第18話:絶望の「従属」儀式
建国祭当日、王都は歓喜の渦に包まれていた。 だが、その華やかな喧騒から切り離された王宮の一室で、私は冷たい床に膝をついていた。
「……何かの、間違いではありませんか?」
私の声は、自分でも驚くほど乾いていた。 目の前では、エドワード王子が勝ち誇ったような顔で豪華な椅子に座り、傍らには王宮魔導師長が、禍々しい紫の光を放つ鉄の輪を手に持っている。
「間違いなものか。昨夜の遠征で、僕が受け取るはずだった『古代の魔石』が紛失した。さらには、僕の不注意で近衛兵が三人も負傷した……ということになっている」
エドワードは楽しそうにワインを揺らした。 事実は違う。魔石は彼が酒の勢いで池に放り込み、兵士たちは彼の無謀な突撃に巻き込まれたのだ。だが、彼はその全ての責任を、透明化して傍らにいた「影」である私に押し付けた。
「無能なお前が、僕の完璧な采配を邪魔したせいだ。……だが、安心しろ。寛大な僕は、お前に挽回のチャンスをやる」
魔導師長が一歩前に出た。手に持っているのは『従属の首輪』。 装着者の意志を剥奪し、主人の命令に逆らえば脳を焼くほどの苦痛を与える、禁忌の呪具だ。
「これを着ければ、お前のミスは全て不問に付そう。それどころか、ベルンシュタイン家への送金を倍にし、両親の身の安全も『王家の所有物』として永久に保証してやる」
(……また、これだ)
心臓の奥が、氷を突き立てられたように冷たくなった。 前世の記憶が、モノクロの映像となって脳裏を埋め尽くす。 『セイラ、私たちがいないと君はただの怪物だよ。ここにいれば、みんなが君をヒーローとして見てくれる。……だから、言うことを聞いて?』
あの時、私はその言葉を「居場所」だと勘違いした。 首輪などなくても、私は自ら心を縛り、彼女たちの期待という鎖に繋がれていた。
「さあ、アリシア。家族が大事なんだろう? 没落貴族の娘が、王家の犬になれるんだ。これ以上の名誉はないぞ」
魔導師長の手が、私の首筋に触れる。 冷たい鉄の感触。 それをはめられた瞬間、私は本当の意味で、アリシア・ベルンシュタインという一人の人間であることをやめ、エドワード王子の「透明な武器」として一生を終えることになる。
(お父様……お母様……)
二人の笑顔が浮かぶ。 あの温かいスープ。泥だらけの父の手。 もし私がここで首輪を受け入れれば、彼らは豊かになれるかもしれない。安全に暮らせるかもしれない。
だが、それは本当に彼らが望んだ「幸せ」なのだろうか。 私の尊厳を切り売りして手に入れた金で、あの人たちが笑うだろうか。
「……嫌です」
「……何だと?」
エドワードの顔から、余裕が消えた。
「私は……誰の道具にもなりません。ましてや、家族の愛を盾に私を縛ろうとする、貴方のような男の犬になど」
「この、生意気な没落令嬢が……! 構わん、力ずくで嵌めろ!」
魔導師長が呪文を唱え、首輪が蛇のように私の首に巻き付こうと迫る。 私はうつむいたまま、胸の奥で眠っていた「真実の魔力」の封印を、一つ、また一つと引きちぎった。
(いいわ。望み通り、建国祭を見届けてあげます)
私は抵抗するのをやめ、首輪がカチリと音を立てて閉まるのを受け入れた。 首筋に焼けるような呪いの感触が走る。
「ははは! 結局はこうなるんだよ! さあ、行こうか、僕の可愛い『影』。国民の前で、最高のショーを見せてやる!」
エドワードは私の髪を乱暴に掴み、引きずるようにして部屋を出ていった。 首輪に刻まれた呪いが、私の魂を侵食しようとうごめく。
だが、エドワードは気づいていない。 その首輪は、すでに私の内側から溢れ出した「絶望の魔力」によって、内側からボロボロに腐食し始めていることに。
(ああ、楽しみだわ。……公開討伐祭。そこで、貴方のすべてを、粉々に砕いてあげる)
王宮の長い廊下を歩く私の瞳には、もう涙の一滴すら残っていなかった。




