体の感覚を「くすぐったくて楽しかった」「温かくて優しかった」という感覚で上書きして、一日を終わらせられると良いと思うのだ。
ただどれも全て、シグマ先輩の思惑には反している事だと思っている。先輩は、手づから完璧なエリート暗殺者を育成したかったはずだ。
人を手にかけても動かない無感情、温かさや幸福感とは縁の無い、その培われた技術で黙々と任務を遂行する、理想の暗殺者。
正反対の教えに挟まれ続けている子供達も苦しいかもしれない。それでも、私はずっとシグマ先輩の理想と正反対の感情を、子供達に教えたい。
義兄弟の誓いがあるとは言え、ここは暗殺者訓練施設。誰にも知られる事なく暗殺をする、暗殺者を育てる場所だ。やはり、子供達の知らない場所でシグマ先輩にそっと暗殺される未来も、そう遠くは無いと思うのだ。
「君が、毒殺科のファイだね」
私を始末したい男、シグマ先輩が。今、私の目の前にいる。
毒殺科の訓練が終わる頃に外の運動場に呼び出され、待っていたのは、宿敵、シグマ先輩だった。
シグマ先輩は、肩より少し長い、緩くウェーブがかった金髪と、薄い金色の瞳をした、顔立ちの整った4歳年上の少年だ。
鍛えられた均整の取れた身体、エリートオーラを出しながら薄く笑む様は、流石、名実共に暗殺者訓練施設の有名人で、総合エリート科の優秀者だ。
「はい、私が毒殺科のファイです。シグマ先輩、何かご用でしょうか」
ふ、と微笑み、シグマ先輩は一歩私に近づいた。
「教え子3人がずっと君の世話になってるからね。ちゃんと会っておこうと思って。手を焼かせているんじゃないか?」
教え子3人に、余計な世話を焼きやがって。心の中で、シグマ先輩の口から出た言葉を、彼の本音に変換する。
「私が好きでしていることですので。とても良い子達なので、苦労はないです」
怖くない、怖くない。相手は、前世で言えばまだ中2の子供だ。
「毒殺科は、戦闘訓練はあまりしないと聞いたけど。そんな君が、総合エリート科のあの3人の面倒を見るのは大変だと思ってね。ケンカをしたり、彼らが反抗する事もあるだろ?」
戦闘能力も無い毒殺科風情が、総合エリート科の教え子に手を出すな。そう言うことかな?
やっぱり、怖い。14歳でも、彼は暗殺者訓練施設の総合エリート科だ。
「あの子達は優しい子達ですので。ケンカをする事も、反抗してその力を振るう事も、ありません」
怖いけど、それでも。子供達のためなら、いくらでも強くなれる。前世から言うではないか、母は強し! 身体的には子供達と3歳しか違わないけど。シグマ先輩より4歳年下だけど……!!
「教え子達が世話になっている礼に。毒殺科では受けられない戦闘訓練を、俺から君に教えようかと思ってね」
「これから子供達と関わるにも、必要だろ? 追加訓練」
と笑みながら話す先輩に、恐れよりも怒りが勝りシグマ先輩を睨みつける。追加訓練。アイツが、子供達に、ずっと課して来たヤツだ。
シグマ先輩がスッと動いたかと思ったら、一瞬で背後を取られる。
「うん、良い眼だ。アイツらが大事にしていた君を。このまま楽しく、虐めて、嬲りたい所だけど」
背後から耳元にそっと囁かれ、本能的な恐怖に身体が竦んで動けなくなる。
「そんなに怖がらなくても、今日はしないよ。この運動場には戦闘科の子達もいて、人目があるからね。本気で虐めたい時はもっと別の場所でやるよ」
シグマ先輩は、私から一歩離れてシャラリと手の中の小瓶付きネックレスを見せる。
「あっ……! 私の……!!」
「『黄昏の琥珀』まで持ち歩いて、健気じゃないか。あの子達に、君がそこまで覚悟を決めるほどのメリットは、何もないと思うんだけどね?」
『黄昏の琥珀』を、シグマ先輩が私の首にそっとかけ直す。
「これでも、君には感謝してるんだよ。アイツらが食事を取るようになってから、身体が出来上がった。睡眠が取れるようになってから、パフォーマンスが上がった。君の事を口に出せば、どんな訓練をしても食いついてくる。精神的デメリットを差し引いても、中々の成果だ。でもね」
シグマ先輩に、スルリと首を撫でられる。
「君の存在が。暗殺者としてのアイツらの、唯一無二の弱点となる。君さえ人質に取れば、アイツらの全ては封じられる。だから」
少しだけ、首に添っていた手に、力が入る。
「アイツらを、完成させるために。君を、殺すよ」
強制的に合わされたシグマ先輩の金色の瞳に、殺意が宿る。
「でも、それは。今じゃない」
パッと首から手が離されて、距離を取られる。
「君を嬲り殺す時に、君が弱すぎるんじゃ楽しくないだろ。だから、少しでも抵抗出来るように。強くしてやる」
殺風景な運動場に指していた夕陽が沈み、欠けた月が空に姿を現し始めた頃。
私は、ぜーはー言いながら指一本も動かせない状態で、運動場の地べたに大の字に寝転がっていた。
その状態の私を呆然と見下ろすシグマ先輩の顔には、動揺と困惑の表情が浮かんでいる。
「姉貴!!」
「姉さん……!!」
「……姉ちゃん……っ!」
どうしてここが分かったのか、子供達が焦った様子で駆けて来る。
「姉貴に、何をした……!!」
3人はあっと言う間に私の元まで辿り着き、シータは私の側に膝をつき、ゼータとエータは私を庇うようにシグマ先輩との間に割り込みながら、すごい剣幕で先輩に言い放った。
先輩はまだ困惑顔で、口元を片手で覆いながら、ポロリと溢す。
「俺達の……準備、運動を…………」
溢された言葉を聞いた瞬間、力が抜けたように、子供達が納得顔になる。
シグマ先輩は、私に戦闘訓練をさせようと、総合エリート科の準備運動をやらせようとしたのだが。体感ふにゃふにゃ体力も筋肉もゼロの私は、準備運動のさわりで力尽きてしまったのだ。
「何だ、この生き物は……。この貧弱さで、どうやって生きている…………??」
シグマ先輩が私の側にしゃがみ込んで、私の柔らかい二の腕やらふくらはぎやらをもにもにと触る。
「……この、骨の細さと筋肉量で……どうやって、生きているんだ……? しかも、この貧弱さで……筋肉の、付きづらい体質だと……?」
「姉ちゃんに、きんにく、求めても、無理……」
子供達が、そろって気が抜けたような、呆れ顔をしている。
私は、動けなくなるまで、総合エリート科の準備運動を頑張ったのに、この皆の反応にちょっとやさぐれたくなった。
この、エリート達め…………っっ!!!
