07 ※番外編1 エータ視点
僕の名前は、エータ。暗殺者訓練施設の総合エリート科に所属している。一番古い記憶もここでの訓練だから、多分生まれた時からここにいるのだろう。
左右を見れば、いつも目が虚ろで髪はボサボサ、痩せて汚れている、緑と水色の子がいた。僕も同じような見た目だろうし、彼等も僕と同じような生い立ちだろう。
「自分の身支度は、自分でするんだ」
訓練と共にお風呂や食事も教えられたけど、いまいち必要性が理解できなかった。お腹が空いて限界が来たら、完全栄養食を口に入れて飲み込む。そのうち完全栄養食も口に入れるのが嫌になり、無理やり口に入れられてはえずきながら飲み込んだ。
睡眠の取り方も、よく分からない。夜、あてがわれた部屋のベッドに座り、壁や天井を見つめながら自然に寝落ちるのを待つ。どんなに眠れなくても、早朝訓練の前には起きるような習慣が付いている。
緑と水色も、僕と同じだ。ただただ、言われた訓練を言われたようにこなすだけで、生きているのか死んでいるのか分からない。生きると言う意味が、よく分からない。
そんな時に、前触れも無く。突然、姉さんがやって来た。
ふわふわとした茶色い髪に茶色い目の、それほど歳も変わらない女の子。
始めて会ったのに、眠り方が分からない僕らをひと目見て理解し、寝つかせ始めた。
初めてのひとと、距離の近い接触。無防備な体勢。
でも、この女の子は、あり得ないくらい体幹も筋肉も無くて、襲って来ても簡単に返り討ちにできそうだった。
固い表情をして、言われるままに女の子の膝に頭を乗せたゼータが、耐性の無い薬でも盛られたかのように、一瞬で眠りに落ちる。
同じようにシータもすぐに眠りはじめ、見たものの理解が追いつかないうちに、促されるまま、緊張しながら筋肉のない柔らかい足に頭を乗せた。
折角無防備な体勢なのだから、攻撃のひとつでもすればいいのに、攻撃の代わりに優しく背中をトントンされる。その綺麗な声から紡がれる優しい歌を聞いていると、湧き上がって来る分からない感情に、少し泣きたい気持ちになった。
優しい歌と心地よいリズムに、僕も一瞬で眠りに落ちた。
「毒殺科のファイ」という女の子は、その筋肉の無さそうな足でフラフラと歩き、ふにゃふにゃの体幹で重そうな荷物を沢山抱えて、次の日の夕方もやって来た。
「今日も上着とベルトは外して、机に置いておきますね」
昨日は彼女の突然の出現に思考が回っていなかったが、入り口で装備を外して、インナー、下着だけになっている。
何故、その攻撃力の無い身体で、自分から攻撃手段をゼロにするんだろう。毒殺科なら、毒を沢山持っているのだろうから、毒を盛ればいいのに。
薄着一枚の寒そうな格好で、キッチンで忙しそうに何かを作り始める。鍋がぐつぐついい始めた頃には、良い匂いが漂い始めた。
部屋に満ちた匂いを嗅いでいると、お腹が空いて何かを食べたい気持ちになる。随分と感じなかった感覚だ。
彼女は、いい匂いのものを器に入れてテーブルに並べると、ひとつの器ごとにそれぞれのスプーンを使って毒味する。
毒味なんかせずに、毒を入れれば早かったのに。
どうしてそんな事をするのか不思議だった。
促されるままに恐る恐る口を開けると、スープがひとくち、口に流れ込む。
優しい味が口の中に広がって、ゆっくり飲み込むとお腹がぽかぽかとして、温かさが身体に染み込むようだった。
多分、この気持ちを言葉にするのなら「美味しい」なのだろう。その後は、夢中で食べた。
「食べたい」気持ちの時に、優しくて温かいスープを沢山食べて、身体も、心も、ぽかぽかしてる。
そのうちに、彼女が昨日の優しい歌で、ゼータをトントンしはじめた。
いいな、と思った。
いいな。僕も早くやって欲しいな。
次々と感じる初めての感情に、自分でも気持ちが追いつかない。
言葉にも出していないのに、心を読んだように、彼女は僕を次にしてくれた。
柔らかい足に、頭を乗せる。
綺麗な声で小さく紡がれる、優しい歌。
柔らかくトントンされる、小さな手。
ぽかぽかと温かい、美味しいスープ。
僕達は、彼女に何もしてあげていないのに、昨日からいくつも、もらってばかりだ。もらった時には、何て言うんだっけ……。
「ありがと」
彼女は、一瞬動きを止めた後、その頬をふわっと赤く染めた。
「どういたしまして……!!」
溢れるような満面の笑みを浮かべた彼女は、とても綺麗だった。
彼女の手で、僕達の一日は劇的に変わった。
