05 追加訓練
いつシグマ先輩に始末されるかと思いながらも、何事も無く2年が過ぎた。子供達は大分感情豊かになって普通の子と変わらないくらい、笑い、怒り、主張が出来るようになっていた。とても可愛い。
「ファイだよ。入るねー」
夕方、スープや朝食用の食材と4人分の食堂の夕食をワゴンに乗せて部屋に入る。彼らは食堂には行かず、家族のように部屋で食事をするのが好きみたいだ。
「姉貴! おかえりー!!」
一番に走って来て元気に抱きつくのは、緑の子、ゼータだ。感情表現が上手になったゼータは、明るく活発な子でいつも真っ先に全力で甘えて来る。
「姉さん! ありがとう、手伝うよ」
紫の子エータは落ち着いているタイプで、よく気を遣って手伝ってくれる。最初に甘えるのは恥ずかしがるが最後までは待てないようで、2番目に甘やかすのがちょうど良い塩梅らしい。
「姉ちゃん、あのね……」
水色の子のシータは、のんびりマイペースタイプだった。感情があまり表情に出ないのは元々の性格のようで、一番最後にゆっくり独り占めして甘えるのが好きらしい。
ゼータが一番もりもりとご飯を食べ、シータは普通よりやや多め、エータは少し食が細そうだ。総合エリート科で身体を使うに食の細さを心配したが、エータは身軽なスピード型らしく特に問題は無いそうだ。
ちなみにゼータは先鋒パワー型、シータは防御型なんだそうだ。戦闘はほぼ学んでいない毒殺科の私が想像するだけだが、バランスが良いチームな気がする。
毒殺科は運動神経が良くない文官型や研究者系が多いようで、一応鍛錬の時間はあるが戦闘科の足元にも及ばない。総合エリート科なんて言うに及ばずだ。
部屋に入ってからは基本的にやる事は変わらず、スープを作り、朝食用のパン、卵とウインナーや厚切りハムを用意しておき、夕食を一緒に食べて、風呂上がりの手当てをして、子守歌を歌いながらトントンなでなでして寝かしつける。
初めの頃と変わった事と言えば、細かい事だが装備を外したインナー姿の私を、風邪をひきそうだと彼らが心配するので、部屋着用のワンピースを上から着るようにている。
あと、子供達がお風呂に一緒に入る事を恥ずかしがるようになり、ひとりで洗うようになった事。彼らの成長は喜ばしいが、手を離れていく事が少し寂しくも感じる。
あとは、彼らが読むための絵本を作り、お休み前の読み聞かせをしている。この施設に情操教育用の絵本なんてある筈がないので、前世の絵本を参考にした全部私の手作りだ。
「姉貴、まだ『黄昏の琥珀』首からかけてんの? 姉貴なら一瞬で死んじゃう毒だよ、あぶねえよ」
「姉さんは毒殺科だからね、上着もベルトも毒だらけだよ。ゼータの装備だって、毒と暗器がいっぱいでしょ」
「俺達はいいんだよ、転ばないし。姉貴は転んで、他の毒や『黄昏の琥珀』かぶったりしたら危ないじゃん」
「……転ばないもん」
「姉貴、筋肉なくて体幹ふにゃふにゃじゃん」
「……体幹、あるかもしれないじゃん。ゼータ、見ただけで分かるの……?」
「足音でも分かるし、歩く時もふにゃふにゃじゃん」
まだ小さいのに、見ただけで筋肉や体幹が分かる総合エリート科、恐るべし。
「分かったから、姉さんも気をつけるから。ほら、危ないから触らない」
子供達は度々、私の装備を確認しては心配してくれる。優しい子達だ。
彼らが人間らしくなり、2年が過ぎた今でもシグマ先輩には動きは無く、私は無事に生きていた。
何事も無い毎日に、もう少し子供達と優しい時間を過ごせるのだろうかと思い始めていたが、私が見えていなかっただけで、それは全くの勘違いだったのだ。
その日は偶々、毒殺科の訓練が終わり、両手いっぱいに持った道具を片付けに行くところだった。
珍しく総合エリート科の訓練施設を通り、子供達がいるかなと屋内鍛錬場を覗き込んだ時だった。
「お前達は訓練の後、まだあの毒殺科の女にガキっぽく甘えてるのか」
よく響く、聞き覚えのある声が聞こえる。
これは、シグマ先輩の声だ。
「女に甘えて、暗殺者なんて務まると思うか? ははっ、今日も追加訓練だ」
私が子供達を構ってるから、追加訓練を課せられている……?
