第9話:二度目の産声と銀の髪
熱い。体が、魂が焼けるような感覚。 背中から突き刺された冷たい感触と、心臓を食い破るような絶望。 それらが濁流となって脳裏を駆け巡り、私は「星野聖良」として死んだ。
……はずだった。
「――おぎゃあ、おぎゃあ!!」
耳をつんざくような泣き声。それが自分の喉から発せられているのだと気づくまでに、数秒の時間を要した。 重い。まぶたが、鉛のように重い。 必死に目を開けると、視界はひどくぼやけていた。けれど、そこにあるのは血に染まった「忘却の丘」の空ではなく、温かな琥珀色の光が灯る、古い石造りの天井だった。
「……ああ、なんて美しい子。あなた、見て。銀色の髪をしているわ。まるで、夜空を溶かしたみたい」
柔らかい布に包まれた体。自分を抱き上げているのは、ひどく疲れ切った、けれど信じられないほど優しい眼差しをした美しい女性だった。
「本当だ、メル。ベルンシュタイン家に、こんな天使が舞い降りてくれるなんて。……アリシア。この子の名は、アリシアにしよう。我が家の、たった一つの、そして最高に気高い宝物だ」
大きな、ゴツゴツとした手が私の頬を撫でた。その手は前世で倒してきた怪物の皮膚よりも硬かったが、伝わってくる体温は、私の凍りついた魂を溶かしてしまいそうなほど熱かった。
(……転生……? 私が、子供に?)
状況を理解するにつれ、私は激しい恐怖に襲われた。 この人たちは誰だ。私をどうするつもりだ。 また「最強の便利屋」として育てるつもりか。私に「期待」という名の呪いをかけ、最後には笑って裏切るために、今こうして優しくしているのか。
「おぎゃあ! ああぁ!」
私は拒絶するように泣き叫んだ。 優しい言葉なんていらない。期待なんてしないで。私はもう、誰のためにも戦いたくない。誰にも利用されたくない。
「おやおや、元気な子だ。きっと立派な魔法使いになるぞ」
男の――今の私の父親であるバルトが、豪快に笑う。 その言葉に、背筋が凍った。 魔法使い。やっぱりそうだ。この世界でも、私は「力」を求められるんだ。
(やめて……その期待が、私を殺したのよ……)
私は固く目を閉じ、周囲の情報を遮断しようとした。 だが、数日が過ぎ、数ヶ月が経っても、私が恐れていた「搾取」は一向に始まらなかった。
ベルンシュタイン家は、驚くほどの「没落貴族」だった。 窓枠は歪み、壁のいたるところにはヒビが入っている。使用人は一人もおらず、母のメルが家事をこなし、父のバルトが庭の小さな畑を耕している。かつて魔法少女として暮らしていた、最先端の技術が詰まった拠点とは正反対の、不便で貧しい暮らし。
けれど、そこには前世の私が見たこともない「光」があった。
「さあ、アリシア。今日はスープがうまくできたぞ」
私が一歳を過ぎた頃。 食卓に出されたのは、具のほとんど入っていない、透き通ったスープだった。バルトとメルの器には、ほとんどお湯のような液体しか入っていない。それなのに、彼らは自分の分を削って、一番栄養のある具を私の皿へと移していく。
「お父様……お母様……」
まだ回らない舌でそう呟くと、二人は顔を見合わせて、花が咲くような笑顔を見せた。
「ああ、アリシア。お前が笑って食べてくれるなら、父さんはお腹なんて空かないんだ。お前はただ、健やかに育ってくれればいい。それだけが、父さんの正義なんだから」
バルトが、私の頭を優しく撫でる。 その言葉に、胸の奥が締め付けられた。
前世での「正義」は、誰かの犠牲の上に成り立つ取引だった。 「君なら救える」という言葉は、「君が犠牲になれ」という命令だった。 「期待している」という言葉は、「利用価値がある」という査定だった。
けれど、この人たちは違う。 私が何もできなくても。私が「最強」でなくても。 ただ、私がここにいて、笑っている。それだけで、彼らは自分たちの全てを投げ打って守ろうとしてくれる。
(……信じても、いいのかな)
私の小さな胸の中で、前世の冷たい絶望と、今世の温かな愛が激しく衝突する。 まだ、怖い。いつかこの手が、また私を突き放すのではないかと、夜中に跳ね起きることもある。
けれど、私を抱きしめるメルの温もりも、バルトが耕す畑の土の匂いも、全てが本物だ。
アリシア――星野聖良だった私は、銀色の髪を揺らしながら、小さな拳をぎゅっと握りしめた。
(もし……もしも、この人たちの愛が本物なら。この温かさが、私を繋ぎ止めてくれる光なら……)
窓の外には、広大な異世界の空が広がっている。 そこにはかつての仲間も、外神も、残酷な期待も存在しない。
(今度は、私が守る。……でも、誰かのためじゃない。この人たちを失いたくないという、私の、私のわがままのために)
それは、正義の味方としての献身ではない。 裏切られた救世主が初めて抱いた、あまりにも純粋で、そして狂おしいほどの「執着」だった。




