第82話:交錯する二つの「正義」
「あああああッ!!」
美咲の口から、人間のものではない獣のような咆哮が迸る。 彼女の壊れかけた肉体から溢れ出たのは、神聖さとは対極にある、どす黒く濁った怨念の魔力だった。執念だけで引きずり出したその残滓が、歪な棘の形となって私へと襲いかかる。
私は一歩も動かず、ただ視線を向けるだけでその棘を霧散させた。格の違いは明白。それでも美咲は、狂気にギラつく瞳で私を睨みつけ、血を吐きながら叫んだ。
「お前に何がわかるっていうのよ! 人間なんてね、弱くて愚かなのよ! 共通の『悪』が、怯えるための『魔族』がいなきゃ、一つにまとまることすらできないの! 誰かを犠牲にして、綺麗な嘘で包んであげなきゃ、平和なんて維持できないのよ!」
それこそが、彼女が大教会を利用し、亜人や魔族を弾圧して築き上げようとした偽りの平和の正体だった。誰かを踏み台にし、悪役に仕立て上げることで成立する「犠牲の平和」。前世で私を奈落へ落とした時も、彼女の根底にあったのはその歪んだ独善だったのだろう。
美咲は息を荒くし、涙ながらに私を指差す。
「私は間違ってない! 私がやったことは、人間を救うための正義だったのよ! お前みたいに圧倒的な力で怯えさせるだけの化け物に、私の正義を否定されてたまるもんですか!」
吹き荒れる怨念の風の中で、私はただ静かに美咲を見つめていた。その瞳に軽蔑はなく、ただ冷徹な事実だけが宿っている。
「それが貴方の限界よ、美咲」
私の声は、荒野の風に消されることなく、冷たく彼女の鼓膜を震わせた。
「誰かを悪に仕立て上げなければ保てない平和など、ただの脆弱な砂上の楼閣。貴方が掲げる『正義』は、自分が世界の中心でスポットライトを浴びるための、ただの言い訳に過ぎないわ」
私はゆっくりと右手を掲げ、深淵の魔力を解放する。
「犠牲が必要だというのなら、私がその前提ごと書き換えてあげる。貴方の薄汚い『犠牲の平和』なんて、私の世界には必要ない」
交錯する二つの意志。しかしそれは、もはや議論の余地すら残されていないほど、圧倒的な断絶を持って決裂した。




