16 夜のデート
その日、その瞬間は、突然やってくる。
昨日までいつも通りの日常を過ごし、ほんの少し前までは楽しく笑い合っていたはずなのに。そのすぐ後に、人生がひっくり返るのだ。
「姉貴! 今日の追加訓練も頑張ったな!」
私のシグマ先輩との追加訓練があった日は、いつも3人が誉めて労わってくれる。彼らの方が早朝からの訓練で疲れているのだから、といつも言っているのだが、その度に言いくるめられてしまう。
「今日は、いつもよりも訓練軽かったのかな? 姉さん疲れてないから、スープ作るよ?」
「シグマ先輩、手加減する事も手を抜く事もしないから、何か思惑があるのかな?」
「姉ちゃんの、次の追加訓練が、重いとか」
そう言いながら、3人はテキパキと食材を刻みスープを作り始める。譲る気の無い、連携の取れた総合エリート科3人の動きに、私が手を挟む隙は無い。
「でも、どうしたのかな? クッキーもいつもの2倍ねだられて。今までも無い事は無かったけど」
「強欲なんだよ、アイツ! 姉貴、俺もクッキー食べたい!」
「毎回、毎回、訓練の度に、姉ちゃんのクッキー食べて。ズルい」
毎日、毎日、スープを絶対欠かさない子供達が言う。言っちゃ悪いが、似たもの同士だ。
「姉さん、今日はまだ元気だから。あなた達がスープを作ってくれた後、クッキーも焼いてあげようか?」
3人の顔が、ぱぁっと喜色に輝いた。
子供達は、スープを作りながら順番にお風呂に入り、もう恥ずかしいし無理! と騒ぐ私を宥めながら傷の手当てをねだり、夜ご飯とクッキーを食べ。今日も膝枕と歌とトントンで眠りについた。
彼らが寝付いてから、毒殺科の予習復習をし、お風呂を借りて済ませてから、寝るためだけに自分の部屋に向かう。
今日も、子供達は可愛くて温かかった。
背も高くなり、逞しくなり、カッコいい男の子になった彼らだけど、やはり可愛くてたまらない。
サラサラの髪を撫でながら、寝付いた後の安心しきった寝顔を見ると。訓練は大変だっただろうけど、無事に一日を過ごし安らかな夜を迎えられた彼らに、感謝を捧げたくなると共に幸せを祈らずにいられない。
私がいなくなっても、幸せに。
私が、いなくなっても。幸せに。
自分の部屋に着き、扉を開こうとした時。背後から声をかけられた。
「遅くまで、子供達の世話をご苦労だね。今日は月も綺麗で良い夜だから、この後、俺とデートしないか?」
フワッとした浮遊感が繰り返され、耳元で風がビュウビュウと鳴り続けている。
私の部屋の前で待っていたシグマ先輩の誘いに、否を言えるわけも無く、シグマ先輩の「取っておきの秘密の場所」に連れて行かれた。
片手で抱き上げられ、先輩が廊下の窓に足を掛けたかと思うと外に飛び出し、壁の色々な箇所を足場にしながら、上へ上へと跳んでいる。正直私はシグマ先輩の首にしがみつくのが精一杯で、目を開けていられる余裕は無かった。
「着いたぞ」
シグマ先輩に、そっと腕から降ろされる。
周りを見渡してみると、どうやら施設の建物の屋上のようだった。広さ的には、子供達の部屋くらいあるだろうか。
「ここは、俺のお気に入りの場所なんだ。入り口も無いから、誰も入ってこられないしな」
まあ、あんなに跳んで跳ねてしないと入れない場所なんて、そうそう誰も来られないだろう。
「普段は灯りは点けないんだが。夜目が効かないお前には、灯りが必要だろう」
暗殺者の卵たるもの、夜目が効かない訳ではない。だが、総合エリート科ほど見えるとも思っていない。
先輩が、屋上の四方にランプを置いて、火を灯す。
ひとつずつ、灯りが増えて、ほんのりと周囲が明るくなった。
上を見上げると、雲ひとつない夜空にぼんやりと光る満月と、満点の星が瞬いている
「月も星も綺麗な良い夜だ。一緒に茶でもしないか?」
先輩が持ち込んだのか、隅に小さなテーブルと椅子がふたつある。テーブルの上には、茶器とお菓子が載ったお皿があった。
「先輩。お菓子とか、食べるんですね」
「俺のじゃない、お前のだ。俺のはコレだ」
先輩が、追加訓練で渡した2倍量のクッキーを見せてくる。
「……先輩。ほんっっとうに、そのクッキー、好きですね」
「そうだな」
素直に答えられると、それはそれで気持ちが悪い気がする。シグマ先輩は、ひとを嬲る事が好きな暗殺者らしいキャラで、素直とは縁がないはずだ。
いや、クッキーだけには忠実だったか。
