第61話:偽りの救世主
エルフの里、ドワーフの鉱山、そして北方ベルンシュタイン領の独立――。 立て続けに大陸の要所を奪われ、亜人共存の平和特区まで創設されたという報せは、人類の覇権を握る大国や大教会にとって、悪夢以外の何物でもなかった。王国の権威は失墜し、民衆の間には未だかつてない恐怖が蔓延していた。
この未曾有の危機に際し、利害を異にしていた国々や大教会は、一つの「象徴」のもとに結束することを決意する。
擁立されたのは、かつて「聖女・聖良」の傍らで微笑み、そして彼女を奈落へ突き落とした稀代の天才魔法使い・美咲――現・大教会の「聖女エレナ」であった。
王都の中央大広場には、彼女の言葉を一目聞こうと、数十万の民衆と諸国の騎士団が埋め尽くしていた。燦然たる陽光を浴びてバルコニーに姿を現したエレナは、かつての美咲の面影を聖なる衣で包み込み、まるで世界を救う女神そのものの神々しさを放っている。
「愛する人類の同胞たちよ。そして神の正義を信じる騎士たちよ」
エレナが凛とした声を響かせると、広場の喧騒は一瞬で静まり返った。その瞳には、かつて私を裏切った時の冷酷な計算高さが、今は「慈愛」という精巧な仮面の下に隠されている。
「今、北方の地で恐るべき邪悪が産声を上げました。かつて我が王国を恐怖に陥れた魔王の軍勢……それを裏から操り、エルフやドワーフを呪いで縛り、畏れ多くも辺境伯家を洗脳して人類への反旗を翻させた諸悪の根源。それこそが、底なしの闇を纏う『深淵の魔女・アリシア』です」
彼女の悲痛な叫びは、魔法の拡声術式によって王都の隅々にまで響き渡った。
「あの魔女は、甘言を弄して人間と亜人の共存を謳っています。ですが騙されてはなりません! それは人類を油断させ、内側から食い荒らすための悪魔の罠なのです! 彼女は世界を滅ぼし、私たち人間をすべて奴隷にするまで、その黒き手を止めることはないでしょう!」
エレナの言葉は、民衆の心に潜む「未知なるもの(亜人)」への猜疑心と、「圧倒的な力(魔王軍)」への恐怖を正確に刺激していった。恐怖は瞬く間に伝染し、剥き出しの「憎悪」へと形を変えていく。
「魔女を殺せ!」「人類の敵を打ち砕け!」 広場を埋め尽くす民衆から、地鳴りのような怒号が沸き起こる。
「諸国の勇士たちよ、私に力を。我が聖なる光の魔術は、常に皆さんの盾となり、矛となるでしょう。神の正義の名のもとに、あの忌々しい魔女を奈落へと還すのです!」
エレナが両手を天に掲げると、まばゆい金色の光柱が王都の空を貫いた。 その圧倒的な奇跡を前に、数十万の人間が熱狂し、ひれ伏す。民衆の恐怖を薪とし、自らの嘘を火種として、エレナは人類の戦意を最高潮へと燃え上がらせた。
「……ふん、相変わらず大衆の扇動だけは天才的ね。美咲」
遠く離れた平和特区の玉座で、ルナリエの精霊通信を通じてその演説を見ていた私は、冷たい笑みをこぼした。 世界を欺く偽りの救世主。彼女が積み上げたその華やかな「嘘の城」を、どうやって根元から腐らせてあげるか――私の指先から、黒い火花が静かに散り始めていた。




