第39話:裏切りへの制裁
現実世界の離宮。ティーカップが床に落ちて砕ける音が、静寂を切り裂いた。
「はっ……、あ、ああ……っ!」
リリスが激しく咳き込みながら、私の足元に崩れ落ちる。その瞳には先ほどまでの傲慢さは微塵もなく、ただただ底知れない恐怖と、それを上回るほどの熱を帯びた敬愛が混濁していた。
「お、お姉様……。私は、なんてことを……。あんなに、あんなに美しい深淵を、私は汚そうとしたなんて……!」
リリスは震える手で私の靴を掴み、額を床に擦り付けた。精神世界で味わった数百年分の絶望――それを抱えて立ち続ける私の「強さ」に、彼女の魂は完全に屈服したのだ。
その時、離宮の扉が乱暴に蹴破られた。
「リリス! よくやった、小娘は廃人になったか!」
現れたのは、四天王の一角「残虐公」バロールと、その配下の魔族たちだ。彼らはリリスが跪いている姿を見て、勝利の確信に満ちた下卑た笑いを浮かべた。
「ほう、随分と無様に平伏しているな。リリス、その女の精神は壊したか? 操り人形として使えるよう調整しろ」
バロールが悠然と私に近づき、大斧を肩に担ぎ直す。 だが、リリスの肩がピクリと跳ねた。
「……黙れ」
「あ? なんだと?」
「黙れと言っているのよ、この無能な豚が!!」
リリスが弾かれたように立ち上がり、バロールに向けて絶叫した。その顔は、私が精神世界で見せたものに近い、狂気的な怒りに染まっている。
「お姉様を……アリシア様を侮辱する者は、この私が許さない! 貴方のような浅い殺意しか持たない三流が、この方の『深淵』に触れていいはずがないのよ!」
「なっ……貴様、裏切るかリリス!」
バロールが激昂し、大斧を振り下ろそうとする。しかし、リリスの指先から放たれた精神波が、バロールの脳を直接焼いた。
「『強制逆流』!!」
「ぐ、あああああ!? なんだ、俺の魔法が……勝手に暴走……っ!」
バロールが放とうとした破壊の魔力が、彼自身の体内で爆発した。リリスの精神介入によって、魔法の構築式が内側から書き換えられたのだ。
「お姉様、指示を。このゴミを、どう処理いたしましょうか?」
リリスは私を振り返り、うっとりとした表情で膝をついた。その背後では、バロールが自分の魔力に焼かれながらのた打ち回っている。
「……そうね。私のティータイムを邪魔した罪は重いわ」
私は飲みかけの冷めたティーカップを手に取り、中身をバロールの頭に静かにぶちまけた。
「リリス。この者たちの精神を、貴方が先ほど見た『あの場所』の入り口にだけ、繋いで差し上げなさい。……一晩もあれば、自分の脳を自分で掻き出したいほどには、楽しくなれるはずよ」
「……はい、喜んで! お姉様!」
リリスの歓喜に満ちた声が、悲鳴の渦巻く離宮に響き渡った。