お風呂に入ってさらさらのぽかぽかになって、姉さんの美味しい手作りスープを沢山飲んで、眠れない夜を過ごすことなく優しい歌とトントンのリズムで眠りに落ちる。
しっかりとお腹が空いて、沢山食べられるようになった。
身体が軽くなって、力が入るようになった。
深く長く眠ることができて、起きた朝日が明るくてキラキラしている事に気がついた。
この満たされたような気持ちが「幸せ」だと言う事を、知った。
彼女は、ファイは、僕達の姉さんになってくれた。
姉さんは、多分母親の気持ちで僕達の世話を焼いてくれていると思うが、歳も3歳しか違わなくて背もそんなに変わらない彼女は、どう考えても母ではなく姉さんだ。
いつも、お風呂の後に傷の手当をしてくれて。「怪我をするなんて弱くて恥ずかしい」ではなく「訓練で出来た傷はカッコいいね。頑張ってて偉いね」と沢山褒めてくれた。
訓練をこなすだけの人形だと思っていた僕達は、違う個性がある事が分かった。
活発で単純でお兄さんぶりたくて、考えるより身体が先に動くタイプのパワー型、ゼータ。
マイペースな、シータ。シータは防御型で、僕やゼータより少し耐える訓練が多かったから、その分壊れ方が早かったのかもしれない。表情が少なく言葉が途切れがちだが、ひとをよく見て心の機微を敏感に感じ取れて、僕達が気付かない所も姉さんに寄り添ってくれている時がある。
僕は体を動かす事も苦では無いけど、頭を使う方が得意なスピード型だ。
毎日夕方に来てくれる姉さんは、筋肉が無くて体幹ふにゃふにゃだ。部屋に入ると、更に無防備に装備を脱いでインナーだけになるのが寒そうで心配で、時々服の入った籠を漁る。手に鎖が触れて、シャラリと音がした方を探ってみると、華奢な鎖の先に琥珀色のとろりとした液体が入った小瓶が付いていて、驚きに一瞬身体が強張る。
これは『黄昏の琥珀』だ。苦しまずに、一瞬でひとを殺す、強い猛毒だ。ネックレスにしていると言うことは、いつも身につけていると言うことだ。
何のため? 僕達を殺すため?
姉さんに殺されるのは構わない。
僕達に「美味しい」を。「嬉しい」「幸せ」を、教えてくれた姉さんになら。
その代価が、僕達の命ならば、それは構わない。
ほとんどの毒に耐性があるから中々死ねないかもしれないけれど、姉さんが望むならば。
姉さんに『黄昏の琥珀』の事を聞いてもはぐらかされ、僕達に毒を使っていいと伝えても、絶対使わないと言う。
生きることを、諦めて欲しくないと言う。
大事で、大切で、愛してると言う。
姉さんが。僕達に死んで欲しいのでは無く。生きて欲しいと言うのなら。
僕達は、姉さんのために、生きるから。
あなたのために、いきるから。
僕達に使うのでなければ、何故姉さんは『黄昏の琥珀』を身につけているのだろう。
訓練の時に聞いたことがある。そんなに強く無い暗殺者は頭数として任務に赴き、逃げられない状況になったら自決すると言う。
毒殺科は、身体能力が戦闘に向いていない子が多く所属する。訓練施設を卒業したら、能力の高いひとは毒薬の開発や薬の作成人員になり、大半は頭数の使い捨て要因として任務に赴くと聞く。身体能力的に逃げられない彼らにとって、任務の失敗はすなわち自決だ。
姉さんの行く末も心配だが、今はまだ訓練中の身。自決用の毒薬を持ち歩く状況では無いはずだ。
では、何故、姉さんは今『黄昏の琥珀』を持ち歩くのか。
誰に捕まる可能性があるのか。
誰が、敵なのか。
それは
シグマ、先輩だ。
姉さんが、僕達に「美味しい」を教えたから。
姉さんが、僕達に「嬉しい」「幸せ」を教えたから。
暗殺者に必要のない感情を、僕達に教えたから。
姉さんは、シグマ先輩に始末される未来に、備えているのだ。
何で。
なんで。
もらうばかりの僕達に、代価として命を求めるのでは無くて。
与え続けて、命まであたえようとするのか。
「あなた達が、大事で。大切で。愛してるからよ」
愛してる。
愛してる。
あいしてる。
与え続けて、見返りを求めない「愛してる」を、どう言うのだったか。
「……むしょうの、愛……」
姉さんに何も返せないまま、もらうものは毎日積み上がり。
一生をかけても返しきれなくなる、この「あいしてる」に。
せめて、僕達に出来ることは。
シグマ先輩に始末されないように、アイツの意識を姉さんから逸らす事。
出来るだけ早く、アイツよりも、強くなる事。
姉さんが「幸せ」に生きられるように。
最大限、僕達が道を切り拓く事だ。