「お前達が甘ったれてる分、根性を叩き直してやる。もう少し痛くするぞ」
「…………っ!」
「どうした? 耐えられないか? その程度我慢出来ないなら、毒殺科に行ってお前達を甘やかした女を始末してくるしかないな。ほうら頑張れ、更に追加だ」
「…………っ! ゔ……、あ゙……っ」
私は震える足でゆっくりと後退り、出来るだけ音を立てずにその場から離れた。
総合エリート科から離れたら、徐々にスピードを上げて走り出す。
この2年間、シグマ先輩から何のアクションも無くて。私は始末されずに生きていて。
その矛先は、私ではなく、全て子供達に向いていたのだ。
毎日やらなくてもいい筈だった、辛い訓練を増やされて。
私が手当をした傷の、そのどの位が私が関わったせいで増えた傷だったのだろう。
何も言わない子供達の笑顔に、逆に守られて。何も知らずにのんびりと過ごしていた、私は……。
元々毒殺科の道具を戻しに行く筈だった倉庫に駆け込んで、隅にしゃがみ込む。
「ふ……、う……っっ」
泣いていいのは私じゃない。ずっと辛い訓練を課されて来た、あの子達だ。そうは思っていても、ここまで堪えてきた涙は止まらなかった。
どれだけの時間みっともなく泣いていたのか、自分でもわからない。倉庫にある高い位置の窓の外は真っ暗になり、薄く雲がかかった欠けた月が見えた。
遅くなると子供達が心配するから、いい加減動かなければ。こんなぐちゃぐちゃな泣き顔で行ったら、それこそ驚かせてしまう。あんなしんどい訓練を課されて酷くお腹を空かせているかもしれないし、疲れているだろうから早めに寝かさなければいけない。
思考が散らかってまとまらず、すでにびちゃびちゃに濡れている袖で止まらない涙を拭っていると、倉庫の扉から「ガチャン」と言う音が聞こえた。
取るものも取りあえず途中で顔だけ洗ってから、大急ぎで食糧庫と食堂に寄り、食事だけは確保してから子供達の部屋に向かう。大分遅くなってしまった。
今の私の顔は、泣いた後の顔と言うよりは、顔面すり傷おばけみたいな感じだろう。
倉庫でグズグズしていたら、無人と思われたのか扉の鍵を外から閉められて。驚きに涙も引っ込み、倉庫の高い窓から脱出を試みた結果、そのまま窓から手を滑らせて顔から地面に落ちたのだ。
その顔面のまま食堂に寄ったのだが、戦闘科なんかはよく顔に怪我をしたまま食堂に出入りしているので、幸い目立っていなかった……と思いたい。
不幸中の幸い、顔の派手なすり傷が目立てば、泣いた跡は目立たないだろう。美少年美少女揃いの房中術科の子達と比べて私の顔は平凡なので、傷だらけでも惜しくは無い。
「姉さん、遅かったね! 大丈……夫、じゃない……っっ!!? 姉さん!! その顔、どうしたの……!!?」
「毒殺科の荷物を倉庫に置きに行ったら、誰も居ないと勘違いされて、外から扉の鍵を閉められちゃって」
「窓から出ようと思ったら、顔から落ちちゃったのよね」とヘラヘラ笑いながらご飯の準備を始めようとすると、エータに頬を両手でそっと挟まれて、顔をジッと見つめられる。
「姉さん、僕によく顔を見せて」
初めて会った時とは比べものにならないくらい。キラキラと光を反射している、澄んだラベンダー色の瞳。
「姉さん、たくさん泣いた跡がある」
「え……っ! 姉貴、泣……っ!!?」
「…………! 姉ちゃん……?」
エータは思慮深く人をよく見ていて、心の機微にも敏感だ。
渾身の顔のすり傷でも誤魔化されてくれなくて、気まずくて視線を逸らす。
「顔から落ちたのが痛くて、ちょっと涙が出ちゃったのよ。顔は後で自分で手当てするから、先に食事にしましょ」
痛くて泣きたかったのは、すり傷なんかの私よりも、むしろキツい訓練をした子供達のほうだ。
ただでさえ来る時間が遅くなってしまったのだから、早くご飯を食べさせて、早く寝かせてあげたい。
今日を思い返して自分の無力さを嘆くのも、後悔をすることも。自分の部屋に戻ってからだ。
まだ上着すら脱げていないので、準備をする為に子供達から離れようとすると、ゼータとシータにそっと両腕を握られる。
「うわっ、姉貴! 服の袖、すごい濡れてる……!」
「……姉ちゃん、たくさん、泣いた……?」
心配そうに、ふたりが見上げてくる。
「姉さん、座って。姉さんの顔の手当が終わるまで、僕たち、夜ご飯食べないから」