「紅茶を淹れてやる。その皿の菓子でも食べてろ」
お言葉に甘えて、いただきますと言いながらお菓子を口に入れる。可愛くて、丸くて、サクサクで、前世のマカロンのようなお菓子だ。
「……っっ!! 美味し…………っっっ!!!」
上品な甘さが口に広がる。今世、この施設でお菓子なんて、ヘロヘロになりながら自分で作るクッキーくらいだったのだ。
お口の中の幸せに浸っていると、コトンとテーブルにカップが置かれた。一度、私の前に置いたカップを再び持ち上げ、シグマ先輩がひと口、口に含む。
「耐性の強い俺が毒味しても信憑性はないだろうが、毒は入れていない」
少し中身を見つめてから、口を付ける。
子供達には怒られるだろうけど、うっかりお菓子を頬張ってしまった後なので、今更だ。
良い茶葉でしか出せない、上品で澄んだ味わいが口に広がる。
「……!! 良い紅茶ですね……!? シグマ先輩、紅茶を淹れられるんです?」
「この施設で育ってるクセに、紅茶が分かるか? クッキーに合う飲み物を探していたら、行き着いただけだ」
どこまでもクッキー至上主義な先輩に、少し笑いが込み上げてきた。
「お前は、俺の前でも。美味いものを口にしたら、そんな顔をするんだな」
「私はあまり表情を取り繕えないので。基本的に感情バレバレですよ」
「暗殺者に向いてないな」
「今更ですー」
そんな事を話しながら、ありがたく紅茶とお菓子を堪能させてもらう。
お菓子は食べないと言っていた先輩だが、わざわざ私のためだけに用意してくれたのだろうか。
シグマ先輩は私が作ったクッキーを、大事そうに、少しずつ。口に入れていた。
「こうして、お前とゆっくり話をする機会は無かったな。俺の昔話でも聞いてくれるか?」
「……? いいですよ?」
「俺が子供の頃、俺を一時期教えてくれていた先輩がいてな」
先輩が、クッキーを少しずつ齧りながら話し始める。
この、暗殺者訓練施設で総合エリート科でも優秀だった先輩の、子供の頃はどうだったのだろう。あまり3人と変わらない生活をしていそうだが。
「その先輩が、俺に『好きと言う感情は良いものだから、お前の好きを見つけてみろ』と言ったんだ。食べ物でも、ひとでもいいから、と」
この暗殺者を育てる施設で、私以外にもそんな酔狂な事を言った人がいたのか。
「その後すぐに、先輩は総合エリート科からいなくなってしまったんだが、それから俺の『好き』を探してみたんだ」
総合エリート科で訓練をしながら「好き」なんて見つかったのだろうか。それは、この環境ではとても難しい事だと思った。
「お前と会ってから、やっと『好き』を見つけはじめたんだ。俺の今の『好き』は、お前と共にいる時の色々な表情をしたアイツらと、このクッキー。スープも好きだな」
先輩は、子供達も「好き」なのか。何だか少し安心する。
「よく考えたら、この場所も『好き』だな。小さい頃から、よくここに来ていたものだ。お前意外、誰もこの場所を知らない」
「そんな大事な場所に、よく私を連れて来てくれましたね」
「お前も『好き』だからな」
お前も好き
お前も、好き……?
「お前を直接知ってから『好き』が増えて、感謝している。ありがとう」
シグマ先輩の薄い金色の瞳が、しっかりと私を捉える。
少し笑いながらこちらを見つめるシグマ先輩は、今まで見た中でも取り繕わない、一番素の表情のように見えた。
そして、その瞳から、光が。希望が消える。
「だが。お前が生きていては、アイツらは暗殺者になれない」
分かっている。
子供達が暗殺者になる為には。弱点となる、私は、存在していてはならない。
「お前を『好き』だけど。ここで殺すよ」
分かっていた。
私がここに連れて来られた理由は、私を始末するためだ。
「今までの、クッキーや、看病や『好き』の礼だ。死に方を選ばせてやる」
コトン、と、テーブルに。琥珀色の液体が入った小瓶を置かれる。
「『黄昏の琥珀』だ。アイツらに耐性をつけさせられているだろうが、2倍量飲めば楽にイケる」
シグマ先輩が椅子から立ち上がり、私の隣に立つ。少し屈んで、私に顔を近づけた。
「俺に、嬲られて死ぬか。『黄昏の琥珀』を飲んで、楽に死ぬか。どちらにする?」
次で最終話です。その次に、シグマ視点の番外編3、エピローグ、ゼータ視点の番外編4で完結です。
最後までお付き合い頂けますと幸いです。




