第36話:精神浸食(マインド・レイド)
「アハハ! つかまえた! 逃がさないわよ、お姉様!」
リリスの勝ち誇った声が、意識の海に響き渡る。 『深層意識への葬列』――それは、対象の最も柔らかい記憶の層を食い破り、自我を書き換える禁忌の精神魔術。
リリスの意識は、私の脳内へと深く、深く潜り込んでくる。 通常の精神干渉なら、ここで「幼少期のトラウマ」や「家族との別れ」といった、今世の脆弱な記憶が展開されるはずだ。リリスはそれをズタズタに切り裂き、私を自分の言いなりになる「壊れた人形」に作り替えるつもりなのだ。
「さあ、見せて……。貴女が大事に隠している、一番痛くて、一番汚い記憶を!」
リリスが私の意識の「核」へと手を伸ばした瞬間。
景色が一変した。
そこは、花が咲き誇る離宮でも、温かなベルンシュタイン家でもなかった。
「……えっ? なに、ここ。……冷たい……」
リリスの困惑した声。 そこは、色彩の消えた世界。降りしきる雨はどす黒く、足元には無数の死体が積み重なっている。空には「正義」を謳いながら私を処刑しようとする、何万もの人間の醜悪な顔、顔、顔。
「何よこれ……こんなの、人間一人が抱えていい記憶の量じゃないわ……! どこまで続いてるのよ!」
リリスが怯えたように周囲を見渡す。 彼女が見ているのは、今世の記憶ではない。私が数百年もの間、魂に刻み込んできた「前世・聖良」としての凄惨な終焉。
「……ねえ、リリス。楽しいかしら、他人の人生を覗き見するのは」
闇の中から、私の声が響く。 それは現実の私よりもずっと低く、慈悲の欠片もない、凍てつくような「死」の響き。
「な、なんなのよ貴女! ただの没落令嬢じゃないの!? なんでこんな……こんな真っ暗な記憶を、平気な顔をして抱えていられるのよ!」
「平気なわけないでしょう。……私は、この絶望を毎日、毎秒、噛み締めて生きているのだから」
足元の死体の山が動き出し、リリスの足首を掴む。 それはかつて私を裏切り、私が殺し、そして私を殺した者たちの怨念。
「やめて! 来ないで! 私の術が……逆流してる……!? 離しなさいよ!」
リリスの真っ白な精神体に、どす黒い「絶望」が墨汁のように染み込んでいく。 他人の心を壊そうとした少女は、今、自分が飲み込めないほど巨大な「深淵」の口の中に放り込まれたことに、ようやく気づいたのだ。




