第29話:魔女の「静かなる」包囲網
「結界が……消失した……?」 「嘘だろ、あんなにあっさりと……」
砦内に立ち込める、重苦しい沈黙。 結界を失った兵士たちの前に、私は悠然と歩みを進める。誰一人として、私に剣を向ける勇気を持つ者はいなかった。私の周囲に渦巻く魔力のプレッシャーが、彼らの本能に「死」を刻みつけているからだ。
「……攻撃してこないのですか? ここは王国の盾、アルカディア砦でしょう?」
私の問いかけに、レオが歯を食いしばりながら剣を握り直す。
「総員、構えろ! 相手はたった一人だ! 怯むな!」
レオの号令に応じ、弓兵たちが一斉に矢を放つ。さらに魔導師たちが火球や氷槍を私に向けて放った。空を埋め尽くすほどの攻撃魔法が、私という一点に集中する。
だが、私は指先一つ動かさない。
「『事象拒絶』」
私に触れる直前、全ての矢は砂となり、火球は霧散し、氷槍は水となって足元を濡らした。攻撃そのものが「無効化」された光景に、兵士たちは言葉を失う。
「無駄な殺生は好まないと申し上げたはずです。……ですが、抵抗を続けるなら、少しだけ『不自由』になってもらいましょう」
私は軽く掌を空に向けた。
「『精神の檻』」
漆黒のドームが、内側から淡い紫色の光を放ち始める。 それは肉体を傷つける毒ではない。対象の精神に直接作用し、外部との繋がりを遮断する「孤独の魔法」だ。
「……あ、が……っ」 「誰の声も……聞こえない……」
兵士たちが耳を押さえてうずくまる。隣に仲間がいるはずなのに、まるで見知らぬ暗闇に一人で放り出されたかのような感覚。通信魔法だけでなく、会話という手段すらも私の魔力によって支配されたのだ。
「レオ。貴方の声は、もう誰にも届きません。貴方の命令も、貴方の正義も、この闇の中では無価値です」
私は動けないレオの目の前まで歩み寄り、その白銀の鎧を指先でなぞった。
「……ねえ。たった一人で、闇の中に残される恐怖を知っているかしら? 私が前世で、心臓を貫かれたまま暗闇に打ち捨てられた時の、あの冷たさを」
私の瞳に宿る深い闇が、レオの瞳を射抜く。 絶望感。 それは、どれほど鍛えられた精鋭であっても抗えない、魂の摩耗だ。
「三日もいりません。……あと数時間もすれば、彼らは自分たちが守っているものが何なのか、それすらも忘れてしまうでしょう」
私は砦の広場の中央で、優雅に腰を下ろした。 外界と隔絶された「静かなる檻」の中で、三千人の精鋭たちは、ただ一人の少女の吐息に怯えるだけの家畜へと変貌していく。




