第34話:燻る火種
アルカディア砦の無血開城は、魔王軍にとって快挙であるはずだった。 しかし、魔王城の地下に集う者たち――血の匂いと悲鳴を糧とする「虐殺派」の幹部たちにとって、それは許しがたい「軟弱な勝利」に映っていた。
「……反吐が出る。たった一人の小娘の気まぐれで、三千の餌を逃がすとはな」
作戦室の石壁を粉砕し、低く濁った声が響く。四天王の一角、「残虐公」と恐れられる巨漢、バロールだ。彼の周囲には、戦場を地獄に変えることを至上の喜びとする好戦的な魔族たちが集まっていた。
「ゼノス様はあのアリシアとかいう娘を買い被っておられる。人間に絶望したと言いながら、根底にあるのは甘っちょろい慈悲だ。あんな毒にも薬にもならぬ『聖女の残滓』、魔王軍には必要ない」
バロールの背後に控えていた少女が、クスクスと鈴を転がすような声で笑った。 桃色の髪をツインテールにし、可愛らしいドレスに身を包んだ少女、リリス。四天王の懐刀であり、魔族の中でも極めて珍しい「精神干渉」の特化能力を持つ。
「バロール様、そう怒らないで。あの子、魔力だけは凄まじいもの。力で捻り潰そうとしても、無駄に城を壊すだけだわ」
「ならばどうする、リリス」
リリスは扇で口元を隠し、冷酷な光を宿した瞳を細めた。
「簡単よ。心が折れていないから、あんな生意気な口が叩けるの。……私が彼女の内側を覗いて、壊してあげる。魔王陛下には、戦闘のストレスで廃人になったとでも報告すればいいわ」
「……ふん。手ぬるい気もするが、あの魔力を傀儡として使えるなら悪くない。やれ」
バロールの許可を得て、リリスは優雅に一礼した。 彼女の脳内ではすでに、アリシアが絶望に顔を歪め、涎を垂らしながら自分の足元に跪く光景が描かれていた。
その頃、私は与えられた離宮のテラスで、バルバスが持ってきた「魔界産の毒ハーブ」を品種改良したティーを啜っていた。
(……この香りは、少し刺激が強すぎるわね。でも、精神を弛緩させる成分が含まれている……)
背後から、微かな、だが計算された足音が近づいてくる。 私はティーカップを置かずに、鏡のように磨かれたポットに映る影を見つめた。
「アリシアお姉様! 初陣の勝利、おめでとうございます!」
現れたのは、無邪気な笑みを浮かべたリリスだった。 その瞳の奥に、獲物を追い詰める蜘蛛のような粘ついた殺意が隠されているのを、私は見逃さなかった。
「……あら、可愛いお客様ね」
私は振り返り、彼女が差し出してきた「特製のお菓子」を、毒が含まれていることを承知の上で、優雅に受け取った。
「ええ、歓迎するわ。……退屈な日常には、ちょっとした『刺激』が必要だと思っていたところよ」