「まず、お前達!!」
私を庇い、シグマ先輩を睨みつけながらも、子供達はピッと背中を伸ばす。
「来るのが遅い! この遅れで、この女は何度でも殺されていたぞ! 情報収集能力が低すぎる。敵の動きは、指一本でも把握しておけ!! 明日は追加訓練だ!!」
子供達の顔に、後悔の色が浮かぶ。追加訓練が増やされる事よりも、私を守りきれなかった事を後悔する顔だ。
「あとは、この女だ!! 義兄弟の誓いも交わしたくせに、お前達が何年も付いていながら、この有様はなんだ!! 貧弱すぎて、俺が殺さなくても普通に生きているだけで弱すぎて死ぬぞ……!! 大事なら、最低限計画立てて鍛えとけ……!!」
もう、何の話をしているのやら。私を殺す話だったのが、生かす話になっていないか……??
「女……!! そのお前の恵まれない、最底辺の、背の低さで! 骨格で! 体力と筋肉量で!! どれだけ戦えるようになるか……!! 特別メニューを組んでやるから、覚悟しておけ……!!!」
私の貧弱さに恐れを成した先輩は、動揺と困惑に、捨てゼリフを残して退散していった。
残された私は、相変わらず地べたに大の字になっていて、しばらく動けそうにも無い。総合エリート科の準備運動、さわりだけでも、ヤバかった。
「あなた達の準備運動、すごいね。姉さん、全然無理だったわ。改めて、いつもいつも。とても頑張ってるんだね。……シグマ先輩は居なくなったし、姉さんはしばらく休んでいくから。先に部屋に戻ってていいよ」
首だけ動かして子供達を見ると、呆れたような、半泣きのような顔を向けられる。
「動けない姉さんを、残していく訳、無いじゃん……」
「こんな無防備に地面に転がってて、襲われたらどうするんだよ!?」
「姉ちゃん。動けないの、危ないよ? ボク達が運ぶから、お部屋に、かえろ?」
体力が無さすぎていつまでも回復しない私は、力持ちの子供達に運ばれて、彼らのベッドに転がされた。
「姉貴。今日は俺らが、食堂から食事持って来て、スープ作るから」
「姉ちゃん、うつ伏せて、せなか見せて。きんにくつうになりそうなところ、ボク、ほぐすよ」
「姉さん。今日は僕達自分で寝るから、ご飯を食べたら姉さんの部屋に送っていくよ。……でも、やっぱり寂しいから、ぎゅーだけしてくれると、嬉しいな」
今日の訓練に動けないでいる私を、子供達が気遣ってくれる。嬉しいけれど、私とシグマ先輩との訓練は準備運動程度をほんの一時行っただけで、子供達は厳しい内容を早朝から一日中課されていたはずだ。
「気持ちは嬉しいけど、あなた達の方が沢山訓練して疲れてるでしょ。大丈夫、もう少ししたら姉さんがやるから」
自分がどんな状態の時でも、子供達の生活は待った無しだ。前世も合わせて、やり過ごし方は身についている。
気合いを入れ直して、勢いをつけてベッドから起きあがろうとしたが、そっとシータに肩を押されて、ベッドに逆戻りした。
「姉ちゃん。ボク達を、よくみて。姉ちゃんは、動けないくらい、元気、ないけど。ボク達は、動く元気、あるよ」
「そうそ! 体を使う訓練も多いけど、俺達、その分体力あるしな! 一日二日は寝なくても、全力で動ける自信あるぞ!」
「姉さんが8歳の時から、姉さんひとりに食事も何もかも任せきりだったから。僕達も、もう7歳だし。こんな時くらいは任せてよ」
ぐうの音も出ないくらい言い負かされて、大人しくベッドに沈む。
負け惜しみに、何とか一言。
「……あなた達も成長期なんだから、睡眠はしっかり取ることを、忘れないで……」
子供達は、元気に「はーい」とお返事をした。




